フランスとイギリスは仇敵の間柄。
イギリス人がオーナーのシャトーなど1級に冠させるものか!!との意思表示に何物でもなかったのです。
世界の頂点に立つのがロスチャイルド財閥。
シャトー・ムートン・ロートシルトの誇りと名誉は著しく傷つけられたんです
何たる屈辱!! 何たる悲劇!!
ここから、ムートン1級昇格を目指して、凄まじい執念の戦いが始まったんです
格付けが発表されてから、1年、また1年とこれではどうだとワインを作り続けましたが、答えはいつも「Non!!」
元々1級格付けが当然とされる、何処をどう取っても非のつけようのないワインですから、改良のしようがないんです。
しかし、1級奪還を目指して、父から子へ、子から孫へと完璧の完璧。さらなる完璧なワインを産みだす為の努力が続けられました
そして、悲願を達成したのがネイサンの孫にあたるフィリップ・ドゥ・ロスチャイルド男爵。
今ではすっかり社名になっているバロン・フィリップです。
元々はフィリップはパリに住んでいたのですが、ボルドーのリセに通っていた為、しばしばムートンへ遊びに行っていました。
そして、祖母の建てた小鐘楼付きのシャトーと、シャトーで行われるワイン作りにすっかり心が奪われてしまったんです
そして仕事に忙しくワイン作りに気合の入らない父親に業を煮やしたフィリップは、父親にこのシャトーを自分にくれるよう迫り、1922年10月22日ムートンに移り住み、葡萄畑の見直しに取り掛かったのです。
水はけや葡萄品種の選別に始まり、少しの移動もワインに良くないと、シャトー内でワインの壜詰めを行いました。
今ではシャトー元詰めは常識ですが、当時は出来たワインをボルドー市内にある壜詰め業者迄運び、壜詰めをして貰うのが普通でした。
それを、樽から直ちにシャトーで壜詰めを行ったのもムートンが最初だったんです。
そしてシャトーで壜詰めをした大量のワインを保存する為、理想的な状態で保存出来るカーヴを建設したり、気候に恵まれず、いくら努力を重ねてもムートンの名誉を汚す様なワインしか作れなかった年は、「ムートン・ロートシルト」のラベルを貼らず、セカンドワインとして大幅に値を下げてリリースする等、現在、どこのシャトーでも当たり前に行われている事全ての先駆けをしたのがムートンです。
そして、品質でこれ以上改良する事がなくなると、ワインに見合うボトルを作ろうと言うことで、その時流行の画家にラベルを描かせたのです。
ムートンのラベルコレクションは有名ですが、1947はジャン・コクトーが、1948年はマリー・ローランサン、1958年のサルバドール・ダリ、1964はヘンリー・ムーア、そして1970年のシャガールと言う様に、一流の画家や彫刻家達の間で、ムートンのラベルを描く事がステイタスとなっていったのです。
そして1973年。
時の農業大臣ジャック・シラクはムートンを第1級に昇格させると言う省令にサインをし、最初の格付けから約100年、一族の悲願はとうとう達成されました
この記念すべき1973年のラベルを描いたのがパブロ・ピカソです。
100年の悲願を達成したフィリップ男爵はロアン公の「われ王たり得ず、されど皇太子の身でいることは潔しとせず、ロアンはロアンなのだ」と言う言葉を借りて「われ第1級たり得ず。されど二級に甘んずるを潔しとせず。ムートンはムートンである」と表明したと言うストーリーがシャトー・ムートンにはあります。
私は、私達が「こうありたい」と思う事は、必ず叶うと分かっているからです。
では何故諦めてしまうのでしょう?
情熱が冷めてしまったり、苦しくなってしまう事も1つでしょう。
そして、私達には寿命があります。
ですから、早く叶って欲しいんですね
早く叶えて、その先に行きたいんです。
でも、私の経験上、この様に思うのですが、物事にはタイミングがあります。
物事は一番良い時に、一番良い形で起きるんです
この一番良い時、一番良い形と言うのは、自分だけではなく、周りにとってもです。
皆にとって一番良い形として機が熟す。その時、夢はあっさり叶うんだと思います。
ですから、諦めないのも努力です。
疑わないのも努力です。
私達は、夢は叶うとお題目の様に口にしても、いつ叶うかは分かりません。
それだけに、不安になったり、下手をすると夢を諦めてしまう事もありますが、何年かかっても、周囲から呆れられても手離せない想いは、ちゃんと実になる事が心の奥で分かっているから
シャトー・ムートンの格付けへの執念は、ワイン産業の底上げ、現代の品質改良の為に必要な試練だったのでしょう。
そして全ての機が満ちた時、夢は形になるんですね