今回、数年ぶりに息子が病院通いをすることになったが、産まれてから12年間通い続けた小児外科。


あの日々を振り返る今日この頃。


ふと思い出すのは、医師のタイプが二種類に分類されること。


私は妊娠した時、母体も胎児にも問題なく、ただ悪阻が大変で8ヶ月頃まであっただけだ。


その後、急に血圧が不安定になり、浮腫みが出てしまったが…破水から始まった出産は、陣痛が無くて困ったっけ。


結局、実母が反抗するので、丸一日処置が出来ず、おまけに陣痛促進剤の投与中にベルの故障で看護師が来ず、予定の倍以上が投与された。


その後、陣痛が始まって一昼夜、陣痛で苦しんだが、お盆休みになるというので、万が一に備えてスタッフが揃ううちに処置をすることになり、帝王切開にて出産。


此処までで、気なるのが悪阻の症状と血圧の異常、そして陣痛が無かったこと。


こうして生まれた息子は仮死状態で、小児科医の処置で産声を上げた。


あげたが、今度は呼吸が変だと言い、気胸という事で同市内にある別の病院のNICUへ転院させられた。


そして私と言えば…出血多量で生死を彷徨い、万が一に備えて増血剤を数本ブチ込んで、ひたすら悪寒との闘い。


病室に移され、気がつけば足元で実母が呪いのような恨み言を吐き続けている。


意識は遠のくし、悪寒が酷くて、真夏なのに毛布と冬用の掛布団を二枚と、湯たんぽを入れても寒さで震えが止まらない。


こんな状況で、恨み言を言い続ける婆は異常。


翌朝、気がつけば朝食だと言い、無理やり起こされる。


自力で起きれるはずがなくて、リクライニングを使って座位になったが…眩暈で意識が朦朧とした。


そんな状態の中、三日目には車椅子に乗れるまで回復。


兎に角、小一時間かけて数メートル先のトイレまで歩く。


これを繰り返すこと数日、息子の様態を電話で知らせてくれるが、通常でも帝王切開の場合は十日以上かかるところを一週間で退院させてもらった。


この状況を理解できない婆と姉には、さすがに腹が立ったが、こちとらそれどころではない。


NICUに入った息子の状態は、保育器に入った状態であり、気胸は自然治癒するモノであったが、排せつ機能に問題発覚。


ヒルシュと判明し、人工肛門を造設した。


これにより、通常の生活が送れるが、欠損した腸の長さに比例するという話を聞き、三歳まで無事に生きられれば、その後は年を重ねるごとに正常になると言われたが、合併症に注意が必要とも。


この時の担当医が有名な外科医で助かった。


けれど、看護師が全くなっていなかったため、マジでブチ切れたっけ。


仕方なく、回復しきっていない身体に鞭打って自宅へ戻ったが、転院先は都内の小児病院。


通うのも大変だけど、この地域には病院が極端に少なく、都内へ通うしか方法が無かった。


まず、紹介された医師は最悪だった。


患者はモルモット。


ただし、WOG外来の専門看護師が有能で、信用出来る医師の外来日を教えてくれて、おまけに丁寧な処置をしてくれるので助かった。


こうして不安な日々はどうにか乗り越え、工夫と必死な看病の結果、息子は無事に回復。


いろいろあったが、とにかく体調の問題は峠を越えた。


そして入れ替わるように発達障害の問題が浮上。


これまた最悪で、医師は愚か満足なケアが受けられず、小学校でも最悪の結果がまっていた。


やがて私の限界が過ぎて、ある日の事、転倒して骨折。


以降、災難続きである。


息子を実家へ避難させたが、婆はもう子育てに向かないし、元より苦手な人である。


中学卒業まで置いておきたかったが、たぶん息子は虐待されて死んでいたかも…。


ろくに食事を与えられず、まともなご飯を食べさせてもらえなかった。


仕方なく引き取って、再びこちらで生活始めたが…最悪。


私は仕事を失うわ、体調は悪化するわで…どうにもならず、そんな中、昨年の夏に息子が癲癇になった。


その癲癇で通院する病院は、悪名高き●●医科大学病院だ。


手術と入院だけは御免こうむるよ。