わたしは、映画でも本でも、結末を先に知りたい。
邪道だと言われるけれど、ネタバレを先に確認してから観たり読んだりしたい。
だからドラマシリーズなども、完結しているものなら安心して見始められる。
主人公が最後に救われるとわかっていれば、途中にどんな困難な展開があっても、
わたしは心を強く持って何とか耐えることができる。
救いようのないエンディングのものは、はじめから観ない。
人の感情にすごく共感してしまうので、主人公や良い人が苦しむのを見るのは、
自分のことのように辛い。
たとえ最後にはハッピーエンドになるとわかっていても、辛い展開になると、
早送りしてしまったりもする。
努力が報われなかったり、最後に良い人が幸せになれない物語は、辛すぎて直視できない。
でも、現実は、今生きているこの人生は、結末を知ることはできない。
この努力が報われるのかも、苦しみがいつか終わるのかも、
将来幸せになれるのかも、なにもわからない。
誰も、明日のことはわからない。。。
娘の病気のことで、いろんな闘病記を読んでいるけれど、
わたしが読むのは、回復してから書き始めて、回顧する形で、闘病を振り返るものが多い。
今、闘病の渦中にあります、という人のブログは(自分がそうだけど)、
その人の状況にわたしが一喜一憂してしまって、治ってほしいけれどその保証がないので、
読み進めるのが怖くなったり、辛くなったりしてしまう。
今わたしはまだ、出口の見えない真っ暗なトンネルの中にいる。
出口までたどり着くことができるのか、その先にちゃんと希望があるのか、全くわからない。
これまでの人生、わたしはいつも夢があり、やりたいことがあり、頑張れば何でもできるという根拠のない自信にあふれていた。
恵まれていたし、幸せだったと思う。
苦しみの真っ只中にいる人にも、頑張ればなんとかなる、なんて悪気なく声をかけてしまうほど、
ハッピーエンドを信じ切っていた。
でも、普通の生活が限りなく遠くおもえるほど絶望の底にいて、あがいても、いくら頑張っても1ミリも進めない、そんな状況にいる人たちもたくさんいるんだって、この歳になってやっとわかった。
それでも、どんな苦しみにも終わりが来ると信じたい。ハッピーエンドを信じたい。
今日も、その物語の1ページ。
巻き戻しも早送りもできないから、目をつぶるか、直視するしかない。
結末を完全に理解して楽しむには、目をつぶってるわけにはいかないよね、、、
前を見て、今日もがんばります。