「柳生博 森に暮らし、鳥になった人」
に収録された3冊目は、「柳生博 鳥と語る」
「日本野鳥の会」会長時代に書き下ろしたエッセーだそうで、柳生さんの一つのエッセーごとに
安西英明さんが、優しい説明をしてくれています。
コウノトリ、ツバメ、タンチョウ、タゲリ、きがらしペンギン、シマフクロウ・・・
※これは山梨で撮ったツバメです。雛はかわいいです
日本のコウノトリは一度絶滅してしまったのを
豊岡の人たちが里山を作り、合鴨農法を取り入れたり・・・
そして、それを永続させるために、「コウノトリの舞」というブランド米を作ったり・・
コウノトリを中心に昔ながらの里山にどんどん変えていった話。
安西英明さんの話では
大きな鳥が空を飛ぶのは実はとても大変なこと。
群れで飛ぶときはお互いにぶつからないようにするのが一苦労。コウノトリなどの大型野鳥がとぶときに整列するのは、間隔を保って規則正しく飛ぶことで、お互いがぶつからないようにしているわけです。・・・などとつづきます。
※雪化粧の八ヶ岳
イヌワシの話は前回にも書きましたが
柳生さんの感動が伝わります。
イヌワシは、生態系の頂点にたつわけで
当初、八ヶ岳山麓の荒れ果てた人工林だったところを、何年もかけ、沢山の人たちと
広葉樹を植え、伐採し、を繰り返して、だんだんに昔ながらの雑木林の姿になり、
イヌワシが餌をとって何ヶ月も住めるだけのフィールドになった・・・基礎が出来た
《土の中からミミズが出てきた→花が咲いた→虫や動物(野ウサギ、へび、山鳥、キジ、シカやカモシカの子供など)が沢山住み始めた》
※キバシリ 野鳥のなかでも特に好き
里山の話、ピヨピヨじいじ
本文より・・・(ちょっと要約)
春、凍っていた八ヶ岳の地面が溶けて、カタクリや福寿草の花が咲き出すと 僕の野良仕事は俄然忙しくなります。・・中略・・・朝起き抜けに、長靴を履き手袋をはめ、左側にのこぎり、右側に剪定ばさみの納まったベルトを締めると、スコップを持ってまず林の中へ。
そのとたん鳥たちが頭の上にわーっと集まってきてピヨピヨ・・・
孫たちが「じいじが行くとまたピヨピヨがでてくるよ」ということでピヨピヨじいじとよばれるようになった。
種明かしは
5~6月は鳥たちの子育てシーズンと重なり、親は何百回となく虫をあたえるので
その大事な虫が、林を歩くと・・・ましてスコップで地面を掘ればもっとたくさん出てくる、という鳥たちの学習が、柳生さんが朝、野良仕事スタイルをしただけで、鳥たちが集まってくるんじゃないかな?ってことらしい。
※ゴジュウカラ こちらを向いてます
さて、私が病の中、見た夢・・・大きな黄色い鳥と小さな黄色い鳥と遊んだ夢は
この「ピヨピヨじいじ」のイメージからだったのかな。
ただ、夢で色を意識したのは初めてで妙にリアルな映像だったので本当に私はあの世界に行っていたようなのです。
大きな鳥は・・・格好はコジュケイのようで黄色一色
小さな鳥は・・・やはり真っ黄色。
う~ん、↓キビタキのように背中が黒羽ではないのよ。
さてさて、私の夢の話になってしまいましたが
野鳥の会は鳥たちの渡りや生息地域などで、地球規模の話がでてきます。
最後の章、コアジサシは好きな鳥で、ちょっといい話なので最後に載せたいと思います。
コアジサシ・・・本文より
「横浜市の行っていた埠頭工事現場でコアジサシの集団繁殖が確認されました。
成鳥約1000羽、雛483羽、巣の数490個、県下最大の営巣地です。
そこで日本野鳥の会は、子育てがすんで飛び立つまで工事を中断していただけないだろうかと市にお願いしました。
・・・中略・・・
僕の息子みたいに若い中田宏横浜市長から快諾の返事を頂くことが出来ました。
そのときのことを思い出すと僕は今でも泣けてきます。
きっと大変な思いで決断され、工事に関係するさまざまな人たちを一生懸命説得してくれたのだと思います。
コアジサシは草の少ない裸地に巣をつくります。
工事中で埋め立て後の埠頭には砂利が敷き詰められ、草も生えていなく、営巣地としては絶好の場所だったのでしょう。」
中田宏さん、今は参議院議員をされていることかと思いますが
この時の横浜市長、中田宏さんのことは、この件でではなく私も覚えています。
こんな政治家の方もいらっしゃるんだから、世の中捨てたもんじゃない、と思います。
3冊目の鳥の本は視野を広げてくれました。