前回は生まれ故郷のマルチニーク島を出発する迄のお話しでした。
さて、晴れてフランス本土への切符を手にしたジョゼフィーヌでしたが、アレクサンドルには、既に未亡人のラ・トゥッシュ夫人と言う愛人がいましたので、占い通り、1回目の結婚は不幸に終わった訳です
長身で美貌のアレクサンドルに心を奪われたジョゼフィーヌでしたが、貴族社会では結婚はビジネスです。
ジョゼフィーヌは南国の島から出たての田舎っぺ。
残念ながら、サロンで通用するような教養も話術もなく、軍人であり、粋でダンスの名手でもあった夫は、子供が生まれても、殆ど家庭を顧みる事はなかったのです。
挙句の果てに、ジョゼフィーヌの故郷のマルティニック島を巡って、イギリスと戦争が起こりそうになると、アレクサンドルは、この戦争で一旗揚げて昇進しようと、愛人であるラ・トゥッシュ夫人とマルティニック島に出かけてしまいました。
そこで、第2子誕生の知らせに喜んだのも束の間、「懐胎期間が少し短いから別に父親がいるのではないか?」とラ・トゥッシュ夫人にそそのかされたアレクサンドル
ジョゼフィーヌは、怒りにまかせたアレクサンドルに、修道院に入るように命ぜられてしまう
実は、ラ・トゥッシュ夫人の夫が亡くなったのは、アレクサンドルが結婚する8日前。
ジョゼフィーヌが結婚したせいで、自分とアレクサンドルが結婚出来なかった事を恨んでいたのです。
そのラ・トゥッシュ夫人も、修道院行を命ずるアレクサンドルの手紙を持ってフランスに帰る途中の船で、若い将校と知り合うと、アレクサンドルを袖にして、この新しい恋人と結婚するのですから、ジョゼフィーヌは、とんだとばっちりです。
強運どころか、さっぱりな運勢ですよね?!
勿論、ジョゼフィーヌは在らぬ誤解によって家を追い出された訳ですから、泣きながら義理の父母に助けを求めましたし、我が身の不幸を嘆いたでしょう
でもね・・・・人生何が幸いするか分かりません。
修道院と言っても、戒律の厳しい修道院から、規則が緩い修道院まで色々あったんです。
ジョセフィーヌが入った修道院は、「朝と晩お祈りを忘れない事と外泊禁止。それ以外は自由」と言う、大分緩い修道院で、そこには大貴族の未亡人等が沢山いたんです
1話でお話した様に、ジョゼフィーヌは、侯爵家の御曹司と結婚すれば、マリーアントワネットのサロンに呼ばれると夢見ていたんです
自分も、サロンの花形になって、お姫様の様な生活が出来ると夢見て島から出てきたって訳。
でも、実際はどうかと言えば、
アレクサンドルの家柄はそこ迄では無かったし、ジョゼフィーヌはお勉強はさっぱりだったので、アレクサンドルはジョゼフィーヌにはサロンは無理と決めつけて、家に閉じ込められていた
それが、この世の楽しみは無いと思っていた修道院には、サロンの先輩方が大勢いたって訳です
しかも、後にはマリー・アントワネットの女官をしていたと言う貴婦人まで入居予定にいた訳ですから、人間、どこで道が開けるが分かりません
ジョゼフィーヌにとっては災い転じて福となる!!
この修道院時代に、ジョゼフィーヌは身のこなしやファッション、考え方に至るまで、貴婦人とはこう言うものなんだと言う事を学んだのです
そりゃ、良いお手本が沢山いるのですから、女磨きにも拍車がかかると言うモノです。
修道院で新たな世界を知ったジョセフィーヌは裁判を起こし、当時、死別以外に離婚は認められなかった為、別居訴訟を勝取りました
判決によって、アレクサンドルからは養育費を受け取る事が出来ましたが、遊び人のアレクサンドルですから、養育費が滞る事もしばしば。
そこで、ジョゼフィーヌは生活の為に、数人の愛人を持つことにしたんです
元々、ジョセフィーヌは無頓着な女性でした。
時流に合わせ、その時その時を生き抜く力を持っていましたし、修道院で多くの貴婦人達の処世術を見ている内に、「お金が無いなら、あるところから引き出せばいい」事を学んだのです。
やがて、革命が始まり、アレクサンドルは革命派に転身し、一時は国民議会の議長を務めたのですが、国王夫妻が処刑され、恐怖政治が始まると、今度は過激派に目を付けられて、アレクサンドルはカルム監獄に獄されてしまうのです
ジョゼフィーヌの愛人の中には、革命家の上層部の人達もいた為、ジョゼフィーヌは、これまでに、投獄された知人を何人も救い出していました。
人の良いジョゼフィーヌはアレクサンドルを助けようと、あちこちに手を回したのですが、それが仇となり、今度はジョゼフィーヌが目を付けられ、アレクサンドルと同じ牢獄に投獄されてしまうのです
牢獄で再会したアレクサンドルとジョゼフィーヌは、仲の良い友人として完全に和解したのですが、クーデターが起きる4日前にアレクサンドルは処刑
ジョゼフィーヌにも同じ運命が迫っていたのです。
・・・・to be continued