シシィとゾフィーの確執を解する上で避けて通れないのが、ゾフィーとフランツヨーゼフの絆の強さです。
今回は、何故シシィを愛しながら、フランツヨーゼフは母ゾフィーの側に付くのか、フランツヨーゼフが皇帝になる迄の道程を辿ってみましょう。
宰相でありながら、自分の自由に国政を操るメッテルニヒをゾフィーは憎んでいました。
バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家に生まれ、名門ハプスブルク=ロートリンゲン家に嫁いだゾフィー。
それが何を意味するかと言うと、王族の世界しか知らないお姫様にとっては、王族とは選ばれた人間であり、その他の人とは違う、という観念が非常に強いと言う事です。
その様に考えるゾフィーに非があるのではなく、当時としては-王権-王族による支配と言う観念が、まだ、当たり前の物だと思っていたのです。
しかし
ハプスブルク家には、メッテルニヒに代わる程の人物はおらず、期待されたフランツ・ヨーゼフは、まだ丁年に満たなかった。
その為、メッテルニヒが君主面して、やりたい放題権力を振るのを、ゾフィーは、じっと堪える他なかったのです。
それだけに、高級貴族出身者とは言え、王家の血が流れていない者が、国政に口を出し、宮廷を意のままに動かしている事に我慢がならない。
ましてや、過去に王族の娘を成上り者のナポレオンに売り飛ばした男だ。
同じ女として、義姉マリー・ルイーズに対する同情を考えると、憎んでも余りある存在だった事でしょう。
ゾフィーは、メッテルニヒによって鬼畜ナポレオンに降嫁させられた義姉の元を訪れては、メッテルニヒによる宮廷支配をこぼしていたのです。
そして
時流は民族独立の意識が強まり、メッテルニヒによって弾圧された政治に断固立ち上がる気運が強まってきました。
ウィーンにも革命が起り、メッテルニヒは失脚。
市民の要請によって、皇帝フェルディナントは退位声明に署名し、やっと愛息フランツヨーゼフの登板と言う段になって、急に、夫フランツ・カールが自分が皇帝として即位すると言い出し、頑として、譲ろうとしませんでした。
ゾフィーは、やっとの事で、フランツ・カールを説得して、愛児フランツ・ヨーゼフを皇帝に擁立させる事に成功。
ゾフィーがマリア・テレジアと並んで女傑と言われるのは、自らの力で息子を皇帝にし、ゾフィーを中心とした宮廷の体制を敷いた所以です。
しかし、何故、自分が皇妃となって実権を取らなかったのでしょう。
野心家と言われるゾフィーなら、夫を皇帝に擁立し、自分が皇妃となり裏で夫を操り、実権を握る事も可能だった筈です。
今となっては、ゾフィーの胸中は知る由もありませんが、フランツ・ヨーゼフが皇帝として即位した時点では、ゾフィーは、これで国が安定すると安堵し、国政には一切口を挟むまいと考えていた様です。
事実、ゾフィーは、自分は国政には口を出さないと公言していたのですから。
ゾフィーは、王族は神によって王権を託されていると考える「王権神授説」ではないけれど、メッテルニヒの様な、一塊の貴族による支配では民衆はついて来ない。
今や将来を嘱望された息子が皇帝になったのだから、国は持ち直すだろうと思っていました。
女の自分が出る幕ではない。
希望の星、フランツ・ヨーゼフに後は託そう、そう思っていたのではないでしょうか。
けれど、時代は、そんな甘い時代じゃなかった。
自由を求めて立ち上がった民族達の勢いは、とてもフランツ・ヨーゼフ1人の手には負えなかったし、宮廷に仕える大臣達は相変わらず無能だったから、ゾフィーが中心となって、若い皇帝を支えなくては、宮廷は機能しなかったのです。
そこへ来て、他民族達と一緒になって自由を叫び、宮廷を小馬鹿にする現代っ子のシシィがお嫁に来た訳ですから、新旧価値観の相違が生まれてもトーゼンです。
いよいよ、次の章から嫁vs姑の舞台裏を見ていきたいと思います。
↑メッテルニヒ。教養もあり物腰も優雅で若い頃は中々のイケメンだったらしい。勿論、女性との噂も数知れず…とかなりモテた様です。
・・・・to be continued