つい先日、そんなことを思ったわけです。

会社員時代は、日々営業として数字を作るために日々奔走していたわけですよ。
服を擦らせ、靴を減らし、スーツに汗を吸わせながら。

その時は、メッチャ楽しかったし、文句なしに凄く充実してたし、それはそれで最高な日々だったのは間違いないんですけどね。

ふとした時に、何かよく分からなくなることがあったんですよね。
何のために数字を作っていて、何のためにこれ売ってんだろう。って。

お客様の役に立ちたかったし、高い給料が欲しかったし、単純に楽しかったし…
スゴイ先輩たちを抜きたかったという単純な競争意識もありました。

潜在的には『自分の給料と、自分の座っているオフィス賃料×2の数字が持ってこれない営業は発言権がないと思え。』と売上げゼロ円の時に、初めての上司に頂いた言葉に負けたくなかったというのもあるんだと思います。


色々あって、今は将来的に自営業になる身になって、自分が日々やってることの延長だけが自分の将来を作っていく環境になったわけです。
当然ボク一人じゃなく、従業員が14人とその家族がいるんですけど。

当然、営業的もしますし、会社を代表して会合に出席したり、機械を回したり、研修用の技術資料を作成してみたり人事制度を作ってみたり…色んなことをやっています。

で、思ったわけです。
今の営業では、ゴリゴリ新規開拓で開拓先を追いかけるよりも、キチンとお付き合いを頂けるお客様と真正面から向き合うことの方が大切だし、マネジメントでは営業同士や技術者同士がギスギス競い合って頭角をあらわすようなよりも、知恵を出しあって前進できる組織にしたいから、皆で前進方向に足並み揃えられるようにしたい。


そんな取り組みをしているうちに、サラリーマン時代に思っていた『何のために売ってる(仕事してる)のか』という漠然とした疑問の答えがハッキリしているんですね。

『自分と従業員、その家族がキチンと豊かであり続けるため』でしかない、と。

前の仕事よりも労働時間は相当少ないけれど、今の仕事のほうが考えなければいけないし、責任もある。

部署異動もない。売上で誰とも比べられること無く、自分が自分の未来に責任を持って日々一つ一つやり遂げていく日々。

ずっと上々でいられるか、どこかで野垂れ死ぬことになるのか、今の時代サラリーマンでも自営業でも変わらない。だとすると、ポジティブな不安を抱き続けながら挑戦を続けられる自営業はボクのパラダイスなのかもしれない。

こういう考え方始めちゃったら、やっぱり会社員に向いてないな、俺。

もう結構飲んじゃってるので、万が一読んじゃった場合はサラッと流して下さいまし。with iichiko フラスコボトル
以下、ホントいきなり腑に落ちたからメモしとく。


ずっと明確な答えが分からなかったことが、いきなり洗濯物干してる時に腑に落ちた…。。。

本を買って読んだものと、借りて読んだものの吸収率の違いが明確に存在する理由なんですけど、買って読むのは『俺はこれを読んで何かを得るのだ』という明確な意思があるんだ、と分かった訳です。

借りて読むのはそこに明確な意思というよりは、何となく上辺感が漂っている感じなのかな、と。

結局、同じプロセスを経ているのに、そこに存在する覚悟の量が絶対違ってるということなんですよね。きっと。



軸は違いますが、営業や勝負事でも同じ事だなと思いました。


ロープレなら上手く立ち回れるのに、営業の現場で結果が出ない人

麻雀ゲームなら強いのに、実際の卓を囲むと雰囲気に威圧されてしまう人

株価チャートを目で追いかけて頭のなかで売買している間は上手く利益を取れるのに、自分のお金を投下した瞬間ボロ負けな人。

などなど。


結局、投資したりリスクや負荷をかけながら明確に意思をもって実行したことの多さこそが、土壇場で発揮できる力の量と比例するんだろうな、と。

何だか軸はブレブレですが、何事も自分を成長させるというのに、こういう意識は大切なんだな、と腑に落ちたわけです。

以上、雑記のようなメモでした。


では、明確な意思のもと、週末デートで映画に出かけて参りますw
本日は柄にもなくディズニー映画の『シュガー・ラッシュ』を3Dで。
先程、ふと思い出して、恐らく1年ぶりくらいにmixiにログインしてみた。

結果。ボクの友達は誰も更新しておらず、更新されてると思ったらtwitterの更新情報が自動反映されているポストが延々と続いてる…という。。。

mixiの株価は、2年前から比べて半分弱くらいまでで下げ止まっています。
ということは、ある程度の価値がマーケットから認められているということですから、ボクやボクの周りにいる友達とは違うレイヤーの方々には引き続き支持されているメディアなんでしょうね。


さて、全盛期のmixiは国内SNSのパイオニアみたいな存在だった訳で、facebookよりも全然国内の会員は多かったわけですよね。

なのに何でこんなにも大逆転が起こっちゃったんでしょう。

さっと考えつく点を。

①Web媒体でありながら、基本的に実名登録を主としたこと。
②今までのSNSと違って、生活やコミュニケーションのインフラとして定着できた。
③タイムラインやニュースフィードなど、情報検索性の高さ。
④写真や短い文だけでも気軽に投稿でき、ユーザーの投稿に対する負荷を軽減できている。
⑤商用利用を認めた。

などなど。。。

で、当然facebookの開発プログラマーがgoogle出身者多数など、超優秀かつクリエイティブセンス高い人が多く在籍した、というのもあるんでしょうが、facebookが開発したニュースフィードやいいね!などのシステムをガンガンパクりまくって後ろからついていくような構図になっていたように思います。

で、これって超デカくね?と思うファクターは、②で挙げたのと近いんですが、facebookは投稿されている情報の一切を他のメディアへ提供していない、ということです。

つまり、twitterやameba、mixiで書いた記事をfacebookに反映させることは設定すればできちゃいます(この記事も投稿と同時に反映させてます)が、facebookに投稿した記事をそのままtwitter等の外部メディアに自動反映することは出来ないんです。

つまり、facebookだけ見ておけば、気になる情報は全部集められるように仕組みを作り上げちゃったというわけですね。その悪魔的センスには脱帽です。

一旦facebookをインフラとして活用してしまったら、アリジゴク的にその便利さの虜になってしまう、と。


しかし、facebookの主な収入源は広告収入。mixiと一緒です。
上場以来、マーケットからはこの収益性の面でイマイチ評価を受けていないfacebook。

収益モデルでもSNSの革命児的な活路を見出して、今後もボク達の素晴らしいインフラとして活躍して頂きたい限りですね~~~!
どこにあるのだろうか~。と最近思うのです。

手先が不器用な上に、美術でクラスほぼビリケツな2の評価をとるような人間でしたが、4年ほど前に東京の求人広告業者生活にピリオドを打って、ガチガチの製造業に入っていくのに毛ほどの不安も感じていませんでした。

毎日飲み過ぎて頭がふんわり溶けていたのか、退職する自分に酔っていたのか…

今思い起こすと、何故そんなにナチュラルな感じで帰省を決められたのか分からないのですが、あの決断から少し時間が経って、実は大事な転機というのはそんな感じで決まっているような気すらしています。


この4年間、やらなければいけないことは沢山あったし、やりきれなかったことや、期待に応えられなかったことも同じくらいの量ありました。

でも、東京の時とは絶対的に違っていることがずっと一つだけ確実にありました。
一つ一つの決定事項や行動が、全て自分の将来に繋がっていて、その決済や行動の結果だけが自分の10年後20年後を作っていく。という実感です。

今、会社の基礎をより強固なものにするために、自分の考えられることを、自分の知りうることを、自分が分からないことは調べて、アウトプットしようとしています。


思えば4年前。

ボクには営業しか出来ないと思ってた。
イラストレーターなんて聞いたことしか無かった。
機械なんて触ったことなかった。
デザインなんて出来ないと諦めてた。

でも、やり続けてたらいつの間にか色んなことがハリボテながら分かってきて、カタチに出来るようになったきたりするから不思議なものです。

自分が認めない限り、限界なんてものは訪れないのだろうか~?などと楽天的に考えながら日々楽しんでいます。

今作っているボクの4年間程度の経験のアウトプットが、会社としての壁を越えられるようなものにできるように…また明日から頑張ります!!!

うしっ!風呂入って寝よ!!!