マリア・テレジアが理解しがたい女性、ポンパドール侯爵夫人。
神の前で誓った婚姻だけが聖なるものと考える彼女は、愛人という立場の女性に対しては嫌悪感を持っていました。
高じて風紀取締委員なんて作ってしまったテレーゼ。
これはウィーンっ子から、そっぽを向かれてしまう結果に・・・。
男女の仲は正論では片づけられませんから、大きなお世話です。
とは言え、テレーゼとポンパドール夫人とでは、愛そのものが大きく違う様な気がしてならないのです。
片や与える女性vs与えられる・・・いえ、奪う女性。
テレーゼの夫フランツは言ってみれば婿養子。遡ればシャルル・マーニュ(カール大帝)に辿りつく名家であり、ルイ14世とも縁戚です。
とは言え、ハプスブルク家とロートリンゲン家では格式が全く違います。
それだけに、フランツはいつもテレーゼの影の様な存在に甘んじていなくてはならなかったと言うのが一般的な見方です。
が、テレーゼにしてみれば、いつも心の中では、フランツに手を合わせる思いでいました。自分のせいで肩身が狭い思いをさせて済まない、と。
それだけに、自分が与えられる限りの物を全て与えたいと思っていました。
だって、テレーゼの中心はいつもフランツだったんですもの。
それだけに、父帝の死後、代々受継がれてきた神聖ローマ帝国の王冠がバイエルンに移ってしまった時は、今にも泣きだしたくなるのを堪え、フランツの為に奪還する事に全力を尽くしました。
その甲斐あって、帝冠がハプスブルクに戻って来て、フランツの戴冠式の時は、身重の身でありながら、戴冠式に出席する為の旅に同行した程です。
しかも、フランツが主役となれる様、自分は影となり列席せず、バルコニーから夫の晴れ姿を見守りつづけました。
そのテレーゼを見つけて、フランツが大げさに両腕を広げ天を仰ぐような恰好をすると、テレーゼは嬉しそうに笑い転げていたと言う仲睦まじいエピソードが残っています。
フランツを心の底から愛する事。
愛する人を幸せにする事が女帝としての精力的な日々を支えていたのです。
フランツがいたからこそ、偉業を成し遂げる事が出来たのです。
テレーゼは人を愛する事が大好き。
加えて、王家に生まれた者は国民を幸せにする義務を遂行して、初めて幸せが得られると考える女性です。
自ら国民と共に喜びも悲しみも分かち合いたいと思う、テレーゼは、戦費で国民が疲弊している事を肌身に染みて知っているテレーゼは、王家は質素(質素の感覚は庶民とは違いますけど)に、税金は国民の為、福祉の為に使っていたのです。
さて、ルイ15世の寵姫 ポンパドール夫人。
彼女は、古めかしい宮廷にパリからの新風を吹き込みます。芸術を解す
る事を良しとし、ここにフランスのエスプリが芽吹くのです。
確かに、国王に多くの喜びを与えたでしょう。
マンネリ化した宮廷に新しい文化を作ったでしょう。
ポンパドゥール夫人は、フランスを文化大国に育てあげる為に、フランスの国庫を使った訳ではありません。
国費の代わりを用立ててくれる財界人もバックに沢山いました。
しかし、お城の建設、宮殿の改築、身内等に自分の意のままに与える地位、内政・外交を牛耳ったり・・・・。これらの費用は、国民の血税です。
勿論、愛人ですから国母として生きる必要はありません。
寵姫なりの苦労もありました。
でも、私には、どうにも国王の耳元で「あれが欲しい」「これが欲しい」、「誰それが酷い事を言うの、なんとかして?」と単なるおねだり上手な女性としか思えないのです。
「バック買ってぇ」とおねだりする女の子と大差なく思えて仕方がないのです。
彼女は確かに国王に愛を与えたかもしれませんが・・・。男性を踏み台にして生きる女性としか思えないのです。
リッチな男性をモノにして、何でも与えて貰える。
割の良い男性に愛される事で、自分の価値を高めようと言う考え方の女性には羨望の生き方かも知れません。
貴女は愛を与える女性になりたいですか?
欲しい物を手にする女性になりたいですか?
私は愛を与える女性になりたいです。
だって、自分から生み出す物は枯れる事はありませんから・・・・。