勝手なイメージで、ゾフィーってガリガリの意地悪オバサンと言った風貌かと思いきや、若い頃のゾフィーは、かなりの美貌の持ち主で、バイエルン公ルードヴィッヒ1世が、地位に関係なく、とにかく美人の写真を集めたと言われる「美女コレクション」に連ねる程の美しさだったそう。
↑若い頃のゾフィー。噂通りの美人さん。
しかし、多くの王家の女性に漏れず、ゾフィーも恋愛を諦め、政治の駒として意に沿わない相手との結婚を受入れねばならない運命にありました。
皇太子フェルディナントは、先天性の水頭症の為、絶えず癲癇の発作を起すし、精神的にも障害がありました。
その弟の大公フランツ・カールも心身共に脆弱な青年でしたが、そのフランツ・カールこそ、ゾフィーの結婚相手。
不安と絶望に夜通し泣いていると民衆から噂されたゾフィー。
ゾフィーの養育係が、その噂を母親に伝えると「今更どうしろと言うの。結論はもうウィーンの会議で出ているのよ!」平然と突っぱねたそうですから、この時代になっても王女様に生まれたと言うのは悲劇的です。
「私はその様な大公とでも幸せになってみせるわ」健気にもゾフィーは変えようもない運命と戦う事を誓った様です。
この時の開き直りが、ゾフィーの持つ野心に火をつけたのかも知れません。
民衆の目には、名門ハプスブルクにお嫁入りする王女様は華々しく映った事でしょう。
しかし、皇帝フランツは花嫁を前に「息子はあのような状態だから、あなたは自分1人の力を頼りにしなくてはならない」と詫びたのです。
それでも、ゾフィーは子供の面倒をみる様に夫を愛し、4人の子を育て上げ、ハプスブルクの嫁としての義務を果たしたのですから、なんとも健気なお嫁さんです
この不幸な、若奥様時代に、ゾフィーに女性としての喜びを与えたのが、ライヒシュタット公。
ナポレオンとマリー・ルイーズの子供です。
マリー.ルイーズはゾフィーにとって義姉にあたり、ライヒシュタット公は義姉の息子ですから、禁断の恋と言えば禁断の恋です。
美貌の貴公子として社交界から注目を浴びていた、長身のライヒシュタット公に熱を上げ、21歳で世を去る迄、献身的に看病したのがゾフィーでした。
既婚・未婚を問わず多くの女性の熱い視線を集めたライヒシュタット公。
父ナポレオンを英雄視し、父を凌ぐ立派な軍人になる為に、病身を押して教練に立つ程の熱心さ。
ひ弱で無能な義兄や夫を見てきたゾフィーには、頼もしくもあり、この様な男の支えになりたいと言う、封印した筈の夢を重ねたのか、それとも、憎むべき敵の血を引く孫として、一生を軟禁状態で終える運命のライヒシュタット公に、自分と同じ、王家の犠牲者と言う同情を覚えたのか、ゾフィーの思いは計り知れません。
いずれにしても、ゾフィーは、若い頃自分には得られなかった、封印した筈の恋心を癒すかの様に、ライヒシュタット公に想いを寄せていたのです。
↑ライヒシュタット公。父の様な立派な軍人になる事しか考えていなかったので、結局は、ゾフィーの片想いだった様です。
・・・・to be continued