宇宙の愛=無条件の愛に気付いた時 | Salon.de.Yからの贈りもの〜自分らしく毎日を豊かに生きるコツ〜

Salon.de.Yからの贈りもの〜自分らしく毎日を豊かに生きるコツ〜

禅タロット占い師でありスピリチュアルを現実社会に落とし込んで生きるスピリチュアリスト。
スピリチュアルの学びや宝石が持っエネルギーなどを通して得た気付き等伝えています。
私と言うアバターを使ってアセンションの過程を実験中。

よく私達は宇宙の愛である無償の愛で振動していると言われます。


が、私は頭では理解出来るけれど、それって体感的にはどんな感覚なんじゃろ?と常々思っていたんです🤔

 

それって、私達は当たり前の様に空気を呼吸していますが、「空気」ってどんな感覚?と言われても当たり前過ぎて説明出来ない感じに近いのかしらね?


いや、空気ならまだ説明がつくだろう…。

 

と言う事で、私の今年のテーマは、自分が宇宙の愛で作られている事を体感する事でした✨

 

ところが、先日、早くも無償の愛を体感するチャンス到来!

自分の中にある宇宙的な愛=無償の愛に気付くワークショップ(それだけじゃないけど)に参加してみました。

 

主催者がおっしゃるには、このエネルギーワークをしたからと言って無償の愛を感じる事はないのだとか。

 

私も常々、愛と愛情は別物とブログに書いていますが、愛はただ存在するものなので体感で感じる事はないのだそうです。


ただ、愛に気付くだけ…。


そうかぁ、感じる事は出来ないのか…何だかチョット安心する😊

 

因みに、ここまで読んで、愛と愛情は違うの?と疑問に感じたア・ナ・タ。


そう、「子供の事愛してるし…」「彼の事24時間かんがえているし…」と思った、そこのアナタです。

 

愛と愛情は似て非なるものです。

 

愛には何の縛りもありません。

ただあるもの。全てを包括するもの…なので、良い悪いのジャッジはありません。

 

愛情は執着を生みます。情が入るからね。


心配もすれば、不安にもなる。時に憎悪にも変わります。

 

例えば、お子さんや大切な人が旅行に行く時など心配をしたり、特にお子さんの成長には「こうなって欲しい」とか「可哀想な思いをさせたくない」等と守りたいと言う気持ちが強くなりますよね。


これが愛情。

 

恋人や旦那さんが好き過ぎて、自分だけを見て欲しいとか若い子にありがちな「自分が一番可愛いと思って欲しい」「貴方の為に綺麗でいたい」etc、これは全部愛情です。

 

だって、粘っこいじゃーん!ねちょ~っとした粘っこい周波数を感じません?

 

愛しているんだったら、相手が好きにやるのをただ見守っていればいいのよ。

もし傷ついて帰ってきたら、傷ついた相手をそっと受容してあげればいいだけ。

 

これから、もっともっとドライな関係になりますよぉ~。

 

おっと、話が逸れてしまいましたね。

 

私はこの愛に戻るワークをした時に「この事か!」と思ったのが、私達ってそれぞれ源の1欠片だったと言う至極当たり前の事。

 

よく赤ちゃんの事を愛の結晶と言いますが、これお父さんとお母さんの愛の結晶と思うから混乱するのよ。


愛の結晶とは源の事!源=愛、これの結晶です。

根源が結晶化されたのが赤ちゃんであり、私達。


ここを取り違えるから面倒な事になるの。

お母さんは我が子に愛情を持つのが当たり前とか…だから、育児に悩んでイライラすると親の資格はないのかな?って、女性は辛い事になっちゃう。

 

確かに私達は肉体という入れ物をもって、この地球と言う星で生活している訳だけれど、この身体は単なる物質であり魂の乗り物。

 

女性は周期として毎月卵が放出されている訳だけれど、そのお母さんの細胞の1つが受精して変化すると言う自然界の循環が起きているだけ。

 

先にも書いた様に、お母さんのお腹に宿った私達は、源の意識の結晶なんです。

だから、私達は愛そのものなんだって、私達は常に愛で振動しているんだと言う事にワークを通じて気付いたと言うより、思い出したんです。

 

因みに、私達が現実と思っている日常は幻想だと言いますよね。


釈迦やキリストはこの現実は幻想だと見破った人達、だから仏陀=悟った者と言う意味だし、キリストも悟った者と言う意味でイエス・キリストは悟ったイエスと言う意味。

 

よく私達は何かを意識すると、それに関係するものばかり目に入るって事、ない?

 

例えば、ダイエットをしようと決めたらダイエットに関する広告ばかり目に入るとか…。

 

私は、前にヒマラヤの高僧のエミール大師と言う、もう既にエネルギー体なのですが、エミール大師の話を聞いた事があり、もっと知りたいなぁと思ってあるヨガ行者の本を読んだ事がありました。


丁度、読書期間中の事でしたが、ヒーリングスクールの授業があって、電車が事故で遅れていて別のルートで会場の最寄り駅まで行った事があったんです。

 

当然ルートが違いますから、到着時間も予定時刻と若干ズレたのですが、ナントその時、駅のエスカレーターを下っていたら上りのエスカレーターからチベット僧が上がって来て私とすれ違ったんです。

 

これって電車が遅れなければ、私はそのチベット僧とはすれ違わなかったと言う事です。

それも2人も…。


つまり意識がそちらに向かっていたらチベット僧と出くわしたと言う事。

 

それで何が言いたいかと言うと、私達は自分が信じるもの、意識を置いているものが現実に投影されて、それが映像として意識の現れを見ていますよね。

 

私は自分が源の1欠片として振動しているだけの存在なんだと気づいた時、自分の振動数によって見たいモノを勝手に見ていると言う事に改めて気付いたんです。

 

よく言われている事ですが、例えるならこの現実は本当に良く出来たヴァーチャルリアリティーで、私達はこの肉体と言う乗り物にのってヴァーチャルリアリティーの世界をふわふわ浮いているだけ。

 

なので、先程のチベット僧に遭った話も、エミール大師にフォーカスが行っていたけれど、私はエミール大師の事をまだ良く知らないし、自分にはエーテル体の大師を見る事は出来ないと言う事にもフォーカスが行っていたから、姿形だけ似た人→チベット僧のいるフィルムを現実として見ていたと言う事なんだと思います。

 

勿論、この感覚にずっと固定されていれば仏陀の様に悟った人になれるのかも知れませんが、そこはまだまだ使い慣れた周波数に引き戻される自分がいるますけど…。

 

そうすると、あっ、自分は見たいモノを勝手に見ているだけなんだ、と言う意識になるので少し現実から引いてモノを見る事が出来ます。


喧騒に巻き込まれなくなると言うか…。


それに自分が源の一欠片なら、家族や友人、推しや嫌いなあの人も源の一欠片。


つまり、自分自身です。


あの人の才能が凄い!…これも自分が別のアバターを使って、自分の中にある才能を表現していると言う事。


苦手なあの人が勘に触る言い方をするのも、別の側面の自分の表現です。


そうなると、一瞬感情は湧いても、怒る事もないし、執着したり、情で縛る事もない。

ましてや戦いで殺し合う事もなけいですよね。


全部自分なんだもん。

上下もないんだもん。

 

そんな事もあり、先日AIに今でなくても良いから一生のうちに行くと良いパワースポットを教えてと聞いたところ、自分を探す(外に答えを探す)→そぎ落とし(要らない価値観や執着を手放す)迄は通ってきているので、今は戻るフェーズ(本来どう生きるのかを自然に選び直す)に向かっているらしい。

 

やはり自分が愛で振動している事に気付く事は大きな変化を促す様です。

 

OSHO禅タロットモニター鑑定を始めました。

只今、モニター様を募集しております。ご興味がございましたら下記よりご連絡をお願い致します。