本質に戻って現象界を慈しむ宵〜イザナギの甦り~ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

今回は、私にとっては意味ある繋がりですが、皆様には脈略のない雑文やもしれませんがお付き合い頂けますと幸いです。


ここのところ何故か肝となっているのが伊弉諾神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)。

そして黄泉がえり(甦り)と言う言葉です。

 

皆さんはご存じかと思いますが、イザナギとイザナミは古事記に登場する日本の始まりの神様。(実際は饒速日(ニギハヤヒ)なんですけどね)

 

古事記ねぇ…と言う方もいらっしゃるかも知れませんので、イザナギとイザナミの部分だけザックリご紹介させて頂きますね。


アメノミナカヌシの命を受けて、イザナギとイザナミは天橋立に立って、天沼矛(アマノヌボコ)を混沌とした水面に下し、コオロ、コオロとかき混ぜました。


すると、天沼矛から滴り落ちた雫が島となり、その島は淡島と名付けられました。これが現在の淡路島と言われています。


そして淡島にお社を作り、そこで沢山の神様を生み育てますが、火の神様である迦具土(カグヅチ)の神を産んだ時、イザナミは身体に火傷を負い(火の神様だから)その傷が元で死んでしまいます。

 

最愛のイザナミを失ったイザナギは嘆き悲しみ、怒りの余りカグヅチの首を跳ねて殺すとイザナミを連れ戻しに黄泉の国に向かいます。

 

黄泉の国の入り口に辿り着いたイザナギはイザナミに一緒に帰ろうと説得するのですが、イザナミは、自分は既に黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、もう地上には戻れないと言います。


しかし、一向にイザナギが諦め様としない為、イザナミは黄泉の国の王に葦原の中津国へ戻っても良いか許可を貰ってくる事にしました。


そして、イザナミはイザナギに、自分が戻って来る迄、一歩も中には入ってはいけないと言い残して、その場を去っていきました。

 

どれだけ長い事待ったでしょうか。


一向に戻る気配がないイザナミの事を心配になったイザナギは開けてはいけないと言われていた黄泉の国へ続く扉を開け中に入って行くと、そこには変わり果てた姿のイザナミがいました。

 

醜く朽ち果てた姿を見られ怒ったイザナミは、逃げていくイザナギを殺そうと追いかけて来きます。


やっとの思いで黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)まで辿り着くと、大きな岩でイザナミの行く手を遮り、こちらの世界に戻ってきました。


イザナミは身を清める為、川に入ろうと帯をとき衣を脱ぐとそこから次々と新しい神が生まれました。

そして、川に入り左の鼻を濯いだ時に、その雫から生まれたのが天照大御神です。続いて、右の鼻を濯いだ時に生まれたのが月読、最後に目を濯いだ時に生まれたのが、須佐之男命。三貴神の誕生です。

 

これがイザナギとイザナミの話です。


さて、話は変わり、以前私ははせくらみゆきさんの「言霊実相学」と言うセミナーを受けた事がありますが、日本語は1音1音意味があり、自然の音から発生しているそうです。

 

最初に生まれた言葉が「う」。


これは、前歯の上下を合わせてその隙間からでる音、この「スー」と言う息が漏れる様な言葉になっていない音が最初ですが、この「す」を「す~ぅ」と伸ばしていくと、最後に「う」の音になりますよね?

 

これが最初、古事記にある天と地が初めて分かれて、最初に現れたのがアメノミナカヌシとある、アメノミナカヌシが「う」に当たるらしいのです。

 

宇宙の根源に凝縮されたエネルギーが爆発して、天と地が出来て、次元を落として落としてアメノミナカヌシが現れた訳ですが、これを物理で表現すると、アメノミナカヌシが現れたのが25次元。


この25次元の世界は、紐理論でいうと物象があるけれど、固定化できずにパッと消えてしまう次元なのだそうです。(だからアメノミナカヌシは直ぐに消えてしまったんですね)


西洋の概念では神が宇宙を作ったとされますが、日本は最初に宇宙があり、そこから神様が生まれ、惑星が誕生し、人間が植物が…と生まれていく。


みんな同じ所から生まれ、繋がっていると言うのが日本人の世界観です。


話を日本語に戻すと、そうやって次々と次元を落として、タカミムスビノカミやカムムスビノカミが生まれイザナギとイザナミ迄来るのですが、五十音図でイザナギに当たるのが「い」イザナミに当たるのが「ゐ」なのだとか。


そして「い」と「ゐ」の間にある48音がこの2柱の神様が国生みをしていった神様の数と一致するそうですよ。

 

イザナギとイザナミは男女対になった二極性の神さんです。


イザナギは精神世界を象徴し、イザナミは物質世界を象徴するのだそうで…五十音図では丁度、対の位置にあるのが「い」と「ゐ」。


この「い」から「ゐ」に至る過程が精神界から物質化される迄の過程を表しているのだとか…まぁ、私も含めて、五十音図を見ただけでは分かりませんけどね(苦笑)。

 

さて、私たちの住む現象界では精神だけだと弱いんです。


だけれど物質だけでは人は欲にまみれ、争いばかり起こし、本来誰もが持っている神性と離れてしまいます。だからこそ、精神の部分が大事なんです。

 

日本人は霊性が最も高い民族と言われていますが、霊性だけでは世界から取り残されてしまう為、欧米に追い付け追い越せで経済=物質社会の発展に努めてきました。

 

でも、物質世界が発展して物が溢れる様になったら、心が貧しくなってしまった。

その結果、いろいろな犯罪や精神的に病んでしまう人が増えてきてしまいました。


だからこそ、物質的豊かさを携えて精神性の時代にもどる、そこが、イザナギの黄泉帰りなんです。


決してイザナギは黄泉の国から一人で帰ってきたのではなく、イザナミを連れてバージョンアップして黄泉の世界から戻ってきたと言えます。


何故って、黄泉の国から戻ると1人で神々を産むでしょう?


このイザナギの黄泉帰りは、豊かさを伴って精神性を上げていきましょうと言う時代に合致していると思います。

 

現代では多くの人がスピリチュアルと言うと何か宗教とか、引き寄せと言った怪しげなご都合主義のイメージが多いと思いますが、そもそもはスピリチュアルとは霊性や神性と言った「在り方」の事です。


つまり哲学的な分野の事なんですね。


さて、前置きだけで充分1投稿位の長さになりましたが、何故イザナギとイザナミの話を持ち出したのかと言うと、先日…と言っても、この投稿をする頃には1ヶ月弱程経ちそうですが…久し振りにレストランを訪れた時の事です。


私は昨年の終わり頃から、レストランを訪問する回数をグッと減らしていました。

 

半年間、学びの時間を取っていて忙しかた事もありますが、少し身軽になろうと、今の自分に必要ないモノ等、もう卒業しても良いかな?と思う事やモノは断捨離する様にしたんです。

 

その1つが外食でした。


レストランでの食事はワインをやっていた事もあり、ごく自然な環境でしたが、私の職場にはその様な世界を楽しむ人は殆どいません。


元はと言えばテーブルセッティングを教える人になりたくて今田美奈子さんのお教室の門を叩いた事をキッカケに、お姫様達の世界を知り、精神世界の事を知り、ワインを始め…いつの間にか、レストランが遊び場の様な感じになりました。


でも、今はそう言う時代じゃなさそうだし…振り返ってみると、浮世離れしていると言われた事もあったし…と考えている内に、自分にとってレストランに行く事にどんな意味があるのだろう?単に習慣なだけじゃないの?もっと有意義な事があるのではないか?と卒業態勢に入っていたんです。


いつもなら、今頃家族は家にいるのになぁとか、分不相応かなぁ等罪悪感に似た思いがよぎるのですが…。


でも、この日は、余計な事は考えず、今自分の周りにある全てに感謝を持って受け取ろうと決めました。


お店まで歩ける足がある事。心のこもったお料理がある事。お店の皆さんが良くして下さる事。美味しく食べられる位健康な事。ワインを愛でる技量がある事。


私は何て豊かさに囲まれているんだろう!


そして、この一瞬を享受出来るのは、これ迄自分がやって来た事の積み重ね。その全てが包括されて今ここがある事を感じました。


私は自分以外の諸々の尺度で考えていましたが、自分が好きな場所、自分が好きな味、好きな仲間と言う「今、自分はこのフェーズを楽しんでいる」「目の前にある現象界を楽しく見ている」と思ったら、それ以外の事はどうでも良いですよね。


自分の本質と切り離していた自分から、本質に向かう意味での甦り。

この現象界で起きる事は全て良き事へのプロセス。


そこに気づく為に「黄泉がえり(甦り)」が肝になっていたのかなぁ…

 

因みに、何十年も海外事ばかり目を向けていましたが、ここ数年、日本の成り立ちや日本人としての在り方を見るようになったのも、甦りなのでしょうね。


長くなりましたが、この日、私に「豊かさ」をプレゼントしてくれたお料理たちを紹介します。

 

 




アミューズはキュウリのスープ。タラゴン等のハーブを使ったお魚をすり身状と根セロリとクミンシードのコンフィ。

キュウリのスープは蒸し暑い雨の日(9/15)だったので涼を感じられる様にとの事。

 

 




前菜はサッと燻製にかけた鰆と鰆の下には茄子のコンフィ。

サラダの周りなど所々にあるのはカリカリにしたガーリックです。

レアに限りなく近い鰆のねっとり感(スモークサーモンの鰆版)と茄子のトロっと感。この2つの触感がなんとも言えません。

 

白ワインを炭酸で割ったものをスプリッツァーと言いますが、それにエルダーフラワーのシロップを入れたカイザー・スプリッツァーと共に、ここまでは頂きました。

 




今回はスープではなく、ほうれん草とチーズをパスタで包んだ、オーストリア版ラヴィオリ風。

きつね色に仕上げた溶かしバター(焦がしバター)をかけ、すりおろしたチーズをかけて。

 




こちらはヒルシュさんのグリューナーヴェルトリナーと共に。

しっかりとしたコクのある白ワインがお料理のミルク感とマッチして美味しかったです。

 




リンゴとバジルのソルベ。

このリンゴとパジルの組み合わせは最高に美味しい‼

私は家でリンゴジュースにバジルをいれて、我流で作ります。

 




メインはゆめ鱈のソテー。

カレー風味のスープ上のソースと鱈の下にはわかりづらいですがマッシュポテトが。

 



2022にリリースを始めた新しいワイナリーのグリューナーヴェルトリナー。

トロピカルな味わい。

ステンレス発酵のあと小樽で(古樽のほうかな?)で熟成させているとの事で、当然ながらボルドーの白ワインを彷彿とさせます。

グラーブのドメーヌ シュヴァリエに似た味わいですが、あれほどタニックではない感じ。

 

お初の作り手さんですが、良い作り手さんですよ。

 






ゼンメル(オーストリアのパン)を残しておいて、赤ワインと。


まだ若く微発砲が感じられるワイン。チャーミングな印象。

 




前回頂きましたが、デザートはお気に入りのプラムを敷きこんだシュニッテンとリンゴとシナモンのソルベ。

 




いつもはパスをするのですが、この日はプティフールと一緒に。