お通夜と告別式・・・ | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

寂しい感じのブログになってますけども、ごめんなさいね。



亡くなって今日で初七日になるんだね。

親戚の方が来てくれて教えてくれた。


というか、自分の直近に不幸は無かったから、色々と教わる。



24日に亡くなって、その日の夜には自宅に帰って来た。


”がんばって治します!”

”歩いて家に帰ります!”


と、強く思っていた母ちゃんは、無言で帰宅した。



訃報を知らせていた親戚のみなさんは、到着後まもなくやってきてから

慌ただしい毎日が始まった訳で・・・。


一番母ちゃんが嫌がる事をされまくって幕が開けた。



台所、キッチン回りは。

やれ掃除だ、やれお茶出しだ、やれお湯を沸かせだ、方付けだ!

私の知らない内に色んな物が勝手に捨てられ、挙句の果てには

まだ使ってまもない朝ごはん用のハムまで捨てられてしまった。



お茶とお迎えの清めの酒さえあれば良い筈なのに、男世帯の家には

おばさんが好き放題荒して行った。

今は全部元に戻して、今までの佇まいを戻して行ったけども・・・。


そこからは、お通夜と告別式、火葬、初七日だの諸々・・・。


聞いた事はあるんだけども、何だかさっぱりわからん言葉が並んでいって、

遂にはセレモニーの担当者さんにすがる思いで教えてもらった。



菩提寺との連絡やら、段取。戒名を頂いたり、四十九日や百箇日法要の日取り。


荒しのような1週間でした。



しかし、そんな中でも。

我々、くまろく←とがむばるベアーズは、母ちゃんとの時間を最後まで惜しんだ。



一番母ちゃんに近い場所で添い寝をし、マンセル、グラハムくんは、母ちゃんの

布団に一緒に寝させてあげた。

ドライアイスでカチカチになっている脇には、彼等しか近づけないしな。


母ちゃんの静かな旅立ちを、しっかりと見届けようと。

じっくりと見守るしかなかった・・・。

後は段取りを滞りなく進めるだけしかできなかった・・・。


そして、家からセレモニーホールへ行く時。

合掌する親戚を横目に、走り去る霊柩車を少し歩いて追った。

何時も母ちゃんがしていたように、手を振って見えなくなるまで見ていた・・・。

何時も送られるように、今度はこっちが同じように送ってあげた。



お通夜、告別式は26、27日と行われ。

色々と問題もあったけど、何とか乗り切った。



別れ際に、姉が閉まる棺を制止して号泣した。

でも、私は言った。



”もう、お母ちゃんを送ってあげよう・・・

また俺達みんなで親子やろうな!”



火葬され、骨だけになってしまっても。

その姿はやっぱり母ちゃんだった・・・。


しっかりとした骨太で、ガンは骨に転移をしていない。

だから、真っ白だし。薬で変色もしていない。


そして何より、母ちゃんを苦しめ続けた。


憎いガン細胞そのものは、この世から完全に消滅していた。


事によっては、サトイモの様に残る場合もあると聞くが。

肺や脳に転移した、憎きガンそのものは・・・。



一つ残らず消滅した!



その姿を見た時に、火葬場で私は思わず言ったよ。



”母ちゃん!俺達はガンに勝ったぞ!”

”俺達の戦いは間違いじゃなかった!”



親戚がいようが、誰がいようが。

私は、ガッツポーズを一人で静かにしていた・・・。



最後の最後までこの戦いを見届ける義務が、私にはある!



だからこそ、最後にして最大の結果はそこにあった。

やっと私も、母ちゃんも、ガンから解放された・・・。

そんな瞬間だったよ・・・。