2025年3月くまろく←の部屋~Season17th | What aわんだふるワールド

What aわんだふるワールド

がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

午後・・・12時30分を回りました・・・。


Dear.みなさん・・・お昼休みですが、いかがお過ごし

 

でしょうか?

 

こんにちは!くまろく←です。

 

毎月18日は、月誕生日日として。黒い幕の自由枠として、

 

ブログ開始当初から書かせてもらっている日でございます。

 

気になる事や、気になる音楽やら映像を紹介しているのですが。

 

今月は・・・マンセル、グラハムのご両人は最初の映像のみ

 

ではちょっとだけありませんが。

 

2025年もまだまだ続きますよ。引き続き今年も書き続け

 

ますよ。懲りずにお付き合いくださいます皆様へは、

 

感謝申し上げますがずっとこのスタンスでやっていきます。

 

今日のところは、正直見ないでも良いですよ〜という感じの

 

記事になるのかとも思いますので・・・。

 

ここより先をご覧になる方は自己責任でよろしくお願いいた

 

します。ここ以後の記事の内容に関するもの全て了承した

 

ものと判断させて頂きます。

 

それ以外の皆様におかれましては、また明日。

 

お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ以後の映像を観た時点で承認したものと致します。

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(特に、彼等が出たからといっても・・・)

 

 

2025年3月のテーマは、

さらば!おひげ電視台です。

 

 

我々が、インターネットというものに触れた初めての頃合い。

色々な人達から言われた陰口に・・・。

 

「見ず知らずの人と、パソコンで繋がってどーするの?」

「それで一体何がしたいの?」

「なんか陰湿な感じ・・・・」

 

という。それこそ、パソコン通信だの。マイコンなんて言われ

るものには、どこか得体の知れない謎のツールで。

社会に不適格な人の集まりで、陰湿なイメージを持たれたで

あろう時代。

 

ある人達が、それらのパソコンでの通信に未来と活路を見出す

という頃合い。

インターネットは電話回線でなんとか繋がるとか、今となっては

信じられない話。

グレーの公衆電話には、インターネットに差し込める電話回線

のジャックもあった時代があった。

 

 

まだ、がむばるベアーズとして活動してない時期。

 

 

黒い幕さんは別の名前で行動を開始した頃。

プレイステーションでのゲーム。

 

ダービースタリオン

 

をゲームでやり込んでいた時代、ゲーム内での自分の競走馬が

厩舎へ戻りレースをしながら。その都度のレース結果を当時の

”個人HP”に掲載し。

レースが終わって、牧場へ休養に帰ってくる。

 

HP内牧場

 

という位置付けで、個人HPの中で現役競走馬を放牧する。

 

そんなコンセプトからインターネットと個人HPから全てが

始まった。

当時の牧場には、白毛の三冠馬も実はいて。無敗のまま

凱旋門賞を制覇するという。

 

中にはゲームしながら勝手に感動したのが。

新馬戦でデビュー勝ちして、その直後骨折判明で4ヶ月休養。

復帰したオークストライアルで2着で権利獲得

(当時の競争体系によるルール)

オークスへ出走し、12番人気で他馬を置き去りオークス制覇!

3戦2勝のオークス馬の誕生に、号泣していた。

 

他にも、自分の持ち馬2頭が天皇賞・秋へ参戦。

橋本騎手、後藤騎手(現在共に引退しております)

がこの2人が乗った自分の愛馬が逃げ先行の単騎。

4コーナー回って2頭競合い。完全にこの2頭のマッチレース

で3着以下を大きく引き離し。画面には終始2頭の競り合った

ままゴール。タイムは1分57秒1のレコードタイムを叩き

出したり。(当時のレコードタイム)

後に、オルフェーブルvsジェンティルドンナのジャパンカップ

での牡牝三冠馬対決。

それを先取るように有馬記念で自分の馬で一騎討ちの1−2

フィニッシュだったりと。

思えば、今に繋がるような出来事が既に自分のゲーム内では

起こっていた訳です。

 

それらを自分の個人HPの中で表現していた時代。

ある人達は、インターネットを通じて既にチャットを通じて

コミュニケーションを取るようになっていた。

 

ある人達は、アバターを作って。仮想空間に集まって、ホスト

を中心にして会話が始まったり。

 

ある所では、生配信を開始してそこで集まった人達とのやりとり

も始まっていた。

 

 

そんな頃から、おひげ電視台は始まったらしいのだ。

 

始まったらしいというのは、まだまだそこに我々は合流すら

していない時代だった。

 

ようやくネット配信とか、個人配信とか。ニコニコ生放送とか。

YouTube動画とか、ポツポツと始まったかな?という頃。

偶然当時、川崎駅前でストリートで歌っていたあるミュージ

シャンの子が。

 

「実は今、ネット番組に出ているんですよ」

 

という話から、いよいよ我々というか。黒い幕のみですが

まだ当時ね。

 

「ネット番組」を見るという事がその頃から始まった。

それがニコニコ生放送への入り口だった。

 

そのアーティストの子が出ている番組と他曜日の番組の中の

一つに。おひげ電視台に繋がるメンバーやおひげさんご本人

へと繋がってったのがこの繋がりへの第一歩になっていった

のです。

 

全ての出会いと繋がりは、ありとあらゆる偶然が引き起こして

今に繋がっているのです。

 

当時のネット配信なんてのは、まだまだ生まれて間もない時代。

 

ニコニコ生放送はどーしたって2ちゃんねるからの派生で、

悪質なユーザーが多く。(今でもそのままか?)

環境や精神衛生面でも、未だ持って喜んで見ようとも思いま

せん。

ニコニコでは嫌だからという事から、ツイキャスだったり、

USTREAMだったり、スティッカムだったり、先にも出した

ARやVR空間だったりと。

どんどん個人が生配信等で情報発信する時代が始まった。

 

そして、我々がむばるベアーズとしても世に出るようになって

から。このAmebaブログとかも開始し、その3年後に個人配信

をUSTREAMとツイキャスとで始めたのです。

 

その頃、自宅や外出先で個人で生配信なんてやっているという

だけで。一目置かれたものでして。

私もクマさんと一緒に出演したい!という要望もあったの

ですが。

こちらからこういう企画でこういう内容の番組やりますけど

どうしますか?っていうオファーをすると。すっとぼけるか?

メールで企画を送っても無視とか?

スケジュールが合わないとか、ギャラが出ないから行かないと

か・・・。中には、仕事でその日行けません。って言いながら

友達とディズニーランドに行っていた輩もいる位でして。

最初の話何処へやら?

 

今となったら、投げ銭命で。お金にならないと喋らない。

お金貰わないと生活できない。お金貰わないとこのゲームが

できない。

挙句の果ては、猫を飼い始めたので餌代ください。トイレの

シートマットください。冷蔵庫欲しい、リビングのソファー

が欲しい、新しいパソコンが欲しい。

でもこの前断捨離して全部捨てましたので、新しいのが

欲しいとか・・・。

遂には、自分が出演する舞台の稽古場へ行くので。

劇団に差し入れするので。水を箱でくださいとか。

いよいよ、個人配信をお前は何だと思ってんだよ!という、

スイカBARのおばさんみたいなモンスター化してゆき。

 

高田馬場襲撃事件みたいなものに発展するような?深刻な

事件にならなきゃ良いとは思いますが・・・。

 

 

まだまだ、そこまで深刻な状況になる前の。個人配信創世記。

あの当時既に個人配信を発信し続けていたのが今回お話しする、

 

おひげ電視台

 

という訳です・・・。長い前振りw

 

ニコニコ生放送の時の様に、毎日曜日毎に、出演者が変わり。

放送内容も変わり。

 

舞台役者だとか、タレント、グラビア、地下アイドル、芸人、

噺家まで参加してネット配信、ネット放送の番組として成立

させていた訳だ。

 

その頃から既に、今あるテレビでもやっている様な?

 

このゲームをクリアーするまで帰れません。とか。

気になる奇妙な食材をみんなで食べるとか。

レトロなボードゲームや、見たこともなかったようなアナログ

のゲームをやり尽くすとか。

24時間何かやり続けるとか。

流行り始めそうなゲームを体験してみるとか。

 

地上波の番組でも今は当たり前の様にやっている事を、その頃

からとっくに企画に入れてやっていた訳で。

なぜ、そんなに破滅的な企画が続々と出てくるものかと?

その破壊力にまだ観ている側だった一人としては、深夜の配信

だったのもあり。

寝るのを忘れるくらい、爆笑して没頭して観てしまう有様で。

気が付いたら、表が白々と明るくなる・・・。そんな日々でも

あった訳です。

 

そんな配信もどんどん人が集まる様になり、お花見しよう!

 

なんて企画したら。とっくに桜は散って青々した新緑に変

わってしまった桜の下で。若葉を見る会になってしまったり。

漫画に出てくる様な、極太の骨に肉があって丸々焼いてみる

マンガ肉を作って焼いて食べるとかだったり。

どっしゃぶりになって大急ぎで撤収後、ある方の家にみんなで

上がり込んでゲームだ!とか。

高校か大学のサークルみたいなノリと勢いだけで遊んだ週末

だったのを昨日のように覚えているし。

このブログの中でもその当時の様子を記事にして載せてある。

 

だからと言って、今また再掲載する事もありませんが。

 

過去を振り返ると、あの時は死ぬほど面白い毎日だったのを

忘れてはいない・・・。

 

亡くなったおひげさんからは、俺実は信じられない前科が

付いちゃって・・・ってさ。

 

何かと思えば、世界一臭い缶詰。シュールストレミングを

購入して、それを開けてみんなで食べようと企画したのだが。

どこかの民間施設の中で開けて食べようとしたら、あまりの

臭いと臭さで参加者が倒れて救急搬送される事態に。

結果、それが国家争乱罪みたいな罪状になってしまったらしく。

一応それが罪状になってしまうらしいのですがw

いわゆる国家争乱罪というのは、単なるテロと同じですからね。

だからと言って、国家を転覆させる政治的な意図ではなくて。

ただ缶詰開けたというだけの話ですから、特別に何か意図がある

訳でもない。

不特定多数の誰かに危害を負わせた、という意味合いからそんな

事になったんだろうと推察される訳ですが。

 

ある意味それは、今までどれだけ無茶な企画を練り込んでやって

来たか?の。またちょっと他人とは違った勲章の様に、それは

輝いていた事でしょう。

しかしながら、後々のテレビ番組やお笑い芸人達も。世界一

臭い缶詰を開けて悶絶する。

なんていう番組企画も散見される様に、常におひげ電視台は

時代の2〜3歩先を行く事を。事実やっていたという事の他

にないのです。

 

ただ、それがお金とか。全国区レベルの知名度や名声には

ならなかったという。

 

今だったら、それこそYouTubeにアップして再生回数を稼いで

広告収入だのインフルエンサーだの語ってやっていたなら〜

という事なのでしょうが。

あまりにも時代を先行き過ぎて、それを実利に結び付けようと

いう発想が当時は無かったというだけで。

それらの企画や内容は、決して誰か他人や弱者を貶めたり。

搾取したり、悲しませる様な内容ではない事だけは確かで。

 

誰かを笑わせる為、自分も含めて面白いことを全力で追求して

いるクリエイターとしての姿、姿勢そのものだったのです。

 

「誰も徳をしない、誰もやらないバカバカしい事を

全力でやる集団」

 

いつしかそう言われる様になると、そのバカバカしさが頂点

を越えて徐々に降下していこうという時期になる。

 

確かに、未だ持って。

この誰も徳をしない、誰もやらないバカバカしい事を全力で

やっている人と言ったら・・・。

たった一人しか今思い浮かばない。

 

 

 

生徒会長金子さんだけだろう・・・。

 

ご存知の方もおられるでしょうが、かつて日本テレビの番組、

エンタの神様に出演。

学ランを着てセンターマイクに一人で立ち、朝礼のネタを展開

する彼だが。

今、我々も個人配信で使っている、マシェバラという

アプリ。

マシェバラエブリデイ木曜日担当の芸人なのだが。

 

(東京三軒茶屋〜仙台までの徒歩中の生徒会長金子さん)

 

この映像は、世田谷区の三軒茶屋から徒歩でリヤカーを引いて

仙台まで歩いて行くという企画で。

昔住んでいた福島県本宮市に入った時にお願いして撮った

映像です。

 

 

彼自身、スタジオでの配信中。オーディション中心にポイン

ト集計のセンターホスト配信しとして仕切りのMCを、もう一人

の女性ピン芸人のぴろみさんと一緒になって。

ポイント集計や、各オーディションのミッションを発表し。

ミッションクリア者の発表をする仕事なのだが。

そんな彼が痛風から、足の壊死の危機があり。最寄駅から

自宅近くまでを歩くには厳しく、バスに乗る必要があった。

その最終バスに乗る為に、番組の途中でスタジオを出て

帰る事がしばしばあったのだが。

最後まで残るとなると、最終バスを諦めて歩く事となる。

 

その歩くという、僅かな距離からリハビリとトレーニングを

兼ねて長距離を歩く・・・。

みたいな事が発展して、渋谷のマシェバラスタジオ〜自宅

まで歩いて帰るという企画が立ち上がる。

しかしながら、足の壊死が若干悪化して。深夜の帰り道を

泣く泣くタクシーで帰る事になるのだが。

そのリベンジもまた回復した後に完歩。その逆方向でも

自宅〜渋谷までの徒歩旅、往復でも敢行。

 

その時、我々がむばるベアーズと黒い幕さんも池上〜渋谷

まで一緒に歩いたりもした訳です。

 

(池上で合流した時の様子)

 

(渋谷のスタジオにゴール直後)

 

そして、この徒歩旅を皮切りに。東京〜仙台間のリヤカー旅

がなんと2回。

更には、渋谷〜熱海まで24時間徒歩旅。これは更に往復。

山手線1周の徒歩旅。

渋谷〜富士急ハイランドへの徒歩旅。と・・・。

 

総距離で日本列島を片道歩く距離に匹敵しており。

 

最新の徒歩旅は、渋谷〜千葉県犬吠埼120km旅。

こちらは一度途中で配信機材が壊れて初めてリタイアしたもの

の。そのリベンジ旅も敢行され、見事に完歩いたしました。

 

(自らの誕生日の日の朝)

 

その日の出に間に合う様に、渋谷を出発し無事に犬吠埼へ不眠で

歩き続けた。

 

(そして、無事に日の出)

 

ただでさえ足を引きずりながらも、毎回徒歩旅を敢行する訳で

すが。その徒歩旅は少ないながらも、多くの視聴者や長距離旅

への支援もあって。

金子さんの旅の資金や仕事できない期間の支援もあってで、

どうにかなっている訳ですが。多分、どうにもなっていないかも

しれませんが。本当のところは。

既にプロウォーカーの様なもので、時速4km〜を自分で

歩きながら体内時計が合う様に歩き続ける事ができるように

なった訳ですが。

 

金子さん自身が、マシェバラエブリデイの中でさえも。

視聴者から課金や無料ギフトを頂いたら、何かしら筋トレや

口にゴムを加えて弾かれるとか。センブリ茶やクエン酸などの

まずい飲み物飲まされたりとw昭和の頃のような罰ゲーム?み

たいな事をするという事がお礼という事で。

マシェバラエブリデイの中でもトップのポイントを獲得してい

る。

 

そのシステムを使ってトップを確保しているのは、

金子さん自身。

マシェバラ芸人として仕事を受けられるように・・・とか。

これだけポイントを集めて課金もある芸人として広く認知

してもらう事で。もう一度エンタの神様に復帰するとか、

他の仕事でも受けられるようにという想いでやっている事

でもあり。

確かに、自分の為でもあり視聴者の為でもあり。

今のところ、全くバカバカしい事を続けたところで何か徳を

得られるまでには至ってはいないかもしれないが。

 

そのバカバカしい事に、共演しているぴろみさんや。

リヤカー旅で一緒に歩いている、ロック杉本には巻き込まれ

ている印象しかなく。

こちらの2人は、このバカバカしい事には懐疑的な方で。

むしろ巻き込まれて迷惑に感じている部分もあるのだろう。

特にぴろみさんなんかは、歩くなんて事には抵抗もあり。

 

そもそも彼女自身、生い立ちからか?考え方からか?

 

現状の変化、肉体の変化、環境の変化、仕事の変化を尽く

嫌い。こういったバカバカしい事には極力関わりたくない。

そういう芸人だから、芸歴何年あっても。全く日の目を見る

事もなく、鳴かず飛ばずでバイト中心の生活に終始するのみ

という。

 

彼女には、申し訳ないが特に何の期待もしてはおりません。

それで本人は丁度良いらしいのでね・・・。

 

そんな彼等は別に今はどうでも良い。このバカバカしい事に

一生懸命になれている金子さんにだけフューチャーしたら

良いだけの話だからだ。

 

恐らくは今、知りうる限りの人では。間違いなくこの人しか

いないだろう!という確信を持って紹介したまでです。

 

 

かつては、本当にバカバカしい事にも必死になってやってき

たメンバーも。ひとりまたひとり、結婚だったり、タレント

引退だったり、フェイドアウトだったり、高齢化だったり。

行方不明になったりと・・・。

 

おひげ電視台に出演していたメンバーがそれぞれに立ち上

げた個人配信も始まったのですが。それぞれ辞めていった。

ある人は7年、ある人は10年続いた個人配信も、徐々に

終わっていった。

そんな中でも我々も始めた個人配信・・・。

 

そんな先輩配信者達が、あるいは歳上のプロデューサーさんが

まだ様々な企画を練り上げていった人たちもいたのだが。

その人も突然お亡くなりなったりと・・・。

 

結局我々だけが13年間、延555回の配信。555週間毎週

日曜日の夜に配信を続けて来られた。

偉大なる先輩配信者達がまだまだ継続しているという最中、

後からの後発番組が先に辞める訳には行かない!

それ位に毎週毎回、歯を食いしばってでも続けるとしていた

ので。先輩配信者がどんどんどんどん辞めていった姿を

我々だけは見届け、見続けてききました。

 

だからこそ、後発で始めた某都内のカレー屋の2階で始めた

ネット配信で。ダイエット企画〜!って打ち出したと思ったら

次のコーナーでは、今週こんなもの食べました!って。

ラーメンだの焼肉だの見せびらかして、お前痩せる気無いだ

ろ!?ってツッコミたくなるような?

ブレーキとアクセル同時踏みみたいな企画で喜んでいる番組

もあったりで。

それがたったの2年そこそこで終了。

大した事もしていないのに、大した成果も結果も出せても

いないのに。終わりに当たって半ベソかいてるという。

 

更にはその番組では、KS芸人が批判的な人の個人情報を

晒した事で。これは黒い幕自身の話だが、こちらの個人情報を

晒された事で。家には無言電話に悪質なFAXが流れてきたり。

メールや出会い系サイトへ個人情報を使われてしまい。

通常業務に甚大な影響が出て、業務妨害を受けたのも事実。

 

その当時のYouTubeをまずいと思ったか?選挙に出る前に

は削除されていたり。あるいは旧Twitterを鍵垢にして、

危害を加えておきながらブロックするという。

本当にこれで公人にしていいんですか!?というような?

疑いたくもなる出来事もあり。何かあったら必ず報復に

使わせてもらいますけれども・・・。

 

そんな、何の企画力もない視聴者数も無い。自称芸能人、

お笑い芸人が立ち上げたつまんない配信番組もあっさりと

終わり。

 

昔ちょっとだけ流行った、clubhouseというアプリ。

 

タレントや芸能人とか中心に、iPhoneユーザーでないとDL

できないとかで。

1人で2人まで紹介できないらしく、顔も名前も知らないよう

なKS芸人があわよく紹介されてダウンロードしたまでは

良いのだが。

 

『clubhouse面白くない!」

 

なんて、暴言吐いて。もうclubhouseやらない!とか喚き散

らすKS芸人もいたのだが。

間違えてはいけないのは、clubhouseが面白くないのではなくて。

 

「おまえのフリートークがつまらないん

だわ!」

 

という基本的な話であって。

今まで引き篭もりのニート野郎が、芸人語っておきながら

公衆の面前で喋るのを怠って。

いざフリートークでもしようもんなら、話すネタがない。

だから誰も聞かないし、聞きたいとも思わないし。

その前に、お前の話なんか聞きたいと思って。アプリダウン

ロードする人いますか?wwwっていう。

分母もない人が分母以上の分子が集まるはずもないという。

それだけ芸人としても「オワコン」だったというだけ。

 

それが証明されるように、そいつが出演していたラジオ番組。

ゲストもいない、共演者も居ない60分間1人で最後まで喋ら

ないとならない事態に。

 

すると番組開始3分も経たない内から、ラジオ番組内で

ライン電話で共演者に電話して話を繋げようというお粗末

ぶりwww。

 

1人しゃべりで60分も喋れない人に、ラジオ枠与える方も

正直どうかと思うけどね。

実質60分番組でも喋る時間は55分位しかないのに。

ラジオのパーソナリティーで55分1人で喋れないという

のは、もはや致命傷だと思うんです。

 

結局その時間、共演者は舞台に出ている時間でもあり。

もう1人はイベント中で電話に出られる筈もない。普通に

考えて出演できないからその場にいない!っていうのに、

それでももしかしたら繋がるかも!?ってスマホ取り出して

電話するラジオパーソナリティーなんか。今まで1人も見た事

がない。前代未聞の失態ですよね。

だから、間違いなくこのKS芸人の話術が無い!

トークスキルが無い!という事がはっきりと証明された。

芸人だのMCだのと肩書きぶら下げても、この人に仕事が

来ないのは自ずとわかりますよね。

 

それこそ、地方都市から東京へ芸人として一本立ちしようと

か。アイドルになろうと思って上京してきた人達はいるのに

対して。

地方都市から、秋葉原でイベント司会者になろうとか。

お金にならないラジオのMCやって、昼飯奢ってもらおうとか

思って上京してくる人もいないし。それを後釜になってやろうと

か思う芸人も他にはおらず。

挙げ句の果ては、一度引退した芸人をまた引っ張り出してま

で後釜に据えてラジオ番組続けようとか。

イベント司会やらせようとか思う販売元、レーベルの社長の

人の見る目の無さに言葉を失う事態だが。

むしろ頼める人も他にいなくて、泣く泣くお願いしている

状況なんですよね。

要するに、バカバカしいから続けるんではなくて。それでも

先々の見通し考えてやるのが当然なのだ。

 

 

こちらもずっと個人配信していて、2011年10月に

かあちゃんが他界し。個人配信は10月から12月中いっぱい

まで配信を休んでいて。

さすがに自分の母親が余命3ヶ月です。って言われてしまえば、

配信どころの騒ぎでは無い。

残された家族との時間の方が余程大事だし、配信できる心境に

はなれず。ブログも同時期に休止させてもらった。

 

もちろん、ヘヴィー視聴者の中からは。続けて欲しいとか、

何で休む必要があるんだ!?というコメントもありました。

しかしながら、自分にとって何が大事で。何を最優先にするべき

なのか?と考えたら、選択肢は一択しかある筈もない。

 

そして、亡くなって間も無く四十九日を過ぎた辺りのある日。

おひげさんから連絡があり。

 

今度、給食に関しての配信があるので出演しませんか?

 

というオファーが来たのだった。

我々はどうするか?迷いながらも、まあいつまでも塞ぎ込んで

いても・・・と。その出演を快諾した。

 

現在はもう閉店してありませんが、新御徒町駅近くにあった。

給食当番というお店の2階の貸切用ルーム、そこは小学校の

教室が再現されており。

 

まさに学校そのもの。

 

そこでくじらの竜田揚げ、揚げパン、ソフト麺、牛乳パック、

先割れスプーンを使って当時の給食を食べながら。

生配信で食レポもしながら、給食の思い出話をしながらと。

黒い幕(当時)と、コバジュンさん、わちさん、おひげさん

の4人で。給食を食べながらワイワイと話をして。

良い年の大人が4人して給食を食べる姿は、普通に職員室で

みんな食べてる雰囲気で。

黒い幕が社会科、コバジュンさんが体育で、わちさんが古文の

教師で、おひげさん教頭か?みたいな教科担任振り分けたりとw

しょーもない話をしてひとしきり盛り上がった配信だった。

塞ぎ込んだ気持ちが徐々に晴れていく感じもしながら、無言

で励まされたような?そんな心境に至りつつ。

お前も頑張れよ!と背中押されたような気分になっていた。

 

その後も、秋葉原のカラオケBOXでアニソンを歌いまくる。

 

という配信テーマだったかな?カラオケBOXへ、半分お客さん

として入り。生配信を外野から見て過ごしたのだが。

結局それがおひげさんと会った最期の刻になってしまった。

 

兎に角、おひげさんの周りには色んなジャンルの人がいて。

そこからまた派生した様々なジャンルの人や、タレント、芸人、

役者、もちろん普通の一般人まで。

常に多くの灰汁の強い人々でごった煮だった・・・。

 

そんな状況も何もかも、ありとあらゆる時代の先を行き過ぎ

ていた。おひげさん・・・。

 

最期は壮絶なものだったらしい・・・。

ここからは当事者ではないので、厳密に正確な事ではないかも

しれない部分はあるので誤解をさせてしまうやもですが。

ざっくりとした感じで読んで欲しい。

 

(お別れ会での模様、おひげさんの遺影を前に)

 

おひげさん、まだ40代。若すぎる!早すぎる!黒い幕より

歳下じゃないか!

 

経緯としては、数年前にちょっと話題にも上がった。

「人喰いバクテリア」

それに感染してしまい、足の一部が壊死を起こし。本来ならば

足を完全に失う位までのものだったようだが。

専門医に巡り合えたそうで、まだ若いのに全摘ではなく部分的

な切除で何とかなったのだが。

遺影を見ていただいてわかるように、巨漢ですから。

体重130キロもありますから。足の一部を切断されるだけで

やはり歩行や日常生活にも支障が出た事でしょう。

 

しかしその後、意識を失って倒れる事態に。

 

近所にいた親友が何人もいたにも関わらず、群馬県に住んで

いるご両親に連絡し。

椅子に座らせるだけで良いから、起こしに来てくれという。

親が慌てて群馬から東京の息子宅へ訪れるも。

年老いた両親に130キロの息子を抱えて起こす事もできず。

ようやく近くに住んでいた親友達が駆けつけ起き上がる事が

できたのだが。

原因不明の転倒に救急車に乗せて病院へという話を、やたら

断るのだが。どうにか説得して病院へ搬送。

 

診断は、大腸がんステージⅣ。完全に末期状態だったという。

 

本人には伝えていなかったのか?母親も、これはもうダメだと

思ったのか?息子に、

「お前何か言っておかない事とかないのか?」

と聞いたようだが。

おひげさんは、何の事かよく分からないままで。

自分はこのまま死ぬ筈がないと思っていたようで・・・。

「世界は俺を殺さない」。

とかいう、謎の名言を残したらしいのだが・・・。

 

その後入院中にインフルエンザから肺炎を起こしてしまい。

レントゲンの肺は真っ白だったようで、酸素の吸入も。

70ー80−90ー100と酸素量を全開にしてゆくも、

酸素が吸えなくなって行って・・・と。

 

最期は肺炎という事だったようです・・・。

 

 

まだまだこれからおひげさんの展開しようとしていた話が、

やっと種を巻き、芽が出て花が咲いて・・・という段階で

その物語にピリオドが打たれてしまった事が残念でならない。

 

自分の具合、体調も悪いというのに。自分が手掛けたゲーム

とかこの先のクリエイトしようとした事業が軌道に乗る前の

逝去となってしまった・・・。

 

自分の命と引き換え位に、最後の最後まで楽しい事。面白い事

を追求し続けた。

おひげさんの最後に手掛けた。

 

マーダーミステリーをさらにV Rの空間で展開して行こうと

いう事業。

私もお別れ会の帰り間際にそのゲームを買わせて頂きました。

まだ中身をよく分かっておりませんw申し訳ない、忙しかった。

 

ただね、これだけは言いたいんだ!

おひげさん、何にしても全てが早すぎた・・・。

時代を読み抜く思考や、その命の早さ。誰も付いて行けてない。

 

それはもうあの場にいた人達、みんな共通した話だった。

 

そして、誰もやらないバカバカしい事を真剣にやり続ける事

ができる人にこそ未来は開いて欲しいし。

もちろんそこに自分もいないとならないとも思うのと、

そんな旅の仲間に1人でも多く加われれば良い。

 

 

バカバカしいから、やらないのではなく。

バカバカしいからこそ、やってみる。

 

それは間違いなく、誰も見た事もない景色が見えてくる筈

だろうし。

おひげさんの魂のカケラで良いから我々の中に入ってくれと!

 

 

我々とともに、おひげさんのほんの一部でも良いから入って

もらって。一緒に旅を続けましょうよ!と・・・。

遺影の前でそっと願った訳です。

 

 

きっとバカバカしい事をした人にしか見られない、素晴らしい

景色がそこに広がっていると信じて歩いてゆくのみです。

 

おひげさんこと、今井考修さんのご冥福をお祈り致します。

魂よ安らかなれ・・・🙏

 

がむばるベアーズ

マンセル・グラハム・くまろく←(黒い幕)より。

 

という訳で、以上!