もう4年になる。
母の闘病が一番大変だった時。
2019年の8月は本当に毎日試行錯誤、紆余曲折、時間ごとに変わる母の体調と自分のメンタル。
お盆前にお薬を飲むためのお水すら飲めなくなって。
慌てて病院へ連絡して。
「先生オペ中だけどとりあえず来て下さい」と看護師さんの言葉に逆に動揺してしまい…
点滴をする母を残して個室があいてないからと診察室のバックヤードで…
「これ以上は…。夏は越せないかも。お正月を迎えるのは間違いなく難しいです」
先生が言葉を一生懸命選んで私に伝えた母の余命宣告。
4月から先生に日々お世話になっていたけれど、はじめて先生の前でひたすら泣きました。
先生はおでこに手をあてて、切ないお顔をされていました。
この時期になると鮮明に思い出すあの時間。
もう長くないとわかっていたつもりでも、言葉にされてはじめて実感した瞬間でした。
涙を拭いて。
「明るく振る舞おう」なんて申し合わせた訳じゃないのに先生も私も母の元へ行けば明るく元気に振る舞いました。
家での生活から外科病棟に入院になり、やはり在宅にしたものの色々難しくて救急車で病院に連れて行って頂き、緩和ケア病棟へ入院。
そんな慌ただしい8月でした。
あの頃、何度もお見舞いに来て母と私を支えてくれていた人が、いまだに私を気にかけてくれていたり。
母の事も変わらず想ってくれていたり。
思い出される日々は辛いものが沢山。
あの頃の自分は本当によくやっていたと今更ながら。
でもせん妄で色々なことがわからなくなった母でも、常に私や猫たちを想う気持ちがあって。
私を目の前にして「まだ仕事終わらないのかなぁ」と、そんな日々だったけれど。
だからこそそんな状態でも母が大好きでした。
そして今もなお大好きです。
8月になるとこうしてたくさんの事を思い出して考える。
きっと私は自分の最期の日まで母を想うんだろうってつくづく思います。
それでもいいよね、ママ。
きっとそれがいいよね。