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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

皆さんお久しぶりです。

覚えていますかw?


くまろく←、がむばるベアーズ(マンセル&グラハム)

(セカンドベース)です。

すっかりブログを書くのを忘れかけている訳で、勝手が掴めませんねw。



ツイッター等でもご報告をさせて頂いておりましたが、ブログにての

お知らせは今回初めてですので。


改めてご報告させて頂きます。



先日、10月24日17時35分


くまろく←の母親が他界いたしました。

享年71歳5カ月でした。


9月23日の記事をご参照ください。

http://ameblo.jp/principality-of-wan/entry-11026469091.html#cbox



9月23日にご報告したように、母親の体調の悪化に伴い9月30日を

もって無期限の一旦休止という事でお知らせいたしました。


それ以後、母親(以後母ちゃんと表記します)の体調は一進一退を繰り返し。

マヒした左半身は、全く動かなくなってしまったものの。

懸命なリハビリにより左手のマヒはまだ幾分あったものの、左足は僅か1週間で

2歩か3歩でも歩けるようになりまして。

脳腫瘍からの回復の兆しを感じられるところまできました。



しかし、ガンの増殖はここ1ヶ月間で攻勢を増してきて。

本人の体力を奪い続けていきました。


そして、10月17日。

ガンに浸食された左肺は、ガンが気道を塞ぎ。

折角胸膜拡張措置をした8月の治療も虚しく、左肺はその機能を失い。

問題の無い右の肺には、新たな転移。

右胸にも新たなシコリが発見され、更には、

誤嚥性肺炎を起こし、一つしかない肺への

酸素供給能力が低下してしまいまして。

それによって、二酸化炭素の濃度が上昇し、

血中酸素濃度が計測できないまでに落ちてしまいました。

ガンの侵攻は留まる事知らず、一気に進行してしまい。


遂に延命治療をここで終了せざるをえなくなりました。



”がんの野郎また悪さしてやがる!”



母ちゃんはこんな時になってまでも、ガンと真っ向から戦っていました。

だからこそ、我々は”諦める”という選択肢は存在し得なかったんです。


その後、姉夫婦や親せきの皆さんが応援に駆けつけてくれて、

がんばれ!がんばれ!と手足を摩ってあげる事で、血中酸素濃度が戻り。

下がり過ぎた血圧も戻り。

状況は悪いながらも安定した日が続いていました。


がしかし、

10月23日の早朝に、危険な状態に陥り。

それ以降、病院のICUに籠る事になりました。


同じ23日には母親と携帯のワンセグで菊花賞を観戦。

三冠馬オルフェーブルの誕生を、一緒にベットの上で見ていました。


既に言葉も発する事ができませんが、オルフェーブルの力強い走りを

目で追っているのはわかりました・・・。



そして、24日。



親戚の面会が終わり、全員が帰るのを見届けてからの後。

私がエクストラベットをセッティング中。

母親の呼吸が止まっているのを目の当たりにし。

私と父親で必死に起こそうとするも、そのまま母ちゃんは静かに旅立ちました。

苦しかったかもしれないし、辛かったかもしれません。

でも最後は静かにゆっくりと息を引き取りました・・・。



沢山の応援メッセージ。

特にツイッター等でのリプライやDMなど、多くの励ましや弔電(お悔やみ等)

頂きまして。この場をお借りしてお礼申し上げます。



長文になってしまったので、他のでの事はおいおいとしますが・・・。


これだけは一つ覚えておいて欲しいのは、これは医者が認めた事です。



母ちゃんは、ガンで亡くなった訳ではありません。

間接的にガンの進行で道が狭くはなったかもしれません。

解釈の問題かもしれません。

しかし、現代の最高水位の医療をもってしても、


死因は不詳なんです。<診断書より


死因を特定する事無く静かに息を引き取った事に、これ以上調べる

必要がないと判断したのでしょう。

しかしこれは、怠慢と言われてもおかしくない事ではありますが、

ある意味では天寿を全うしたという判断をしております。



ひとまず、今日はこの辺にて。


ありがとう!母ちゃんw!