今日は、あまり触れたくなかった、でもみんなが心の底で思ってるであろう話題に
触れてみることにしました。。。
夫と別居して数か月で、娘が摂食障害を患ったのって、
完全にそのことが原因なんじゃないの???
そう実際に多くの人に言われました。お医者さんやカウンセラーにも言われました。
そのたびに、自分の都合を優先したひどい母親のように自己嫌悪に陥り、
精神科医の勧めのもと、わたしが子供たちと一緒に夫の家に1か月くらいステイしたりもしました。
でも、5年以上ずっと考え続けて、
離れたほうが幸せになれるって結論づけて実行した別居なので、
一時的に戻っても、辛いことばかり。。。
そのうち、娘が夫を完全に拒否するようになったので、効果がないと判断して、私たちは自分の家に戻りました。
娘は完全に心を閉ざして、会話ができない状態なので、
ママとダディの別居が嫌だった?悲しい思いをさせた?と聞いても、
何も答えてくれません。
別居したいと言い出したのは私です。
とはいえ、夫婦の心は完全に離れていて、
それでも夫は、家政婦がわりにわたしが家にいれば便利だし、自分は好きなだけ遊びに行けるし、
わざわざ別居しなくても構わないと思っていただけで、
別居になったらなったで、なんの問題もないという反応でした。
わたしは悩んで悩んで、お金のことも心配だし、
子供たちのために我慢したほうが良いだろうとずっと思って、
5年以上、いわゆる同じ屋根の下の別居状態で過ごしてきたのですが、
コロナによる長い長いロックダウン中、子供たちもダディと過ごす時間が辛くなり、
子供たちから、「ダディと離れたい」と言ってくれたことで、決心がつきました。
ギリギリまで頑張って、妻としての務めはちゃんと果たしていたし、
子供たちのことはほぼ100%わたしがしていたし、
「やり切った!」という感じで、すがすがしく、羽が生えたように自由な気分になり、
子供たちとの新生活を楽しんでいました。
ずっと望んでいた生き方ができるようになり、幸せでいっぱいでした。
でも、それからほんの半年ほどで、娘が心を病んでしまったのです。
娘は口では、「自由になれてうれしい」とか、「自分の部屋が持てて幸せ!」とか言っていましたが、
(それまでは、ダディがメインベッドルーム、そして小さなベッドルームを娘、息子、私の3人でシェアしていました)
やっぱり、思春期の真っただ中、両親の別居というのはショックなことだったんでしょうか。
物価高騰の中シングルマザーとなったので、わたしも仕事も増やさなくてはならず、
それで子供たちに寂しい思いをさせたのでしょうか。。。
わたしの決断が、娘の心を傷つけてしまったのかと、
自分を責めてばかりで、この1年間、辛い日々を過ごしました。
でも・・・拒食症には本当にいろんな原因があり、いろんな要素が絡み合っていると思います。
周りが言うように、たとえ私たち夫婦の別居が一因だったとしても、
でも、わたしが自分の幸せ、そして子供たちの幸せも考え、一歩踏み出したことは、
そんなにダメなことだったんでしょうか。
わたしも、幸せになる権利はあるんじゃないかな。。。
最近、ふとそう考えるようになりました。
娘の病院や治療に関してのこと、日々の看病、そして今タームから始めたオンラインの学校のことは、
100パーセント私が担当しています。
娘は、病気になってから、私以外の人とは一切話をしません。
そんな状態で夫も家にいたら、「どうして私ばっかり!」というストレスがあったと思うし、
今よりももっと、優しいママでいることが難しくなると思う。
ママの幸せが子供の幸せ、、、それはわたしがずっと信じていること。
その思いが、わたしの別居を後押ししました。
そして、自由になったとき、わたしは確かに幸せをつかんだと思いました。
今はもちろん幸せとは程遠い日々だけれど、
でも、必要以上に自分を責める必要はないかなと思うようにしています。
いつか、何が原因だったのか、何を考えていたのかを話してくれるといいなと夢見ていますが、
今は、原因より何より、1日1日、弱った心臓が何とか持ちこたえ、今日も生きていてくれること、それだけが目標です。
母親が自分自身を責め続けることは、娘の回復の障害になると、いろんな本で読みました。
周りの人も、別にわたしを責めているわけではなく、
原因を探って助けようとしてくれているだけなんだと考えて、
別居と娘の病気の関連性は、いちど忘れるようにしようと思います
自分の心も守っていかないと、長い看病生活、乗り切れません。
自分を責めることを、すこしづつやめていきたいです