皆さん、おはようございます。
阪神・淡路大震災から今日で28年が経ちました。
神戸の近くの尼崎市で被災した私はこの日の事を一生忘れません。
このブログを初めて投稿してから既に8年が経過して、私も昨年定年退職しましたが、私の想いは当時のままです。
本文に登場する長女は明日で29歳の誕生日を迎え、昨年のクリスマスに結婚しました。
月日が経つのは早いですが、この時の教訓は風化しないで欲しいと思います。
皆さん、こんばんは!
こちらのブログは私が今から5年前に阪神・淡路大震災の事を振り返って書いた物です。
早い物で、このブログを書いてからも5年も経ったんですね…
このブログを書いた当時は、仙台に単身赴任をしていて、最初の冬を迎えた時でした。
少し時間が経ちましたが、阪神・淡路大震災を神戸市の近くの尼崎市で被災した私としては、ブログを書いた当時と災害に対する想いは全く変わっておりません。
今、改めて読み返してみて、月日が経っていても違和感を感じなかったので、再度、掲載させて頂きますね。
改めまして、震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
皆さん、こんばんは!
今日は関西の人にとっては、忘れられない阪神・淡路大震災があった1月17日を迎えました。
あの未曾有の大震災から早いもので20年が経ちました。
私には明日21歳の誕生日を迎える長女がいます。(昨年が成人式でした)
私は阪神・淡路大震災が発生した時は、神戸と大阪の間にある兵庫県尼崎市に住んでいて、その日の朝を迎えました。
まだ就寝中でしたが突然、下から大きく突き上げられる様な衝撃を感じて、家の壁という壁がスゴい音を立てて軋み始めました。
『地震や~!』
と叫んで、布団から飛び起きました!
幸い、嫁さんと当時4歳の長男、翌日に1歳になる長女も無事でした。
実は、私の当時の自宅は数年前に完成したばかりの15階建てのマンションの1階に住んでいたので、幸いな事に大きな揺れはなかったのです。
当然、高層階のお家は揺れがひどくてタンスや食器棚が倒れて、滅茶苦茶になったそうです。
1階は壁の軋みは凄かったのですが、マンション自体を支えていたので、あんまり揺れなかった様です。
でも、私の自宅の最寄り駅のJR尼崎市駅から2つ神戸側の駅の甲子園口では、駅前のマンションが崩れて1階の方はお亡くなりました。
私の家族もマンションが倒壊していたら、助からなかったと思います。
更に、地震の前々日には、神戸で被害の大きかった三宮で会社の後輩の結婚式の二次会があったので、私は出席していたのです。
地震の発生した後に二次会のあったビルに行きましたが、完全に倒壊して瓦礫になっていました。
二次会の会場はビルの地下1階だったので、地震発生時にその二次会場にいたら、やはり助からなかったと思います。
地球時間にとっては、36時間は点みたいな物だと思いますが、地震発生の時刻は、私にとっては大きな36時間のズレだったのです…
阪神・淡路大震災では多くの方が犠牲になりました。
私の長女は昨年、成人式を迎えましたが地震発生当時に、同じ年頃のお子さんを亡くされた親御さんは、本当に辛かったと思います。
心よりお悔やみを申し上げます。
今日は、ニュース番組の中で阪神・淡路大震災の事を取り上げられる度に、ニュースを見ながら涙していました。
でも、あの大震災で助かった私達は、犠牲になられた方々の分も震災で得た教訓を後世に伝えていかなければならないと思っています。
私は、阪神・淡路大震災から20年という節目の年に(正確には1月前の12月)、東日本大震災で被災した仙台に転勤して来ました。
震災復興支援が仕事のミッションの大きなテーマの1つになっています。
阪神・淡路大震災の時に、全国の皆さんからご支援を頂いた関西の人間として、今度は東北地方の皆さんに少しでもご恩返しが出来ればと思っています。
私が仙台に赴任したのも天命なんでしょう!
頑張りますね!
\(^_^)/
仙台市内は夜から吹雪いてきました。
おしまい
では、またね (⌒0⌒)/~~
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