「今」に集中 | メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

オーストラリア メルボルンにて、2009年2月生まれの娘ローズと、2013年8月生まれの息子ディー君の子育てに励む日々。

メルボルンでベビーシッターサービスを提供しています。

 

娘は数ヶ月家で過ごすことができましたが、

体調が悪化し、また入院となりました。

 

家で過ごせた日々、一緒に買い物にでかけたり、

息子のスクールコンサートを観に行ったり、サッカーの試合の観戦に行ったり、

 

ふと、娘の病気を忘れる瞬間もありました。

 

でも、それはほんの一瞬で、数時間も経たないうちに、また殴られ、叫ばれながら、

娘を押さえつけて食べ物を口にねじ込む時間となります。

 

楽しい時間を過ごすべき時間も、

先程言われた暴言に対して心の整理がつかなかったり、

その後の食事のことを考えて憂鬱になっていて、

心から楽しめた時間はあまりありませんでした。

 

また、病気のせいだとわかっていても、酷いことを言われ続けると、

「わたしはこんなに頑張って、こんなにしてあげてるのに!」という気持ちが湧き上がり、

その後娘が落ち着いても、自分の気持ちを上げることができない時も多々ありました。

 

これまでの娘と過ごしてきた14年間を否定されるようなことや、わたしの献身を踏みにじるようなことを言われて、

よくドラマなどで聞くセリフ、「誰がここまで育ててあげたと思ってるの?」が出てくることもありました。

 

 

愛娘が生まれてから、わたしの殆どの時間と労力は彼女に注がれ、娘の幸せと成長がわたしのすべてでした。

だから、娘との時間には、その歴史と思い出がついて回ります。

あの時あんなにしてあげたのに、私はあれもこれも諦めて、娘のために頑張ったのに、、、

 

でも、本当は、過去がどうであれ、

たとえ一時間前に「一生顔もみたくない!」と言われても、一時間後に殴られることがわかっていても、

「今」笑顔が見れて、手をつないでくれるなら、その瞬間を心から楽しみ、その瞬間に感謝すべきなんですよね。

 

 

私はシッターとして10年以上前働いていますが、シッターとしての時間は、「今」の積み重ねです。

 

わたしがその子を見るのは「今」です。前日にどんな悪いことをしたのか、一年前にどんな出来事があったのかは、わたしは知りませんし、今日その時に楽しんでくれること、いい子にしてくれることが全てです。

もちろん、将来のためになるしつけなども考えていますが、「こんな子になってほしい!」「こんなことはできて当然!」という期待があるわけではありません。

 

「今」の笑顔、今の喜び、今みせてくれるやさしさ、それが全てです。

「今」の瞬間を一緒に過ごすことがわたしの義務で、そこにお金を支払っていただいているので、そこに全集中です。

 

それに比べ、自分の子供の子育ては、常に未来のことを考えていたり、

過去の思いを引きずっていたり、実は、あまり「今」に集中してないかもしれません。

 

 

でも、今、この瞬間の積み重ねが人生です。

たとえ病気に侵されていても、一日の半分以上が辛く苦しい時間だとしても、

公園のベンチに一緒に座って桜をみる瞬間、

テレビをみて一緒に笑う瞬間、

きれいな月を一緒に見上げる瞬間、

その輝きが、幸せが、失われるわけではありません。

 

辛い食事の時間だって、「今日はもう3時間もかかってる、、、」とか、「明日もこれが続くのか」とか、

過去や未来のことを考えて憂鬱になるのではなく、

今その瞬間、一口を飲み込んでもらおう、そこだけに集中していれば、

そこまでストレスがかからない気がします。

 

「過去に右足、未来に左足を置いていたら、現在はションベンをするだけになってしまう」という言い回しは、どこの国のものだったかしら😆

本当に、その通りです。


「今」を積み重ねて、1時間、1日、1週間が過ぎていきます。

過去でも未来でもなく、「今」に集中すること。

 

シッターで培った経験を、自分の子育てにも生かしていきたいですウインク