さて、合間に謎と秘策という事で1記事を挟みましたが。
いよいよ、表門と裏門に分かれた47人の赤穂浪士。
いよいよ討ち入り開始です。
今まで知られている、ドラマや大河ドラマですら表現されて
いない話。あるいは脚色された話。
それらは全て違っているという。
この先は、それぞれの事実を覚書などからより深く解析して
いこうと思います。
まずはこれらの項目から一つずつ解説しましょう。
1:長屋封鎖作戦と綿密なルール
(ある意外なものがそれを可能にした!?)
2:武家社会の身分制度
(武家社会の盲点を突いた)
3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け
(大石内蔵助の戦術)
4:一向二裏作戦
(現在でも空軍が使用している先端戦術)
5:追い詰められた、吉良上野介の最期
(知られている時代劇とは全く違うエンディング)
6:泉岳寺までの道のり・・・
(本当は予定にない行動だった?)
1:長屋封鎖作戦と綿密なルール
(ある意外なものがそれを可能にした!?)
マンセル:さてグラハムくん、大石内蔵助以下47人は
静かに深夜2時頃に米屋に集結した訳で。
虎の一点と言われる午前3時にここで二手に分かれて移動
する訳だよ。
グラハム:でもたくさんの謎もあれば、何故それが成功した
のか?っていっぱいあるよね。
(一つずつ謎をまず解明していこうか?)
ナレーション対応
まずこの討ち入りに一つ大事なキーワードがある。
それは、長屋制圧にあった!
(手前の白い壁と、屋根瓦の見えている↑ここ。奥が母屋)
屋敷内は吉良上野介と家臣で約150人
いたとされている訳でして。
当然前にも書いたように、47人がまともに150人相手に
斬り合いになれば?当然1:3の圧倒的な戦力差が赤穂浪士
には絶対の不利があった。
そこで大石内蔵助はここでまず策を巡らした訳です。
この長屋と母屋を分断する事。
長屋を孤立させ、長屋の家来を閉じ込
める作戦。
だったのです。
そこにはもう一つの成功の鍵であり、謎でもある。
2:武家社会の身分制度
(武家社会の盲点を突いた)
をここは絶対に知るべき必要があるのです。
吉良家だけではなく、武士であるというのはどういう身分
の区分けがあったのか?という事を語らずして。
どーして成功できたのか?というのを、実はどこも解説
していない訳ですね。
こちらをご覧ください。
まず母屋には、中小姓以上と言われる所謂”士分”と呼
ばれる家臣、武士達が20人。
と、吉良上野介本人がいた訳です。
そして長屋には、足軽と中間(ちゅうげん)と言われ
る人達が130人からがこの深夜3時には寝ていた訳です。
まず、中小姓以上の武士とは・・・。
特徴
グラハムくんのように、袴を履いていて。
そして最大の特徴は。
自分の刀:あり
戦闘参加義務:あり
討ち死:あり
(大名を命がけで守る義務あり)
それに対して長屋にいる、中間と足軽とは。
特徴
もしゅもしゅくんは中間(イメージです)でして。
そして特徴は。
自分の刀:なし
戦闘参加義務:なし
討ち死:なし
中間という人達は、この吉良家の屋敷で行われる典礼の
手伝いや荷物運びが主な仕事なのであって。
吉良本人を守るとか、前線で出て戦うといった兵站を積んで
いる訳ではないんです。
なので武器も持たない、兵法もない訳です。
そして足軽とは。
特徴
マンセルくんは、足軽(のイメージ)でして。
彼も自分の刀を持っておりません。
ただし中間と違って・・・。
自分の刀:なし
戦闘参加義務:あり※ただし条件あり
討ち死:なし
足軽は戦闘参加義務はあるんです!
ただし!それにも条件があって、いわゆるグラハムくんの
ような、中小姓以上の武士が一人物頭(ものがしら)
に就任して。敵が襲ってきたとあらば!
戦闘が発生した際に、物見頭から弓や、槍を支給されて
初めて戦闘に参加できる訳です。
↑ここが絶対大事なのです。ここ抑えててください。
この後随所にでてきます。
なので、中間や足軽は・・・?
そうなんです、武器がない丸腰の状態なのです普段から。
武器もない、一部は兵站も積んでいない人々130人が
そこにいたにも関わらず・・・。
結果、閉じ込められたら何もできない!
という事。
更には、仕えた大名を討ち死してまで守るという義務が
彼等にはない訳です。
これらの武士社会の身分の振り分けというのは、武士で
あれば誰でも当然知っていて当然の話であって。
これは武家社会に生きる人の基本的なルールなので。
大石達はその身分制度の盲点を突いた!
という戦いを挑んだもので。
大石内蔵助の戦略が、ズバリ当たる訳ですね。
現代に例えるならば・・・。
都心で大雪が降って交通機関がマヒをした時に・・・。
会社の重役クラスの人は、何が何でも出社しないとならない
のに対して。アルバイト等は、交通機関が動かないんじゃ出社
できないよね!?って事で有給とって休んでも責任問われな
いみたいな事と思っていいかなと。
つまり武家社会の基本的なルール他それを知らない我々や
一般庶民が、後々色んなデマや嘘が浸け入る格好になってい
るのもそこが原因なのです。
さて、大石内蔵助。
この150人vs47人の戦い、どーやって母屋と長屋を
分断していったのか?
次の謎を紐解きながら、上の二つも同時に解決してましょう。
3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け
(大石内蔵助の戦術)
まずは、米屋に集結した赤穂浪士達の動きから。
米屋の中で47人は完全武装を施し、吉良家の長屋前の道路に
集結し。表門、裏門にそれぞれ23人と24人の編成で分かれ
るのだった・・・。
※原惣右衛門覚書による
(参考文献は、この先緑で表記してゆきます)
赤穂浪士47士の全スターティングメンバーを
改めて紹介しましょう!
表門部隊
司令部
大石内蔵助、原惣右衛門、間瀬久大夫
屋内討入隊
片岡源五右衛門、富森助右衛門、武林唯七、奥田孫太夫、
矢田五郎右衛門、勝田新左衛門、吉田沢右衛門、
岡島八十右衛門、小野寺幸右衛門
場の内隊(屋内からの脱走者を討つ部隊)
早水藤左衛門、神崎与五郎、矢頭右衞門七、大高源五、
近松勘六、間十次郎
屋外隊(屋敷の外へ逃げる者を討つ部隊)
堀部弥兵衞、村松喜兵衞、岡野金右衛門、横川勘平、
貝賀弥左衛門
裏門部隊
司令部
大石主税、吉田忠左衛門、小野寺十内、間喜兵衞
屋内討入隊
磯貝十郎左衛、堀部安兵衞、倉橋伝助、杉野十平次、赤埴源蔵
菅谷半之丞、大石瀬左衛門、村松三太夫、三村次郎左衛門
屋外隊
潮田又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、
千馬三郎兵衞、茅野和助、間新六、木村岡右衛門、
不破数右衛門、前原伊助
寺坂吉右衛門は、裏門から邸内には入ったようだが。
どうやら?大石内蔵助の表門隊からの指示命令を、隊や裏門
の息子、大石主税への伝令ではないか?と・・・。
(裏門隊は主に武闘派が集められていた)
吉良の寝所が近いと思われていた、吉良の裏門前には腕に
覚えのあるメンバーを中心に集められており。
もっとも激戦区を想定してたもよう。
しかし、裏門隊は到着後直ぐに潜入する訳ではあり
ませんでした。
そして、今見えている白い壁と屋根の部分。
この長屋が、この事件の勝敗を決定づける大きなものと
なるのですが・・・またそれはおいおいで。
(表門、裏門で持ち場所に着きました)
そして、こちらが現在で言うところの。
Googleマップ映像です。
矢印のあるここ↑に現在、マンセル、グラハムくんはおります。
そして、前原伊助宅の米屋前で二手に分かれます。
右方向が大石内蔵助率いる表門部隊。
左方向が大石主税率いる裏門部隊。
彼等は吉良邸内で再び出会う時。それが吉良邸完全制圧を
した刻!ともいうべきでしょうか?
それぞれ47人が、思い思いの気持ちを持って門へ向かって
移動を開始しました!
(散々使っているこの映像が・・・)
マンセル:ぼくの後ろ方向!こっちへ大石内蔵助と、表門部隊
が向かった方向で。
(新たな映像を!)
マンセル:こちらの交差点を行った先!今指差している、
この辺りの先に当時の裏門があった訳です!
グラハム:裏門が実はめっちゃ近い!
という事はですね、あの時代劇の中にあるように・・・。
47人が徒党を組んで走る必要が全くないですね。
なので、このシーンは。完全に後世の我々や、討ち入りの事情
が解ってない人々による。この話に対して脚色した部分、
演出だったのです。
実際には、ほとんど走ってない。むしろ23人と24人に
分かれた後、静かに静かに表門、裏門へ向かった訳です。
それではまず!我々は、大石内蔵助率いる表門部隊と共に
行動を共にしてみましょう!
(本所松坂町吉良邸表門)
(表門に集結した表門部隊)
このテレ朝の忠臣蔵は、ここで裏門隊が離脱して裏門へゆく
のですが。先にも書いているように、裏門の方が断然近い
のにこちらへ回る理由は全くありません。
(てくてく・・・てくてく・・・)
(はい、こちらが現在の表門でございます)
マンセル:さて、こちらが現在の吉良邸表門跡地でござい
ますよ。
グラハム:ここはもう普通に会社の入り口じゃないですか!?
(看板を読むベアーズ)
ふむふむ・・・やっぱりここにも文献通り同じ事が書かれて
おりました。
(看板オンリーで)
ここにも記載されていない事としては、表門部隊は主に
長屋を制圧する任務がありました。
静かに梯子をかけ、表門斬り込み隊長?間十次郎がまず
先陣を切って潜入します。
そして・・・ドラマや映画では門を開けて〜・・・。
表門部隊を全員招き入れて、邸内での乱戦がスタート
する・・・?
という感じになりますが。
実は門を開けずに、大石内蔵助も梯子を上って下りて邸内へ
静かに静かに潜入してゆきます。
※涙襟集より
だが、この時屋根から2名の赤穂浪士が転落します!
一人は原惣右衛門、もう一人は神崎与五郎の2名。
腕、脚を負傷してしまいます。
まだ斬り合いにもなっていないにも関わらず、赤穂浪士側に
早くも2名が戦力ダウンしてしまいますが。
まだ吉良側に赤穂浪士潜入は気付かれておりません。
※江赤見聞記より
そーなんです!実は、表門部隊は静かに静かに。
気づかれないように潜入する事が一番大事だったのです。
何故ならば、兎に角長屋にいる130人を戦闘不能の状況
に追い込まねば。赤穂浪士に勝利が無いからなのです。
そして、吉良邸内へ潜入に成功した表門部隊24人。
母屋は部屋数30以上あるという中で、表門部隊はまず
長屋封鎖に入ります。
この日の茶会と酒の宴に泥酔して酔いつぶれて寝ている、
長屋の130人を孤立させなければなりません。
大石内蔵助は・・・直ぐ様、長屋方向へ指示を出します!
(イメージです)
この表門看板にもありますが、彼等は部隊をさらに半分に
割って長屋を封鎖に入ります。
今映像に見えている長屋の戸をこれらの道具をもって封鎖
する訳です。
(現代の道具ですが、金づちとかすがい)
長屋の封鎖の鍵はこれだったのです。
金づちがなかったので、プラスチックハンマーですが。
表門部隊は金づちとかすがいを持って長屋の戸を全て封鎖
するのでした。
(イメージ)
柱と戸をこのかすがいで打ち込み、開かないように封鎖
して歩いた訳です。
長屋の中にいた、中間や足軽達はようやくこの時。
表の方から、このかすがいを打ち込む。
トントントントントントン・・・。
この音は、かすがいを打ち込む音でようやく目が覚める
訳です。
表から聞こえてくる、この謎の音に中にいる130人は
寝ぼけ眼で戸を開けようとすると開かない。
何が起きているのか不安が募る中に・・・。
※寺坂信行筆記より
決して大石内蔵助の打ち鳴らす、あの山鹿流陣太鼓ではな
かったのです。
むしろ大石は太鼓すら持っていなかったのです。
※史実により
(イメージです)
さらにそこへ、戸の外から長屋室内へ向かって。
無数の矢が撃ち込まれます!
(イメージです)
戸が開かない上に、暗闇の中へどこからともなく飛んでくる
その矢に。長屋にいる家臣達は大パニックになります。
長屋の中はまさしく阿鼻叫喚の世界が広がった訳です。
当然矢が刺さり、重軽傷を負う者が続出。
その無数に飛んできた矢に刺さった人数が重軽傷者の人数に
なる訳です。
室内に大人数がいる事でより恐怖を煽った結果になるのでした。
※涙襟集より
更には外から、神崎与五郎などが長屋の中にいる人間へ
向かって。
「神崎隊50封鎖完了!続け!」
というように、人数も水増しして。中にいる人間に表に
出たら相当数人数がいると恐怖心を更に募らせた訳です。
事実、長屋に閉じ込められた家臣達は、朝になってもまだ
赤穂浪士達が100人単位で押し入ったと思っていたという
程でした。
※易水連袂禄より
そして、長屋制圧したタイミングで大石は動きます。
ここに次のキーパーソン!
寺坂吉右衞門の登場になります。
寺坂吉右衞門が伝令に走ります!
その伝令先とは・・・。
裏門に到着して、今や遅しと待ち構えている息子。
大石主税率いる裏門隊へ突入の指示を出す為であります。
(再び吉良邸外の道です)
マンセル:再び表に出てきました。
グラハム:ここを寺坂は伝令で走った訳ですね。
(こんな感じで・・・)
マンセル:えっほ!えっほ!えっほ!
今だったらショートメール一発で連絡できるのに、元禄の
頃はそうはいかなったよね。
グラハム:寺坂吉右衞門!当時38歳!!
彼がここを全力疾走で裏門へ走った!!
元禄当時の全力忠臣蔵だ!
いよいよ裏門隊が動き出す!!
この話の続きは、次回へ。
忠臣蔵での戦力分布図では。
赤穂浪士 吉良家家臣
47人 vs 約150人
だったのが・・・
長屋を封鎖し完全に制圧した事で・・・。
赤穂浪士 吉良家家臣
47人 vs20人
さっきまで状況では
1人vs3.1人
だったのが・・・。
2.3人vs1人
という開戦前の圧倒的人数的に不利な状況だったのが。
長屋を制圧した事で、一気に赤穂浪士
側に勝機が見えてきました。
更にこの後、一向二裏作戦が展開される事により。
一気に戦況が赤穂浪士側に傾きます!
が・・・この後思わぬ事態に陥ります。
大石内蔵助と赤穂浪士の大勝利は、更にこの後どのように
して本懐を達成できたのか?
この続きは下へ!