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What aわんだふるワールド

がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

さて、合間に謎と秘策という事で1記事を挟みましたが。

いよいよ、表門と裏門に分かれた47人の赤穂浪士。

 

いよいよ討ち入り開始です。

 

 

今まで知られている、ドラマや大河ドラマですら表現されて

いない話。あるいは脚色された話。

それらは全て違っているという。

この先は、それぞれの事実を覚書などからより深く解析して

いこうと思います。

 

まずはこれらの項目から一つずつ解説しましょう。

 

1:長屋封鎖作戦と綿密なルール

(ある意外なものがそれを可能にした!?)

2:武家社会の身分制度

(武家社会の盲点を突いた)

3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け

(大石内蔵助の戦術)

4:一向二裏作戦

(現在でも空軍が使用している先端戦術)

5:追い詰められた、吉良上野介の最期

(知られている時代劇とは全く違うエンディング)

6:泉岳寺までの道のり・・・

(本当は予定にない行動だった?)

 

 

1:長屋封鎖作戦と綿密なルール

(ある意外なものがそれを可能にした!?)

 

 

マンセル:さてグラハムくん、大石内蔵助以下47人は

静かに深夜2時頃に米屋に集結した訳で。

虎の一点と言われる午前3時にここで二手に分かれて移動

する訳だよ。

 

グラハム:でもたくさんの謎もあれば、何故それが成功した

のか?っていっぱいあるよね。

 

(一つずつ謎をまず解明していこうか?)

 

ナレーション対応

 

まずこの討ち入りに一つ大事なキーワードがある。

それは、長屋制圧にあった!

 

(手前の白い壁と、屋根瓦の見えている↑ここ。奥が母屋)

 

屋敷内は吉良上野介と家臣で約150人

 

いたとされている訳でして。

当然前にも書いたように、47人がまともに150人相手に

斬り合いになれば?当然1:3の圧倒的な戦力差が赤穂浪士

には絶対の不利があった。

そこで大石内蔵助はここでまず策を巡らした訳です。

 

この長屋と母屋を分断する事。

長屋を孤立させ、長屋の家来を閉じ込

める作戦。

だったのです。

 

そこにはもう一つの成功の鍵であり、謎でもある。

2:武家社会の身分制度

(武家社会の盲点を突いた)

 

ここは絶対に知るべき必要があるのです。

 

吉良家だけではなく、武士であるというのはどういう身分

の区分けがあったのか?という事を語らずして。

どーして成功できたのか?というのを、実はどこも解説

していない訳ですね。

 

こちらをご覧ください。

 

まず母屋には、中小姓以上と言われる所謂”士分”と呼

ばれる家臣、武士達が20人。

と、吉良上野介本人がいた訳です。

 

そして長屋には、足軽と中間(ちゅうげん)と言われ

る人達が130人からがこの深夜3時には寝ていた訳です。

 

 

まず、中小姓以上の武士とは・・・。

 

 

特徴

グラハムくんのように、袴を履いていて。

そして最大の特徴は。

 

自分の刀:あり

戦闘参加義務:あり

討ち死:あり

(大名を命がけで守る義務あり)

 

 

それに対して長屋にいる、中間と足軽とは。

 

 

特徴

もしゅもしゅくんは中間(イメージです)でして。

そして特徴は。

 

自分の刀:なし

戦闘参加義務:なし

討ち死:なし

 

中間という人達は、この吉良家の屋敷で行われる典礼の

手伝いや荷物運びが主な仕事なのであって。

吉良本人を守るとか、前線で出て戦うといった兵站を積んで

いる訳ではないんです。

なので武器も持たない、兵法もない訳です。

 

そして足軽とは。

 

 

特徴

マンセルくんは、足軽(のイメージ)でして。

彼も自分の刀を持っておりません。

ただし中間と違って・・・。

 

自分の刀:なし

戦闘参加義務:あり※ただし条件あり

討ち死:なし

 

足軽は戦闘参加義務はあるんです!

ただし!それにも条件があって、いわゆるグラハムくんの

ような、中小姓以上の武士が一人物頭(ものがしら)

に就任して。敵が襲ってきたとあらば!

戦闘が発生した際に、物見頭から弓や、槍を支給されて

初めて戦闘に参加できる訳です。

 

↑ここが絶対大事なのです。ここ抑えててください。

この後随所にでてきます。

 

なので、中間や足軽は・・・?

 

そうなんです、武器がない丸腰の状態なのです普段から。

武器もない、一部は兵站も積んでいない人々130人が

そこにいたにも関わらず・・・。

 

結果、閉じ込められたら何もできない!

という事。

 

更には、仕えた大名を討ち死してまで守るという義務が

彼等にはない訳です。

 

これらの武士社会の身分の振り分けというのは、武士で

あれば誰でも当然知っていて当然の話であって。

これは武家社会に生きる人の基本的なルールなので。

大石達はその身分制度の盲点を突いた!

という戦いを挑んだもので。

大石内蔵助の戦略が、ズバリ当たる訳ですね。

 

現代に例えるならば・・・。

都心で大雪が降って交通機関がマヒをした時に・・・。

会社の重役クラスの人は、何が何でも出社しないとならない

のに対して。アルバイト等は、交通機関が動かないんじゃ出社

できないよね!?って事で有給とって休んでも責任問われな

いみたいな事と思っていいかなと。

 

つまり武家社会の基本的なルール他それを知らない我々や

一般庶民が、後々色んなデマや嘘が浸け入る格好になってい

るのもそこが原因なのです。

 

さて、大石内蔵助。

この150人vs47人の戦い、どーやって母屋と長屋を

分断していったのか?

次の謎を紐解きながら、上の二つも同時に解決してましょう。

 

3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け

(大石内蔵助の戦術)

 

まずは、米屋に集結した赤穂浪士達の動きから。

 

 

米屋の中で47人は完全武装を施し、吉良家の長屋前の道路に

集結し。表門、裏門にそれぞれ23人と24人の編成で分かれ

るのだった・・・。

※原惣右衛門覚書による

(参考文献は、この先緑で表記してゆきます)

 

赤穂浪士47士の全スターティングメンバーを

改めて紹介しましょう!

 

表門部隊

 

司令部

大石内蔵助、原惣右衛門、間瀬久大夫

 

屋内討入隊

片岡源五右衛門、富森助右衛門、武林唯七、奥田孫太夫、

矢田五郎右衛門、勝田新左衛門、吉田沢右衛門、

岡島八十右衛門、小野寺幸右衛門

 

場の内隊(屋内からの脱走者を討つ部隊)

早水藤左衛門、神崎与五郎、矢頭右衞門七、大高源五、

近松勘六、間十次郎

 

屋外隊(屋敷の外へ逃げる者を討つ部隊)

堀部弥兵衞、村松喜兵衞、岡野金右衛門、横川勘平、

貝賀弥左衛門

 

 

裏門部隊

司令部

大石主税、吉田忠左衛門、小野寺十内、間喜兵衞

 

屋内討入隊

磯貝十郎左衛、堀部安兵衞、倉橋伝助、杉野十平次、赤埴源蔵

菅谷半之丞、大石瀬左衛門、村松三太夫、三村次郎左衛門

 

屋外隊

潮田又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、

千馬三郎兵衞、茅野和助、間新六、木村岡右衛門、

不破数右衛門、前原伊助

 

寺坂吉右衛門は、裏門から邸内には入ったようだが。

どうやら?大石内蔵助の表門隊からの指示命令を、隊や裏門

の息子、大石主税への伝令ではないか?と・・・。

 

(裏門隊は主に武闘派が集められていた)

 

吉良の寝所が近いと思われていた、吉良の裏門前には腕に

覚えのあるメンバーを中心に集められており。

もっとも激戦区を想定してたもよう。

 

 

しかし、裏門隊は到着後直ぐに潜入する訳ではあり

ませんでした。

そして、今見えている白い壁と屋根の部分。

この長屋が、この事件の勝敗を決定づける大きなもの

なるのですが・・・またそれはおいおいで。

 

(表門、裏門で持ち場所に着きました)

 

そして、こちらが現在で言うところの。

Googleマップ映像です。

 

矢印のあるここ↑に現在、マンセル、グラハムくんはおります。

 

そして、前原伊助宅の米屋前で二手に分かれます。

 

右方向が大石内蔵助率いる表門部隊。

左方向が大石主税率いる裏門部隊。

 

彼等は吉良邸内で再び出会う時。それが吉良邸完全制圧を

した刻!ともいうべきでしょうか?

それぞれ47人が、思い思いの気持ちを持って門へ向かって

移動を開始しました!

 

(散々使っているこの映像が・・・)

 

マンセル:ぼくの後ろ方向!こっちへ大石内蔵助と、表門部隊

が向かった方向で。

 

(新たな映像を!)

 

マンセル:こちらの交差点を行った先!今指差している、

この辺りの先に当時の裏門があった訳です!

 

グラハム:裏門が実はめっちゃ近い!

という事はですね、あの時代劇の中にあるように・・・。

 

47人が徒党を組んで走る必要が全くないですね。

 

 

なので、このシーンは。完全に後世の我々や、討ち入りの事情

が解ってない人々による。この話に対して脚色した部分、

演出だったのです。

実際には、ほとんど走ってない。むしろ23人と24人に

分かれた後、静かに静かに表門、裏門へ向かった訳です。

 

それではまず!我々は、大石内蔵助率いる表門部隊と共に

行動を共にしてみましょう!

 

(本所松坂町吉良邸表門)

 

(表門に集結した表門部隊)

 

このテレ朝の忠臣蔵は、ここで裏門隊が離脱して裏門へゆく

のですが。先にも書いているように、裏門の方が断然近い

のにこちらへ回る理由は全くありません。

 

(てくてく・・・てくてく・・・)

 

(はい、こちらが現在の表門でございます)

 

マンセル:さて、こちらが現在の吉良邸表門跡地でござい

ますよ。

 

グラハム:ここはもう普通に会社の入り口じゃないですか!?

 

(看板を読むベアーズ)

 

ふむふむ・・・やっぱりここにも文献通り同じ事が書かれて

おりました。

 

(看板オンリーで)

 

ここにも記載されていない事としては、表門部隊は主に

長屋を制圧する任務がありました。

 

静かに梯子をかけ、表門斬り込み隊長?間十次郎がまず

先陣を切って潜入します。

 

 

そして・・・ドラマや映画では門を開けて〜・・・。

表門部隊を全員招き入れて、邸内での乱戦がスタート

する・・・?

 

という感じになりますが。

実は門を開けずに、大石内蔵助も梯子を上って下りて邸内へ

静かに静かに潜入してゆきます。

※涙襟集より

 

だが、この時屋根から2名の赤穂浪士が転落します!

一人は原惣右衛門、もう一人は神崎与五郎の2名。

腕、脚を負傷してしまいます。

まだ斬り合いにもなっていないにも関わらず、赤穂浪士側に

早くも2名が戦力ダウンしてしまいますが。

まだ吉良側に赤穂浪士潜入は気付かれておりません。

※江赤見聞記より

 

そーなんです!実は、表門部隊は静かに静かに。

気づかれないように潜入する事が一番大事だったのです。

何故ならば、兎に角長屋にいる130人を戦闘不能の状況

に追い込まねば。赤穂浪士に勝利が無いからなのです。

 

そして、吉良邸内へ潜入に成功した表門部隊24人。

母屋は部屋数30以上あるという中で、表門部隊はまず

長屋封鎖に入ります。

この日の茶会と酒の宴に泥酔して酔いつぶれて寝ている、

長屋の130人を孤立させなければなりません。

 

大石内蔵助は・・・直ぐ様、長屋方向へ指示を出します!

(イメージです)

 

この表門看板にもありますが、彼等は部隊をさらに半分に

割って長屋を封鎖に入ります。

今映像に見えている長屋の戸をこれらの道具をもって封鎖

する訳です。

 

(現代の道具ですが、金づちとかすがい)

 

長屋の封鎖の鍵はこれだったのです。

金づちがなかったので、プラスチックハンマーですが。

表門部隊は金づちとかすがいを持って長屋の戸を全て封鎖

するのでした。

 

(イメージ)

 

柱と戸をこのかすがいで打ち込み、開かないように封鎖

して歩いた訳です。

長屋の中にいた、中間や足軽達はようやくこの時。

表の方から、このかすがいを打ち込む。

 

トントントントントントン・・・。

 

この音は、かすがいを打ち込む音でようやく目が覚める

訳です。

表から聞こえてくる、この謎の音に中にいる130人は

寝ぼけ眼で戸を開けようとすると開かない。

何が起きているのか不安が募る中に・・・。

※寺坂信行筆記より

 

 

決して大石内蔵助の打ち鳴らす、あの山鹿流陣太鼓ではな

かったのです。

むしろ大石は太鼓すら持っていなかったのです。

※史実により

 

 

(イメージです)

 

さらにそこへ、戸の外から長屋室内へ向かって。

無数の矢が撃ち込まれます!

 

(イメージです)

 

戸が開かない上に、暗闇の中へどこからともなく飛んでくる

その矢に。長屋にいる家臣達は大パニックになります。

長屋の中はまさしく阿鼻叫喚の世界が広がった訳です。

当然矢が刺さり、重軽傷を負う者が続出。

その無数に飛んできた矢に刺さった人数が重軽傷者の人数に

なる訳です。

室内に大人数がいる事でより恐怖を煽った結果になるのでした。

※涙襟集より

 

更には外から、神崎与五郎などが長屋の中にいる人間へ

向かって。

「神崎隊50封鎖完了!続け!」

というように、人数も水増しして。中にいる人間に表に

出たら相当数人数がいると恐怖心を更に募らせた訳です。

事実、長屋に閉じ込められた家臣達は、朝になってもまだ

赤穂浪士達が100人単位で押し入ったと思っていたという

程でした。

※易水連袂禄より

 

そして、長屋制圧したタイミングで大石は動きます。

 

ここに次のキーパーソン!

寺坂吉右衞門の登場になります。

 

寺坂吉右衞門が伝令に走ります!

その伝令先とは・・・。

 

裏門に到着して、今や遅しと待ち構えている息子。

大石主税率いる裏門隊へ突入の指示を出す為であります。

 

(再び吉良邸外の道です)

 

マンセル:再び表に出てきました。

 

グラハム:ここを寺坂は伝令で走った訳ですね。

 

(こんな感じで・・・)

 

マンセル:えっほ!えっほ!えっほ!

今だったらショートメール一発で連絡できるのに、元禄の

頃はそうはいかなったよね。

 

グラハム:寺坂吉右衞門!当時38歳!!

彼がここを全力疾走で裏門へ走った!!

元禄当時の全力忠臣蔵だ!

いよいよ裏門隊が動き出す!!

 

この話の続きは、次回へ。

 

 

忠臣蔵での戦力分布図では。

 

赤穂浪士   吉良家家臣

47人  vs 約150人

 

だったのが・・・

長屋を封鎖し完全に制圧した事で・・・。

 

赤穂浪士    吉良家家臣

47人    vs20人

 

さっきまで状況では

1人vs3.1

だったのが・・・。

2.3人vs1人

 

という開戦前の圧倒的人数的に不利な状況だったのが。

長屋を制圧した事で、一気に赤穂浪士

側に勝機が見えてきました。

 

更にこの後、一向二裏作戦が展開される事により。

一気に戦況が赤穂浪士側に傾きます!

 

が・・・この後思わぬ事態に陥ります。

 

大石内蔵助と赤穂浪士の大勝利は、更にこの後どのように

して本懐を達成できたのか?

 

この続きは下へ!

 

 

今まで知られている、ドラマや大河ドラマですら表現されて

いない話。あるいは脚色された話。

それらは全てというか、割と違っているというか。

歌舞伎や他浄瑠璃等の演出や脚色、あるいは時代劇や

ドラマ、映画で描かれているものとは違うという事で。

 

それらを一つずつ紐解きながら、現地へ赴きながらそれら

の謎や史実を解明していこうという訳ですが・・・。

 

ちょっとだけ振り返りつつもこの後まだ解説していない

項目へ突入していこうと思います。

まずはこれらの項目から一つずつ解説しましょう。

 

1:長屋封鎖作戦と綿密なルール

(ある意外なものがそれを可能にした!?)

2:武家社会の身分制度

(武家社会の盲点を突いた)

3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け

(大石内蔵助の戦術)

4:一向二裏作戦

(現在でも空軍が使用している先端戦術)

5:追い詰められた、吉良上野介の最期

(知られている時代劇とは全く違うエンディング)

6:泉岳寺までの道のり・・・

(本当は予定にない行動だった?)

 

 

1:長屋封鎖作戦と綿密なルール

(ある意外なものがそれを可能にした!?)

 

(現在の吉良家の長屋のあった場所)

 

マンセル:いよいよ今日は、最後まで行くよ。

 

グラハム:遂に本懐を遂げるところまでだね!

 

 

ナレーション対応

 

まずこの討ち入りに一つ大事なキーワードがあった。

それは、長屋制圧にあった!

 

(手前の白い壁と、屋根瓦の見えている↑ここ。奥が母屋)

 

屋敷内は吉良上野介と家臣で約150人

 

いたとされている訳でして。

当然前にも書いたように、47人がまともに150人相手に

斬り合いになれば?当然1:3の圧倒的な戦力差が赤穂浪士

には絶対の不利があった。

そこで大石内蔵助はここでまず策を巡らした訳ですが。

 

長屋と母屋を分断して長屋の孤立

長屋の家来を閉じ込める事には成功!

 

長屋にいた約130人の、中間、足軽達は閉じ込められ

戦闘不能状態に。

 

戦闘参加義務のある足軽も閉じ込められた。

戦闘が発生した際に、物頭から弓や、槍を支給されて

初めて戦闘に参加できるのだが身動きが取れない。

 

↑ここが絶対大事なのです。ここ抑えててください。

この後随所にでてきます。

 

なので、中間や足軽は・・・?

 

そうなんです、武器がない丸腰の状態なのです普段から。

武器もない、一部は兵站も積んでいない人々130人が

そこにいたにも関わらず・・・。

 

結果、閉じ込められたら何もできない!

という事。

 

更には、仕えた大名を討ち死してまで守るという義務が

彼等にはない訳です。

 

つまり武家社会の基本的なルール他それを知らない我々や

一般庶民が、後々色んなデマや嘘が浸け入る格好になってい

るのもそこが原因なのです。

 

 

3:表門部隊と裏門部隊の戦術分け

(大石内蔵助の戦術)

 

長屋制圧を完了したタイミングで大石は動きます。

 

ここに次のキーパーソン!

寺坂吉右衞門の登場になります。

 

寺坂吉右衞門が伝令に走ります!

その伝令先とは・・・。

 

裏門に到着して、今や遅しと待ち構えている息子。

大石主税率いる裏門隊へ突入の指示を出す為であります。

 

(再び吉良邸外の道です)

 

マンセル:再び表に出てきました。

 

グラハム:ここを寺坂は伝令で走った訳ですね。

 

(こんな感じで・・・)

 

マンセル:えっほ!えっほ!えっほ!

今だったらショートメール一発で連絡できるのに、元禄の

頃はそうはいかなったよね。

 

グラハム:寺坂吉右衞門!当時38歳!!

彼がここを全力疾走で裏門へ走った!!

元禄当時の全力忠臣蔵だ!

いよいよ裏門隊が動き出す!!

 

寺坂吉右衛門は、裏門から邸内には入ったようだが。

大石内蔵助の表門隊からの指示命令を、隊や裏門の息子、

大石主税へ伝令に走った!

 

(裏門隊は主に武闘派が集められていた)

 

吉良の寝所が近いと思われていた、吉良の裏門前には腕に

覚えのあるメンバーを中心に集められており。

もっとも激戦を想定してたもよう。

 

 

しかし、裏門隊は到着後直ぐに潜入する訳ではありません

で。彼等は表門部隊とは違った、陽動作戦を担うのでした。

 

(えっほ!えっほ!えっほ!)

 

マンセル:裏門までもう少しだ!

 

グラハム:寺坂さんはここを何回か往復しているんで

すよね!?

 

マンセル:大変だったろうねぇ〜、サッカーのフォワード

並みの運動量だっw

 

(こちらは現在の吉良邸裏門前)

 

(裏門討ち入りの刻、イメージ)

 

(着いたぁ〜!)

 

マンセル:主税さま!長屋の封鎖!完了しました!

 

グラハム:ぼ、ぼく???・・・。

あい分かり申したぁ〜!

 

(っていう感じで・・・?)

 

グラハム:ここでいよいよ陽動作戦開始だね。

 

マンセル:行くぞ!!

 

グラハム:火事だぁ〜〜っ!!

 

マンセル:火事だ!

火事だぁ〜〜〜っ!!

 

グラハム:ハンマーでぶち破れ!

 

マンセル:どかーん!どかーーん!

 

 

ナレーション

実は、裏門隊は。表門隊からの封鎖完了の知らせを聞いて。

裏門隊の浪士達は、大声で火事だ火事だと喚き立て。

裏門を大きな木槌で打ち破り吉良邸内へ、今度はワザとに

騒ぎを起こして侵入するのです!

※丁未雑記より

 

(裏門隊隊長、大石主税)

 

当時まだ元服したばかりの15歳。今で言ったら、ジャニー

ズJr.的な存在だったであろう彼。

討ち入りに消極的に見せかけていた大石内蔵助の意思を伝える

べく、単身江戸へ入城し。江戸で燻る赤穂浪士達を束ねると

いった。15歳らしからぬリーダーぶりだった訳です。

 

(吉田忠左衛門)

 

こちらは、その15歳大石主税を脇で支える重鎮。

武術も当然ながらある意味ではこの隊の中のナンバー2。

プロフェッサー的な存在は、隊をまとめるには15歳の

主税よりも。士気を高める存在だったのでしょう。

 

 

ここで裏門隊を率いるこの二人の重要な役割をここで

解説しないとなりません。

 

もちろん大石内蔵助の指示の下で、裏門隊の隊員を率いる

というのは誰もがみて当然のように見える訳ですが。

この二人は裏門の戸口で待機して、火事を鎮火させる為に

派遣された。火消し大名役や、火消しの祈祷師的な役など。

彼等は討ち入りをしている浪士達が中で捜索できるように

彼等が戸口での幕府役人や上杉方の援軍に対応する為にも

火事場を装っていたのだった。

 

事実、江戸時代の火災消火は2つ。

 

一つは破壊消法。

出火元より先に延焼してしまう可能性のある家屋を壊す。

いわゆる木遣りの登場になります。

そしてもう一つは、火災が沈静化するように祈祷するという

もので。その祈祷をする大名職がある訳で。

その2人に彼等は変装していたという訳です。

 

そして、裏門での火事だ!火事だ!

の大騒ぎに目が覚めた母屋の中小姓以上の家臣達は、寝ぼけ

眼で外へ飛び出してきたところを一斉に弓が飛んできた

と言う・・・。

そして、火事ではないと知った母屋の家臣達と。赤穂浪士

達の壮絶な斬り合いが始まった訳です。

この騒ぎを聞いてようやく吉良側の剣豪、山吉新八、清水一学

辺りが目を覚まして刀を持ち身構えた訳です。

※丁未雑記より

 

ここ裏門から、吉良家の家臣達と壮絶な斬り合いをしながら

吉良上野介一人を探し出すという。

裏門は腕っぷし確かな強者達が表門部隊のと合流できるのか?

 

その頃表門部隊にも動きがあります。

 

(イメージです)

 

片岡源五右衛門が討入りの口上が始まります。

 

我等!浅野匠下家来である!

今宵、亡き主君のご無念を晴らさんが為

推参致した!

 

ここで討ち入りの大義を表明し、対するのは幕府ではなく

吉良家と吉良上野介への仇討ちであるとこの時点で宣言し

我々は姑息な手段は取らないとここで表明しておく。

 

この口上でもって、長屋に閉じ込められている家臣達も

これは辞めておこうと・・・彼等の戦意をも削ぎ。

表に出るのは危ないから止めようと心理的にも閉じ込める

為でもあったのだ。

なにせ、丸腰の上に。中は怪我人だらけ、表に出たら完全

武装の腕っぷしのある侍達が身構えている。

我々もカネは貰っていても、そこまで上杉家や吉良家に思い

入れるものがない為。完全に戦意そのものを封じ込められた

格好になった訳です。

 

かかれ!

大石内蔵助の号令一発!

いよいよここから、表門部隊が母屋へ突入していきます。

 

まず表門部隊は真っ先に、武器庫へ向かいます!

 

 

(イメージです)

 

前の記事にも書いたように、足軽へ支給される筈の弓、槍、

薙刀などを破壊して。使い物にならなくする。

 

これにより、足軽達の使える武器を喪失する事で。完全に

戦力としても使い物にならなくすると言う。

これが表門部隊最初に取った重要な作戦だったのです。

※涙襟集より

 

武器という武器を破壊し、使い物にならなくする事で。

一気に戦局は赤穂浪士に傾いていく訳です。

 

それではここで現在の状況を地図で確認しましょう。

 

 

前原伊助宅の米屋前で二手に分かれた赤穂浪士47人は、

表門部隊は静かに潜入し、長屋封鎖に成功。

裏門部隊は逆に、火事場を装い裏門を破壊して突入。

 

黒い四角で囲った辺り、ここに当時吉良の寝室があったと

されている吉良の寝所。

裏門での騒動に母屋にいた家臣達が、裏門へ引き寄せられ

ている。

表門からは直線距離でおよそ100m離れており、長屋の

封鎖はおろか表門側から一部屋一部屋静かに、しかも片っ端

から捜索しながら裏門へ向かってシラミ潰しに捜索ができる

という。

裏門に人を惹きつけさせて、表門からは妨害も少なく捜索が

できる上に。表門から侵入されているとは、裏門側では全く

分からない状況だったのだ。

 

彼等は吉良邸内で再び出会う時。それが吉良邸完全制圧

を果たしたという格好になる訳です。

 

忠臣蔵での戦力分布図では。

 

赤穂浪士   吉良家家臣

47人  vs 約150人

 

だったのが・・・

長屋を封鎖し完全に制圧した事で・・・。

 

赤穂浪士    吉良家家臣

47人    vs20人

 

さっきまで状況では

1人vs3.1

だったのが・・・。

2.3人vs1人

 

という開戦前の圧倒的人数的に不利な状況だったのが。

長屋を制圧し武器も破壊した事で、

更に赤穂浪士側に勝利が見えてきました。

 

更にこの後、一向二裏作戦が展開される事により。

一気に戦況が赤穂浪士側に傾きます!

 

が・・・この後思わぬ事態に陥ります。

 

大石内蔵助と赤穂浪士の大勝利は、更にこの後どのように

して本懐を達成できたのか?

 

続く・・・。

 

吉良上野介を見事に討ち取り、吉良の亡骸を47人が囲み

勝ちの気をあげた赤穂浪士達。

室内の明かりや、ひっくり返した火鉢や他、蝋燭を消火し。

吉良上野介の首を井戸で洗い、亡骸は寝所の布団に寝かた

という訳ですが。

 

(こちらが現在残る、首洗いの井戸)

 

マンセル:ちょっとおっかねえ〜な・・・ここ。

 

グラハム:堪りませんねぇ〜・・・。

 

(ここで亡くなった吉良上野介公)

 

吉良邸の中には22人の亡骸が転がる惨状になっている

訳で。赤穂浪士達は返り血を浴びている者も多い訳です。

 

しかしながらここでも、大石内蔵助以下47人は全く安堵

する事はありませんでした・・・。

幕府側の鎮圧部隊や、上杉家からの増援部隊等の到着がある

のでは?と。最新の注意を怠ってはおりませんでした。

 

どこまで真実か?最後まではっきりしませんでしたが、

吉良の首を取り返しにやってくるであろう?上杉家の援軍と

の乱戦を想定して、首をすり替えて。本物の首は船で泉岳寺

へ?あるいは、掲げた首の替わりに血のりをつけた籠を掲げ

たのでは?という。様々な説が出るものの、どれも確証が

得られるものはありませんでした。

 

しかし、確証のある史料では。幕府からの命令で、上杉家

に向けて。仇討ちの仇討ちは為すべからず!

という触れが出たようで、当時上杉家上屋敷は、現在の法務省

のある霞ヶ関付近にあったという。

そこから、両国方向へ援軍を差し向けるという場合も同様。

幕府の要所を通る事にもなり、江戸の街を混乱に落としめる

格好になる。ますます大事件に発展しかねない状況を、幕府

は事前に制した格好に・・・。

 

(イメージです)

 

吉良の首を掲げての、泉岳寺への行軍中。

 

 

6:泉岳寺までの道のり・・・。

(本当は予定にない行動だった?)

 

(どーも!)

 

マンセル:現在残されているこちらは、公園になっており

まして。実は、赤穂浪士討ち入りの後。吉良家はここを幕府

から取り上げられまして、町民達へ払い下げられる事になり

ました。つまりは没収されてしまったんですね。

 

グラハム:しかしながら、吉良家の為にという事で。

有志によりまして、約70分の1位の土地を購入して。

公園として、そして、ここで亡くなった吉良上野介と、その

家臣達を祀る屋代が建てられており。

毎年義士祭はこちらで行われております。

 

(こちらは現在の吉良邸裏門前)

 

さぁ、赤穂浪士一行は本懐を遂げ。全員が一路泉岳寺へ向かう

というのが。定番だった訳ですが・・・。

 

(さてさて、この後の行動ですが・・・)

 

マンセル:まあ、みんな。大体の人はこの後13km先の

泉岳寺へ向かうと思うでしょ!?実はそうじゃなかったんだ

よ!

 

グラハム:どうしようというのでしょうか?

 

マンセル:まあ、その前にだ。この企画の冒頭にあった

疑問!覚えているかな?

周辺の大名達はどういう行動をとったのか?

実は具(つぶさ)に調べた人がいるので、そちらを紹介しよ

うと思うぞ。

 

 

まず、裏門に最も近く。高張り(高提灯)を掲げたという

土屋主税の家では・・・。

はじめの火事だ!火事だ!という声、これはどうやら聞こ

えていたらしいのだが。

庭に出てみると喧嘩のように見えたらしく、当主主税は家来

と共に塀際まで行き。

吉良邸の中へ声を掛けたところ、片岡源五、原惣右衛門、

小野寺十内達が、吉良を討ち取り本懐を遂げたという返答が

あったという。

 

つまりは、隣で何か騒がしいな?と思ってはいたものの。

実際中で何が起きているのかまでは、把握していなかった

のだ。

この事だけでも、土屋主税宅ですら中の状況がわかってい

ないにも関わらず。討ち入りの最中に高張り(高提灯)は

建てられる理由も無い筈で、更に資料にはそれを聞いた後に

高張り(高提灯)を掲げて警護した。という記述もあるの

だが・・・?これも少々怪しい。

 

というのも、討ち入ってから1時間30分でこの騒動が

決着しており。吉良上野介は隠れて夜明けを待っていた。

夜が明ければ、幕府や上杉からの援軍で助けてもらえると

そう思っていたからなのだが・・・。

しかし、時既にもう夜が明けて空が白み始めているにも

関わらず、提灯の灯りが必要だったのか?

という点においては疑問でしかない。

もう明るくなり始めているのにわざわざ提灯を灯すだろう

か??と。むしろ、赤穂浪士達は火を消して歩いている訳

なのだから・・・。

 

少なくとも、討ち入りの最中。土屋家が討ち入りに気付いて

庭を高張りで明るくした。という事は基本的には無かった、

だからこそお家は存続できたに過ぎないのであって。

討ち入りの時には彼等は全く気付いてはいなかった。

というのが正しい解釈だろう。

 

ドラマや映画、歌舞伎などでもこのシーンはあってもこれは

嘘である可能性が相当高く。

先に出した、あの芸人風情の話はやっぱり嘘だったという

結論に至れる。

 

更にそれを証明するように、同じ北側に隣接していた本多

孫太郎の屋敷の状況も見えてきた。

 

本多家も吉良家と隣接した北側に居住しているが。

当夜騒がしいので外へ出てみると、吉良家の屋敷で火が出た

ようだったが。中の様子は全く分からず、その内に静かに

なってしまった為。その時討ち入りがあったとは知らな

かったという。

 

本多家でもやはり、中の様子は全く把握できておらず。

火事かと勘違いしたのだが、すぐに静かになった事で沈静化

したものと思っていたのだから。

彼等とて同じ条件の下でも、同じ対応だった訳で。

土屋家とは違って、表門寄りだったのもあって。結果中で

何が起きていたのか?というのは、先にも報告したように。

表門部隊は静かに静かに潜入していった事を、より証明する

証言でもあり。

 

同様に表門の道路挟んだ向かいに住んでた、旗本の牧野一学

成純(長門)の屋敷では。

吉良邸での物音には気付いた様子。火事のように方々で声が

したので出ていったのだが。大きな声は聞こえたものの、

中の様子は全く分からず。万が一の時に門番をつけたものの

その後何もなかったのでそのままにしていたという。

 

大石内蔵助以下、赤穂浪士47人は。見事なまでに、静かに

そして大胆な作戦でもって、この討ち入りを成功へ導いた。

そう言えるのではないでしょうか?

 

(しかし、ここからがまた一波乱?)

 

マンセル:いよいよ、吉良の首を掲げて移動だね。

 

グラハム:ささ、次の場所へ向かいましょうか?

 

(こうして、我々も吉良邸を後にします・・・)

 

(回向院)

 

(はい、到着!)

 

マンセル:回向院へやってきました。

 

グラハム:ここは、吉良邸からすぐ隣にありますお寺です。

 

(地図をご覧ください)

 

このすぐ隣にあります、回向院。ここへ赤穂浪士達は避難を

して、幕府へ討ち入りの終了を報告し。ここで幕府からの

沙汰を待とうと、立ち寄ったのですが・・・。

 

回向院側は、赤穂浪士達を受け入れる

事を拒んだのだった!

 

返り血に塗れた赤穂浪士達をここで引き受ける事で、幕府から

目をつけられる事もあっての事か?

あるいは、仇討ちの仇討ちに巻き込まれる可能性も考えての

判断か?詳細は解らないままでしたが。

 

大石内蔵助と赤穂浪士達は、ここに避難していれば。

上杉家からの援軍や幕府との交戦も避けられるという判断も

あったのでしょう。

ここで大石達は、突如路頭に迷う格好になったのです。

 

(引き続き、回向院前の二人です)

 

マンセル:弱ったなぁ〜、ここを避難所にするつもりが。

まさか追い返されるとはねぇ。

 

グラハム:そりゃねぇ〜殺人犯した人が逃げ込んで来られ

ても、普通の人なら慌てますよね。

 

マンセル:とはいえ、お坊さんだぜ!?

 

グラハム:一応仇討ちとは言えども、手段ともあれ殺生だか

らねぇ〜・・・。

 

(さぁ〜どうする?大石内蔵助!)

 

マンセル:またここでも諸説生まれてしまう訳ですね。

 

グラハム:泉岳寺まで13km、この行軍が。後々の彼等は

再仕官へのデモンストレーションだった説とか。

 

マンセル:あるいは、単にこの忠義の戦いでお家再興を

狙ったのか?と、どんどん真意とは別に尾鰭に背鰭も付いて

勝手に動き回るのでしょうね。

 

グラハム:流石にここでのパフォーマンスまでは、彼等として

もそこまで計算にはなかったのは確かなのでして。

広告代理店のような用意周到さとも違う緊急事態だったに

違いないのでしょう。

 

(で、この先)

 

マンセル:この道を真っ直ぐ進むと、両国橋があります。

 

グラハム:隅田川だね。

 

(パンダウンしました、他の人が映るので)

 

マンセル:そうなんだ、隅田川のこちら側。

一応現在は東京都だけれども・・・

 

グラハム:当時は下総の国、現在で言えば千葉県!

 

マンセル:つまり江戸じゃないところでの襲撃事件な訳

ですから。完全武装のまま江戸へ入ると・・・?

 

グラハム:幕府への反抗!?とも取られてしまう・・・。

ましてや、このまま真っ直ぐ両国橋を越えた先は。

 

マンセル:八丁堀に、小伝馬町といった。同心達の居住

エリアだったり政治犯の入る牢屋のある場所でしたからね。

このまま進んだら・・・幕府と全面衝突してしまうね!

 

(しかし、行き場のない浪士達・・・)

 

マンセル:ひとまず、両国橋へ向かいましょう。

 

グラハム:大石内蔵助の足取りを辿りますよ。

 

(2年前の映像、両国橋のたもとに着ました)

 

マンセル:急に着替えた風に見えますが、実は2年前の

映像ですよ。

 

グラハム:ここだけタイムパラドックス起きてますが・・・。

 

 

大高源五がここで再び登場です。

 

 

この石碑ですが実は、この周りには何もこの石碑を説明する

看板も。あまつさえ作者は誰なのか?この俳句の意味を解説

するような看板すら設置されていません。

 

しかし、一部の忠臣蔵の時代劇の中で登場している事もあり。

他にもいくつかの資料を元に判明しました。

 

日の恩や 忽ちくだく 厚氷

大高源五

 

これは直訳したら、太陽の暖かい恵みがあれば、どんなに

厚く張った氷でも溶かしてやがては春が来る・・・。

 

という解釈もできますが。

 

日の恩=浅野内匠頭からの恩恵。

厚氷=吉良上野介という仇。

 

としたら。主君、浅野内匠頭がいつもくれる暖かい恩恵を

受けた我々は。吉良上野介という厚く割るのも大変な氷を

打ち砕いて、ようやく我々に春が訪れました。

 

という解釈にも取れるでしょうか?

 

 

風さそふ 花よりもなほ 我はまた

春の名残を 如何にとやせん

 

浅野内匠頭辞世の句

 

への大高源五の変句なのかもしれません。

 

 

 

マンセル:そーなんですよ、ここにこの石碑だけは何の解説

も何も立ってないんです。

 

グラハム:このちょっと広いスペースに?赤穂浪士達は一旦

集結したのでしょうか?

 

マンセル:この橋を越えた先は、まさしく江戸の街です。

 

グラハム:後々ここを葛飾北斎や他多くの著名な偉人も渡る

事になるのですが。大石内蔵助一行はどうする!?

 

 

ここで大石内蔵助は、主君が眠る泉岳寺へ向かう事に。

しかしながら、両国橋を渡ればそこは小伝馬町。

その先には八丁堀と、幕府の要所がある訳で。そのまま進め

ば完全武装の浪士達との衝突も・・・?

そこで進路を南へ、永代橋方向へ進み。

更には、かつて居住していた。浅野家があった築地へ向かう

訳です。

 

(先日行った深川)

 

(最新映像)

 

マンセル:この道は両国橋で一旦集結した赤穂浪士47人。

両国橋のたもとから、一路泉岳寺へ向かいます。

 

グラハム:ここを朝が白白と開けるその日、ここを歩いて

通った道なんです。ここから、かつての浅野内匠頭が住んで

いた。現在の築地へ向かいます。

 

 

ここだけ急に小山まりあちゃん登場!と相成りましたが。

築地、現在の聖路加病院の隣は、刃傷松の廊下事件で取潰し

になった。浅野内匠頭の上屋敷がここにあった訳です。

この付近を赤穂浪士達は通過してゆきます。

 

 

更には、築地本願寺前を通過してゆきます。

 

 

そして一行は、3時間で13km先にある泉岳寺へ到着する

のですが。

先の方にも述べたように、全員10kgにも及ぶ重量の武装を

したまま故の行軍だったので。

途中で籠に乗せられて行く者などもいたそうです。

現在だったら、都営浅草線1本がほぼ同じ道筋を行く形に

なるのでしょうね。

 

(都営地下鉄浅草線、京浜急行線、泉岳寺駅)

 

からのぉ〜・・・。

 

(はい、どーも!)

 

マンセル:ぼく達は歩いていたら、いつになるのか?わかり

ませんから。電車に乗ってきました。

 

グラハム:そこは文明に頼りますよw当然でしょ!?

 

(パンダウンしまして)

 

マンセル:さて、討ち入りに成功した大石内蔵助と47人

の赤穂浪士・・・と言いたいところですが・・・。

 

グラハム:寺坂吉右衛門だけは、この討ち入りの報告の為。

兵庫にいる陽成院の元へ連絡に向かいます。

 

(こちらが泉岳寺方向)

 

(こちらが、歩いてやってきた銀座、築地方向)

 

マンセル:あの先に、高輪ゲートウェイ駅ができるという

事なんだね。

 

グラハム:つまりこのゲートウェイというのが、いわゆる

江戸と武蔵の国とを分けるまた県境にもなっているんだね。

 

(つまりは!)

 

マンセル:大石内蔵助一行は、江戸を無事にすり抜けて

ここまでやって来られた訳ですね。

 

グラハム:先にも書いたように、幕府は。仇討ちの仇討ちは

せぬようにという事もあり。更には、当時。今じゃテレビ

だネットニュースだで知れ渡る事件も。

当時既に赤穂浪士が討ち入ったという情報が拡散されている

状況でした。

 

マンセル:瓦版とか口コミがその話を一気に広めた形になった

ようです。

 

(これから向かいたいと思います!)

 

マンセル:それでは、泉岳寺へ向かいましょう。

 

グラハム:あと少しでこの企画も終わるよ!

 

(石碑ですが・・・)

 

(見えますか?)

 

マンセル:どうにも?四十七士・・・???とは読める

のですが・・・。

 

グラハム:きっと赤穂浪士の墓はこちら?的な事なのでしょう

かね?

 

(泉岳寺山門へ)

 

 

マンセル:ようやくここまでやってきました。

 

グラハム:彼等はここに眠っている主君、浅野内匠頭の墓前へ

吉良の首を引っさげてやってきました。

 

 

マンセル:ここには大石蔵之助さんの像が立っております。

 

グラハム:彼等の本懐を遂げたというのは、美談としては

多く語られる訳ですが。

お坊さん達も彼等へ、いわゆるサイン攻めに会うのですが。

一方では、殺生な訳ですから。後から落ち着いてくるとその

辺りの冷静さもまた備わる訳です。

 

マンセル:それでは中へ入って行ってみましょう。

 

 

続きは、新しい最終ページへ。

現在工事中の、高輪ゲートウェイ駅が完成したら。

より近くに見られるようになる?こちら泉岳寺。

46人が、江戸の町民に歓迎されながらも。討ち入り後の

赤穂浪士達は、相当疲れた状態でここやたどり着き。

しかしながら、上杉家からの反撃があるのでは!?という

警戒もしつつ。どちらにしても中に入るまで、落ち着く訳

でもないまま到着します。

 

 

マンセル:ここには大石蔵之助さんの像が立っております。

 

グラハム:彼等の本懐を遂げたというのは、美談としては

多く語られる訳ですが。

お坊さん達も彼等へ、いわゆるサイン攻めに会うのですが。

一方では、殺生な訳ですから。後から落ち着いてくるとその

辺りの冷静さもまた備わる訳です。

 

マンセル:それでは中へ入って行ってみましょう。

 

(更に中へ)

 

(お墓や他はこの左手奥)

 

 

(その前には・・・)

 

この石と木には、先にあの新橋で切腹した。

浅野内匠頭の鮮血が飛んだという、その時の石をこちらへ

運んだそうです。

 

 

元々はこの辺りにあったという・・・。

 

 

更には墓前へ奉納する前に、もう一度ここで吉良の首を

洗ったという井戸も残されております。

 

 

こちらは噴水の池にも見えますが、実はこれ!

 

 

両国から泉岳寺までの行軍の際の隊列を模したものでして。

こちらの資料を基に配置されていたものでした。

どこに誰が歩いていて、誰が吉良の首を掲げていたのか?

そんな事の事細かなシフトまで読み解けるようになっており

ます。

 

彼等はこのフォーメーションを見てもわかるように、上杉家

の援軍や幕府との衝突等。あらゆる状況において警戒を一切

この時点では解いてはいなかった訳です。

 

 

(そして、泉岳寺周辺の地図です)

 

泉岳寺へやってきた赤穂浪士達・・・。

彼等は、細川家や他数件の大名屋敷へ身柄を預けられます。

今回の討ち入りの一件においての処罰をしばらく待つのでした。

 

(マンセル、ここが泉岳寺。今いるところ)

 

(こっちが大石内蔵助他16人が預けられた細川家)

 

そして、彼等全員に切腹の沙汰が降りました。

 

 

あら楽し 思ひははるる 身は捨つる

浮世の月に かかる雲なし

 

大石内蔵助

 

彼の辞世の句です。

今回写真では公開できませんでしたが、大石内蔵助切腹の時

の絵もあるようでして。

絶命して行く時に、彼は全ての任務を終えた安堵感なのでしょ

うか?穏やかな亡き顔だったという絵も残されております。

 

 

泉岳寺の赤穂浪士47人の墓石配置図。

 

 

それぞれに預けられた家毎に固まってここに眠っております。

そして、来訪したこの日。なんて事のない日曜日の昼であっ

ても。ここはお線香の煙が漂い、花が手向けられておりまし

た・・・。

 

確かに、赤穂浪士討入りは。

 

赤穂浪士は善

吉良上野介は悪

 

という構図が出来上がっておりますが、果たしてそうだった

のか?忠義だけでは語られない事も多く散見しております。

幕府の経済政策の失敗、そこから江戸町民達の批判を交わす。

その目的の為に、この一件を利用して。批判の目を吉良へ

偏らせた!?そんな状況だったのではないでしょうか?

吉良上野介は幕府によって、あるいは歌舞伎や他。時代劇

でも映画でも、悪の存在のように見せかけるマッチポンプ

か幕府のプロパガンダに使われたとも思われる。

 

その実、この討ち入りに参加しなかった。元赤穂浪士達への

批判もあれば。

生き残った吉良家の家臣の中にも、主君を守れなかった不甲

斐なさにも批判や。嫌味なども多かったという。

 

これにより、上杉家も断絶になり。

先祖は足利家、更には、今川、上杉といった。戦国時代や

それ以前から続く名門の血筋は。この討ち入り事件でもって

完全に血脈は途絶えるという事に・・・。

そして、浅野家は後に大学による再興を果たすのでした。

 

赤穂浪士達の美談や手柄は、歌舞伎担当。

討ち入りに参加しなかった残りの250人、こっちは落語

担当。人間の業や苦しみ悲しみを説く事に・・・。

 

 

しかし、あの寺坂吉右衛門だけは晩年を生き抜き。

この忠臣蔵の真実を伝えるべく、生かされたというのも。

この事件を正しく伝える為に残され生かされたのでした。

それゆえに、彼の証言もこの事件を読み解く大きな鍵に

なった事は間違いありません。

 

そして、終戦翌年の両国です。

 

辛うじて両国駅が残り、黒い四角で囲ったのが吉良邸跡。

赤い四角で囲ったのが前原伊助の米屋。

青い線で描いたのが赤穂浪士が歩いたと見られる場所。

 

丸い建物は当時の国技館だそうです。後日取材により判明。

回向院は完全に消失していた訳ですし。吉良家も前原の米屋

も空襲で跡形もないのです。

 

で、両国駅から道路1本先のまだ焼け残った家屋。

この付近に現在は両国アクアスタジオがある辺りです。

 

 

そして現在の両国駅周辺の街並み。

 

きつねの裕子:全く繋がりのないように見える1702年

の出来事・・・。それより316年の後、こうして芝居や他

が楽しく見られるというのは。かけがいの無い、大事で

貴重で、幸せな時間。なのかもしれませわね・・・。

 

 

以上が、真実の忠臣蔵です。

そしてそれらを全て、現地にて実際に足を運んで見てきた

この企画もこれでおしまいです!

長らく読んでお付き合い頂きましてありがとうございました。

 

 

最後に、大石内蔵助像を・・・。

 

祝!ブログ開設10周年企画

忠臣蔵完全現地中継!リアル歴史の旅

 

これにて終了!

 

長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました!

2年の歳月による取材は、ここまでです。

 

byがむばるベアーズ

 

今日は、阪神ジュベナイルフィリーズの日ですな。

 

このブログ、中央競馬のGⅠレースの日のみ限定でちょっと

 

レースを予想してみようかとなと・・・。

 

あらかじめ申しますが、非営利で私的な予想なので。

 

的中不的中に係わりなく。一切の抗議苦情および、

 

不明瞭な請求等。これらを一切否定いたしますので。

 

あくまでも参考までで。

 

◎  5枠 10番

ブラウンラチェット   16着

 

○  1枠 2番

テリオスララ   3着

 

▲  8枠 17番

メイデイレディ   13着

 

△  5枠 9番

ショウナンザナドゥ   4着

 

×  7枠 14番

ランフォーヴァウ   11着

 

ま、何時ものようにこんな感じ。結果はレース終了後にて。


なお、結果は主催者発表のものをご確認ください。

 

(望来と未来を掴んだ!人馬初G1勝利へ)

アルマヴェローチェ

 

(夏からここを目指して人馬共に全てを爆発させての先着!)

アスコリピチェーノ 

 

(中団からの一気の末脚!桜の季節の主役を目指して!)

リバティアイランド

 

(一つ一つの困難の先に見た栄光の頂き)

サークルオブライフ

 

(世界初!白毛馬によるG1制覇!新たなる白き星を

継ぐもの・・・)

ソダシ 

 

(無敗のまま華麗なる逃亡劇!)

レシステンシア

 

(直線一気で爆発させる末脚は来年の主役へ!)

ダノンファンタジー

 

(新種牡馬オルフェーブル時代の幕開けを告げる1勝)

ラッキーライラック

 

(駆け抜ける欧州の結晶!ソウルスターリング)

 

(他馬を寄せ付けない絶対の強さ!メジャーエンブレム)


(馬群を斬り裂いて末脚一気!ショウナンアデラ)

 

What aわんだふるワールド

(新たなる女傑誕生の予感・・・。レッドリヴェール)


 

What aわんだふるワールド 
(3頭横一線!激闘の末に、ローブティサージュ)


What aわんだふるワールド 
(最強の姉を継ぐ妹、ジョワドヴィーヴル2戦2勝!)


What aわんだふるワールド 
(上がり最速、大物の予感。レーヴディソール) 


What aわんだふるワールド 
(勝ったアパパネ、レコードタイムは伊達ではない)

 

What aわんだふるワールド

(最後方からの末脚一閃!ブエナビスタの伝説はここから)


What aわんだふるワールド

(大外から一気の強襲、トールポピー)


What aわんだふるワールド

(比類なき闘争本能の爆発!ウオッカ伝説はここから)