今日は龍蔵寺で合同供養祭でした。
カムの名前も、、
「○○家 愛猫 カム」
そう書かれて貼り出されており、ご住職さまの読み上げもありました。
沢山の方々が来られていて、カムの骨壷も他のお友だちたちと共に並べました。
私の座る場所からは見えなくなってしまい、離さず抱きしめておけば良かったです。
終わってから、ふと「カムは呼んだら私のそばに来てくれるのかな?」と沢山並んだ骨壷を見ながら想像して笑ってしまいました。
きっとなかなか来てはくれないかもしれないので私はそこに駆け寄って静かに泣きながらこっそり抱きしめました。
実は、、
輪廻転生のお話をこの龍蔵寺でりくちびの時も、そして今回もお聞きしました。
私の動物たちとの関わり方と、仏教の考えである輪廻転生は相入れません。
畜生道で生きてきた彼らたちを「次はどうか人間として生まれてください」と願いながらお経をあげるというくだり。
私の勉強不足で解釈の違いはあるのかもしれませんが、、
そして今日
「動物を虐めたり虐待する人は必ず罰があります。生まれ変わったら人間ではなく虐められる動物になります」
そう、ご住職さまはおっしゃっていて。
私の前に座る方は大きく頷いてらっしゃいましたが私にはその言葉がどうにもつらくて。
虐められている動物は前世で悪い事をした人間の生まれ変わりというお話し。
そのような教えだったとしても、、
こうして動物を愛し家族として過ごす人たちの前で、、皆さまそれを普通に受け入れられるのだろうか。
虐められる動物を想像するだけでつらい。
それが「悪かった人間の生まれ変わり」だとする説も私は受け入れられない。
うちの子たちはみんな私が保護するまではお外で暮らしていて。
もしかしたら人間から石を投げつけられたり、追い払われたり、暴言を吐かれたりしたかもしれない。
そんな彼らを「前世で悪い事をした人間の生まれ変わり」だなんて。
それが頭から離れずきつい。
そんな弱いものをいじめる人間が上で、動物たちが下だなんて。
動物たちは尊い。
私にはやはり輪廻転生の考えが入り込んで来てくれないし強く拒否反応が出てしまう。
眉間にシワを寄せ胸が苦しくなりカムを抱きしめて足早に本堂を出ました。
カムに「かえろ」と言って。
生まれ変わらなくていい。
カムはカム。
今いる猫たちも誰の生まれ変わりでもなくその子であるというだけ。
現世で違う形で会えると考えるよりも、いつかあちらの世界でみんなに会えると考える方が私には幸せだと思う。
こうして自分の考え以外を受け入れられず、、
おかーさんはなかなか頑固ですよ。
母も父も「もーあの子は本当にー」って苦笑いしてると思うけれども。
一心寺のご住職さまなら、、私のおバカな考えを許してくださるだろうか。
改めて聞く事はしないけど、、本当にわからずやですみません。
カム、今日はドライブしたね。
みんながお留守番の中、ふたりでドライブしたね。
おかーさん、泣きながらパン屋さんと洋菓子屋さんに寄って沢山買い込んでごめんね。
「カムー」って泣きながら話しかけてごめんね。
私はただひたすら、、動物たちが好きです。