ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
オーストリアよ汝は結婚せよ③
結婚受諾の知らせは、スペインの王宮に届けられた。
ファナは決して陰気な女性ではなかった。
確かにファナは神経が細やかで内向的な性格だ。
しかし、なんと言ってもスペインの宮廷では母イザベラの存在が大きく、ファナにスポットライトが当たる様な事は殆ど無かったのだ。
その根源はスペイン統一の裏に隠された、母イザベラの壮絶な生い立ちにあった。
その生い立ちとは…
イザベラの母はカステリア王の二番目の妃だった。
カステリア王には前妻との間に28歳になるエンリケ王子がいた。
が、エンリケには世継ぎを残す能力が無いばかりか、優柔不断で周りから唆されれば謀反さえ起こそうとする、とんでもないヤツだったのだ。
エンリケに後を任せるには、かなり心許ない。
イヤ「ゼッテー譲りたく無い!」と言うのが国王ファン2世の心情だろう。
そこで、まだ40代だったカステリアの王は、新しく妃を迎え、何とか王子をもうけたい‼︎と考え、ポルトガル王女を妃に迎えた。
それがイザベラの母だった。
しかし、イザベラに続き弟アルフォンソが生まれると、程なくしてカステリア・レオン国王ファン2世は世を去ってしまう。
後にアルフォンソは勇敢で聡明な王子に成長するが、この時、イザベラは3歳、アルフォンソ8ヶ月。エンリケを差し置いて即位は出来ない。
「邪魔者は早く処分するに限る」と悪知恵だけは働くエンリケ計略でイザベラ一家は宮廷を追われてしまったのだ。
僅かな従者と共に、そのショックで発狂した母を助けながら貧し生活の中、弟と肩を寄せ合って暮らしてきた。
そして弟をカステリア王として王宮に返り咲きさせる為奔走し、志半ばで弟がエンリケの手に寄って死去すると、エンリケを倒し、自分がカステリア女王として実権を握り、志を共にするアラゴン王フェルナンドと恋愛結婚をした苦労人だった。
結婚後も統一されたばかりのスペインは未だまだ基盤が安定せず、スポンサーを見つける為に国中を旅しては、イザベラは旅先で出産する事もあった。
そんな留守がちな母の替わりに父と共に宮廷を盛り立ていたのがファナの姉だった。
そんな苦難の人生を越えて来た女丈夫の母と、母の血を引継いだしっかり者の姉の存在が大きすぎて内気なファナはいつも2人の陰に隠れた存在だった。
愛する父も華やかで賢い姉を可愛がった。
誰かがファナを表舞台に立たせる手助けをしていたら、ファナももう少し堂々とした人格となっていたかも知れない。
「ファナ、皆んなと一緒に遊ばない?」
「ううん、いいの。私は1人で本を読んでいるのが好きなの」
ファナは子供達と一緒に遊ぶ年齢になっても、友達の輪の中に入らず一人で読書をしたり、空想に耽っている様な少女だった。
カトリックの教義をきちんと守り、字が読めるようになると年齢より少し大人の難しい本ばかり読みたがった。
周りがお洒落に関心を持つ年頃になっても、ファナは黒など地味で目立たない服を好んだ。
その姿は女王のお姑さんに似ていた為、イザベラは時々冗談でファナの事を「私の義母さん」と呼ぶことすらある位だった。
…とまぁ、この様なこれと言って目立つ所のない少女ゆえ、フィリップが花嫁の評判を聞いてカチコチのスペイン女と思ったとしても仕方がなかったであろう。
季節は9月になり、カスケー湾沖では、数百人にも上がる扈従や船旅に必要な食料を乗せた数百隻の船団が今や遅しと出発を待っていた。
しかし、
ファナが代理結婚を済ませ、出発を目前に控えた頃、カスけー湾に台風がやって来た。
その為、ファナ一行は船中で待機せざるを得なくなった。
船中ではイザベラがこれが娘との最後の別れとなるかも知れないと、ファナを抱きしめながら、これからファナが背負うであろう任務について説くと言い聞かせていた。
この神経の細やかな娘にフランドル等という派手で雅やかな宮廷で王妃が務まるであろうか?スペインに有利な様に立ち回るだけの機転が利くのだろうか?
イザベラはこの娘の血の中にも、狂死した母の血が流れている事を思うと、この内向的で神経質な王女が異国で耐えられるのか心配で堪らなかった。
「もう少し風が収まる迄出航は待つ様に」
イザベラは何かと理由を見つけては、少しでも長く娘を手元に引き留めようとした。
(神よ、どうかこの娘をお守り下さい…)
母は娘を抱きしめる。
しかし…
(もう、ママったらいい加減にしてよ!私はこれからフランドルで新しい人生を始めるんだから。
そう、子供の頃から夢みた様な主人公みたいになれるのよ。ママのお小言はもう沢山‼︎)
そんな母の様子をファナは煙たそうな素振りで見ていたのだった。
つづく