またカメレオングッズ増えましたー!
前回の記事の前振りで仕事探しについて「もう少し休もう」と書いて自分自身も納得した直後、
思わぬところからあれよあれよと話がまとまり、急遽来月から仕事に行くことになりましたー🎉🎉🎊毎度のことながら派遣ですけどー
次の職場は少々思い出のある企業で、"まさか"という感じです。最初に仕事の紹介が来た時には"恥ずかしさ"が先に出たので断ろうと思ったのですが、断りのメールを打つ指がどうしても動かず、一晩寝かせてみたのです。
時間を置いてみると
"少し恥ずかしいけど、一か八か進んでみたい"と思うようになり、進めてもらうようご連絡しました。
そしたら何と翌々日には職場見学に行き、その日に正式決定するという私のたくさんある派遣の経験の中でも最短での決定。
トントン拍子とはまさにこのこと!
こんなにあっさり決まるんだったら、ここ数ヶ月悩まなきゃ良かったー😭笑
っていつも事あるごとに思うのですが。
結果がわかったから言えるだけ😋
あれこれ悩む過程も必要だったのでしょうねぇ。
仕事は始めてみないとわからないので、何とも今は言えないのですが、3ヶ月あればだいたい相性は分かるので今は目標3ヶ月でがんばります!!!笑
ってことでここからは前回の記事↓の続きです。
今回は退院後〜その後の経過を書いてこの私の乳がん記録日記は区切りにしようと思っています。
昨年11月に右胸にステージ0の乳がんが見つかり、途中左胸にもガン疑いや(生検の結果、良性)MRI検査の結果で本来わかるはずのガンの範囲が分からずで色々不安なこともありましたが、今年1月中旬に全摘手術して術後4日目で退院。
あとの治療などは手術から3週間後にわかる病理検査の結果次第でした。
リンパへの転移はなく早期発見なのでどんな結果でも怯える必要はないのですが、ネットの情報で、手術をして中身を見てみたら想定よりステージが進んでいたなんて話も見たのでやっぱりずっと不安。
不安の根源は抗がん剤を使うことでした。見た目が変わってしまうくらい体への負担は大きいし、正しい知識がないからこそ怖い。
知っていたのは抗がん剤を使う可能性がありそうなのは浸潤ガンでステージ1以降なので、
最初の診断通りのステージ0(非浸潤癌ガン)であることを強く祈りたかったのです。
退院直後の体調については
達成感でアドレナリンが出てたみたいで、ハイテンションでした。
ハローワークに行ったり、当時風邪の治療中だったパンサーカメレオンのナギの薬の追加をもらいに行ったり、
退院5日後には京都にセッションにも行けました。
その日のセッションは行きの新幹線からすでに泣きそうでした。
手術を無事乗り越えられてホッとしたこと、体の変化への哀しさ等、色々な気持ちが沸いていました。
案の定、玄関で迎えてくださった夕馬さんの顔を見た瞬間に抑えていた涙がポロポロと溢れて来てしまいました。
セッションではとにかく大仕事を終えた喜びを伝えていたと思います。
その日の一番の目的はヒーリングだったので、色々と体の状態を伝えていきました。
この時期なぜか痛みは夜に一番出やすく、患部に電気?稲妻?がビリビリッ⚡️と走るように痛かったのです。それは傷のある付近だけでなく、背中側や脇にも痛みが走っていました。(その後時間の経過とともに無くなりました)
エネルギー的にも今は細胞を活性化させるよりも癒し系のヒーリングが必要と判断されていたと記憶しています。
効果はテキメンでヒーリングをしてもらったその日の夜から傷の痛みが減って、痛み止めを飲む回数が一気に激減しました!
ありがたやー😭
術後の日常生活ですが、
病院では気づかなかった不便さがいっぱいありました。
重たいものが持てなくなり荷物が持ちにくくなったとか、我が家の古い引き戸だと開けるのに力がいるから痛くなったり、爬虫類の世話も腕の上げ下ろしが案外あってやりにくくて仕方ない。姪っ子の抱っこもやりにくいのでお子さんのいる方は辛いと思います。
ブラジャーについてはユニクロの前開きのものが一番使いやすくおすすめです。(店頭ではあまり手に入らないのでお取り寄せになると思います)
手術した側の胸の厚みを補うパッドは専用のものではなく、今まで使ってたブラジャーの中でちょうど良いものがあったのでそれを一番使ってます。胸の大きな方はそれでは全然足りないと思うので、専用のものがよいと思います。
お風呂については
管を通していたドレーンの跡が2つ胸の下にあるのですが
医師の指示で毎日絆創膏を貼り替えて瘡蓋ができるまでは湯船は浸からずにシャワーのみで
手術跡は手術中に貼ってもらった透明のテープがそのままにしてあり、その上から普通に体を洗っていました。(透明テープは自然に剥がれるか病理検査の結果を聞きに行く時に先生に剥がしてもらうまでそのまま)
一つ問題だったのは
この時1月の真冬だったので
シャワーだけでは体が冷え冷えということ。
これまた夕馬さんに「座浴は?」とアドバイスいただきやってみたら素晴らしく良かったです!!
やり方は
お尻がしっかり入るサイズとついでに足先が入るサイズの桶を2つ用意して、少し熱めのお湯を張り
お尻と両足をそれぞれ桶に同時に入れるだけ。
これ、めっちゃいいー!!
湯船に浸からなくても体が温まりました!
痔の方や産後の方もきっと良いです!
私はドレーンの傷跡が塞がるまで約2週間かかったので、湯船に浸かれるまでの間お勧めです。
ちょっとずつ手術後の体に慣れてきた2月初旬、いよいよ病理検査の結果を聞きに行きました。
この日も一人で。
診察部屋に入ると、最初に診察台に促され術部の確認と手術時に貼った透明テープを剥がしてくれました。
この後いよいよ結果を聞いたのですが、先生の表情から何となく読み取れていて
事前の診断通り
ステージ0=
非浸潤癌性乳管ガン
と確定されました。
手術で切り取った組織の写真も見せてもらったのですが、ガン細胞が確認された範囲は広く
やはり部分切除では全てを取り切れてなかったと
説明されました。
もし部分切除を選んでいたら、また翌月再手術となってた可能性大でした。
さらに嬉しかったのはホルモン剤を使ったりもなく、このまま経過観察で良いと言われたこと。
ホルモン剤を使うなら卵子凍結という選択も念の為考えていたのですが、その選択も一旦保留となりました。
ガンが見つかって数ヶ月ずっと緊張感があったのですが、一気にホッとして診察室で泣いてしまいました。
あとは傷跡や体力の回復を待つだけだったのですが、この時期くらいから大事な大事なパンサーカメレオンのナギが傾眠をするようになりました。
ナギの最後については↓
最期まで私を心配してくれてるようで、
逝くに逝けない様子だったナギ。
ギリギリまで頑張ってくれて
息を引き取る瞬間まで見届けることができました。
寂しくて寂しくて仕方がないのですが
夕馬さんから「ナギちゃん、早めにこの世に戻ってくるわよ」と言っていただいていて、また爬虫類の可能性が高いそうなのでこまめに爬虫類ショップにはいかねばないけませんね🥰
今年は1月に手術&入院、2月にナギが亡くなり新年からドタバタでした。
3月から心は落ち着き始めたのですが、手術の影響で体力が落ちていて手術前は体力作りで1日5kmは歩いていたのに手術後は1kmがしんどいくらいでした。
体のバランスも変わって歩き方にも影響したのか、酷い腰痛や足の痛みも出るようになり念の為整形外科でMRI検査をしてもらったり、風邪も引きやすかったりしばらくは何となく調子が悪い日が多かったです。
ようやく元の体力に近づいたかなと感じたのは術後3ヶ月を過ぎたくらいで私の場合は5月くらいからでした。
手術跡は病院で透明テープを剥がしてもらった後はマイクロポアテープ(傷跡テープ)を自分で貼っていたのですが、3ヶ月すると傷跡の様子が変わってきたのがわかりました。痛みが出ることもこの時にはありませんでした。
↓マイクロポアテープ
「日にち薬」という言葉をこの時多用していたのですが、本当に時間の経過とともに体が回復していきました。
今唯一残っているのは手術した部分の感覚がほとんどないことです。神経も切っているためだと思うのですが、私の場合は胸と脇の下にも皮膚に痺れがあってあまり感覚がないです。
歯の治療で麻酔すると唇に痺れが残るような感覚があると思うのですが、あれに近いです。
日常生活に不便はないですし、神経のことも含めて傷跡も年単位で時間の経過とともに変わってくるようです。
あと最後に私は大丈夫そうですが、万が一傷跡がケロイドになってしまった場合は形成外科で縫い直して治せるそうです。
毎回ダラダラと長い文章になりましたが、1日1日が濃かったので書き出すと止まらなくなってしまいました😅
これで私の乳がん記録日記は終了です。
きっと私のこの先の人生でもこの出来事が何かを決める際の基準にもなると思います。
そして、支えてくださった方々にも改めて感謝したいです🙇🏻♀️ありがとうございます🙏
またブログも思いつきで書いていくと思いますので、引き続きお付き合いください☺️