フェルディナントが皇帝に即位したのは、「長子相続法」に則ったから。
昔の王族は従兄妹同士、酷い時には叔父と姪といった親結婚が非常に多く、フランツ2世も従姉妹同士の結婚でした。
その為、設けた子供達は病弱な子が多く、フェルディナントも例外ではありませんでした。
フェルディナントは先天性の水頭症で、しょっちゅう癲癇の発作を起していましたので、廷臣達は、いつ人前で発作を起されるかヒヤヒヤしていたんです。
病弱で執務不能な皇帝に替わり、影の皇帝として、手腕を振るう宰相メッテルニヒ。
多民族国家のハプスブルク領から独立を狙う民族や共和制を訴える人達、言論の自由は徹底的に奪われ、メッテルニヒによる恐怖政治が横行しました。
華麗なロココの時代は終わり、貴族に変わって文化の中心となった市民層はメッテルニヒを恐れ外出をせず、家に閉じ籠る様になった為、この時代の生活様式は「家庭内でチョット良い物」と言う気風に変化していったのです。
その為、女性的な曲線美のロココの様式から、庶民向けの簡素で使いやすく質の良さを重視した傾向となり、市民的様式、又は小市民様式のビーダーマイヤーと呼ばれる様式が誕生したのです。
メッテルニヒに対抗する機運が強まり、3月革命でプラハ城に逃げ込んだフェルディナント帝は退位。
フェルディナントに替わって、18歳の甥フランツ・ヨーゼフが皇帝に即位する事となるのです。
病弱故に、余り多くの食事を摂れなかったフェルディナント。
それでも、従来のハプスブルクの君主達に違わず甘い物が大好きだった様です。
なかでも好きだったのがザルブグルガー・ノッケルン。
ノッケルンとは塊と言う意味。
山の様な形をした「スフレ」の事。
フランスのスフレと言えば、程よい大きさのココットに入って出てきますが、ノッケルンは大き目のグラタン皿(?)に3つ程のお山が連なっています。
見た目は、白い山肌に、ほんのり焼き色がついて、雪に覆われたチロル地方の山に夕日が映っている様な印象。
レストランのデザートでは、アングレーズソースの敷かれたお皿に、1山ずつ取り分けて頂きます。
ザルツブルクは名前の通り塩の産地。
ザルツブルガー・ノッケルンもほんのりとした塩味がする、上品な甘さのお菓子です。
日本で大ブームの「塩〇〇」と言った味わいです。
ザルツブルクでは16世紀から食べられており、ウィーン会議によってザルツブルクがハプスブルク領となった事によって、ハプスブルク家でも食べられる様になったとか。(「ハプスブルク家のお菓子」参照)
政略結婚の犠牲として病弱な身体で生まれたフェルディナント。
辛く苦しい日々を慰めてくれたのは、側で看護をしてくれる優しい王妃とお菓子達だったのかも知れません。
この様な形に焼きあがります。一瞬、食べきれるの?と思う位。
ふわっ、ふわで、口に入れた途端に消えてゆく様。1山、ペロッと行けちゃいます。
下の写真は、レストラン「銀座ハプスブルク」にて