娘は数ヶ月家で過ごすことができましたが、
体調が悪化し、また入院となりました。
家で過ごせた日々、一緒に買い物にでかけたり、
息子のスクールコンサートを観に行ったり、サッカーの試合の観戦に行ったり、
ふと、娘の病気を忘れる瞬間もありました。
でも、それはほんの一瞬で、数時間も経たないうちに、また殴られ、叫ばれながら、
娘を押さえつけて食べ物を口にねじ込む時間となります。
楽しい時間を過ごすべき時間も、
先程言われた暴言に対して心の整理がつかなかったり、
その後の食事のことを考えて憂鬱になっていて、
心から楽しめた時間はあまりありませんでした。
また、病気のせいだとわかっていても、酷いことを言われ続けると、
「わたしはこんなに頑張って、こんなにしてあげてるのに!」という気持ちが湧き上がり、
その後娘が落ち着いても、自分の気持ちを上げることができない時も多々ありました。
これまでの娘と過ごしてきた14年間を否定されるようなことや、わたしの献身を踏みにじるようなことを言われて、
よくドラマなどで聞くセリフ、「誰がここまで育ててあげたと思ってるの?」が出てくることもありました。
愛娘が生まれてから、わたしの殆どの時間と労力は彼女に注がれ、娘の幸せと成長がわたしのすべてでした。
だから、娘との時間には、その歴史と思い出がついて回ります。
あの時あんなにしてあげたのに、私はあれもこれも諦めて、娘のために頑張ったのに、、、
でも、本当は、過去がどうであれ、
たとえ一時間前に「一生顔もみたくない!」と言われても、一時間後に殴られることがわかっていても、
「今」笑顔が見れて、手をつないでくれるなら、その瞬間を心から楽しみ、その瞬間に感謝すべきなんですよね。
私はシッターとして10年以上前働いていますが、シッターとしての時間は、「今」の積み重ねです。
わたしがその子を見るのは「今」です。前日にどんな悪いことをしたのか、一年前にどんな出来事があったのかは、わたしは知りませんし、今日その時に楽しんでくれること、いい子にしてくれることが全てです。
もちろん、将来のためになるしつけなども考えていますが、「こんな子になってほしい!」「こんなことはできて当然!」という期待があるわけではありません。
「今」の笑顔、今の喜び、今みせてくれるやさしさ、それが全てです。
「今」の瞬間を一緒に過ごすことがわたしの義務で、そこにお金を支払っていただいているので、そこに全集中です。
それに比べ、自分の子供の子育ては、常に未来のことを考えていたり、
過去の思いを引きずっていたり、実は、あまり「今」に集中してないかもしれません。
でも、今、この瞬間の積み重ねが人生です。
たとえ病気に侵されていても、一日の半分以上が辛く苦しい時間だとしても、
公園のベンチに一緒に座って桜をみる瞬間、
テレビをみて一緒に笑う瞬間、
きれいな月を一緒に見上げる瞬間、
その輝きが、幸せが、失われるわけではありません。
辛い食事の時間だって、「今日はもう3時間もかかってる、、、」とか、「明日もこれが続くのか」とか、
過去や未来のことを考えて憂鬱になるのではなく、
今その瞬間、一口を飲み込んでもらおう、そこだけに集中していれば、
そこまでストレスがかからない気がします。
「過去に右足、未来に左足を置いていたら、現在はションベンをするだけになってしまう」という言い回しは、どこの国のものだったかしら😆
本当に、その通りです。
「今」を積み重ねて、1時間、1日、1週間が過ぎていきます。
過去でも未来でもなく、「今」に集中すること。
シッターで培った経験を、自分の子育てにも生かしていきたいです