同情されることで、目標達成する前に満足してしまうことがあるのかー
なるほど!
たしかにね。
「うん、うん!気持ちわかるよー」
「あるあるー!うちも一緒!」
と言ってもらえるだけで、とーっても気持ちが楽になるもんね。
でも、きっとこれは「同情」ではなくて「共感」
世のお母ちゃん達は「共感」で生きてるなと思うほど、「共感」には日頃からお世話になっている。
「共感」し合える仲間がいないと、子育てなんてやってられんわ!
「共感」と「同情」って似て異なるもので、「共感」が度を越すと「同情」になるのかな。
同情の意味には「かわいそうに思う事」とある。
この「かわいそう」って表現、はっきり言って私は好きじゃない。
対等ではなく、上から目線に感じてしまうことがあるから?かな。
一方、旦那は何かと「かわいそう」発言が多くて、
年の差兄弟のケンカを見ては「小さい子をいじめちゃ、かわいそうでしょ!」
痛ましいニュースを観ては「かわいそうに、、」
などなど。
あまりにも軽々しく発言するもんだから、「かわいそう」を巡って、ケンカになったことがある。
そしたら旦那は全然深い意味はなく発言していることがわかり、不幸な状況にいる人に対しての同情心であり優しさだということがわかった。
ま、この「不幸な状況」というのが、自分と比べてのことと感じられると、やっぱり上から目線な感じがしてしまうんだよね。
それに本当の意味で「同情」にハマってしまうと、「不幸な状況」の負のスパイラルに巻き込まれる危険性がある。
相談を受けて、一緒に深刻に悩んじゃったりね。
これじゃ本末転倒じゃね?と思う。
ある程度「共感」したら、それからどうしたい?
「共感」だけでいいのか?
「同情」まで欲しいのか?
「解決」したいのか?
「達成」したいのか?
とりあえず私は「同情」はいらないなー
で、「同情」を求められても無理だなー
「同情」を求める人にとっては、私みたいな人間はドライとかクールとか冷たいとかの印象を受けるのかな。
でも、とにかく私は「達成」したいんだ!ってことを再確認した^_^