そもそも私はどうしてこんな病気になってしまったのか…

考えてみても意味がない。

なってしまったもんは仕方がない。

何が良くて、何が悪かったのか…と問われても、そんな物知らん( ̄_ ̄ i)

ただ今は先のことを考えてもしょうがないし、過去を嘆いてみても何もならんということだけだな。

あと、この先ストレスためる様な行動は止めよう。

言いたいこと我慢するのも止めよう。

そう、少しブラックな感じでいいと私は思う。

ありのままの私でいよう...

他人に思いやりなど持たなくていい。

そんな余裕などありはしないのだから…

痛いときは痛いと言い、不愉快な気分なら不愉快だと口にし、言葉に刃物を持たせてみてもいい。

そう、そんな気分になったら、我慢せずに吐き出そう。

どうせこの先、やりきれない思いに泣く日もあるだろう。

そんな時は我慢せずに泣けばいい。

誰の人生でもない、私の人生だ。

孤独!?

そうだな…

この病気になった時から…いや、子供に障害があった時から、理解されることはなかった。

そう、周囲に対して鈍感になればいい…

私は私。

私は私のことだけ考えていよう。

病んでいる人間はそれだけで十分。

何も求めず、何も期待せず、流れに身を任せる...

そして時には抵抗を試みる。

それが病んだ人間の生き方なのかもしれない。

誰に非難されようとも、もうすでに難病を宣告された時からゆがんだ人生だ。

今更、ゆがんだ性格だとか、自分勝手な人間だとか、そんな風に揶揄されたって開き直っていればいい。

結局、私たちの向かう先は一つ…【死】なのだから...

病気で死ぬか、事故で死ぬか、寿命をまっとうするか…ただそれだけの違いだ。

何を想い、何を後悔するかなんて、人生終わってみなければわからない。

自分の思う正しき行いが、視点を変えれば違ってしまうように、病人がみな等しく前向きに生きる必要はない。

病を悲観して人生を終えたとしても…それが不幸だと他人が言ったとして、それが何になる!?

その人を救えるのはその人自身だ。

救いを求めて他力本願に縋ったとて、それで救われたと思うならそれでよいのでは!?

世の中、強い人間ばかりではない。

弱い自分を受け入れ、もがき苦しむ人がいて、それを非難することができるだろうか!?

私は、子供の頃より「気が狂えたらどんなに楽だろう…」といつも思っている。

けれど、いつも私は気が狂えずに、どこか冷めている自分の感情を目の当たりにしてしまう。

ま、平たく言えば、物心ついた時から世間を斜めに見ている、相当捻くれたガキだったということ。

だから、己の病の宣告を受けても『ああ…そうなんだ』と、どこか冷めた感情しかなかった。

慌てふためくわけでもなく、ただひたすら病気のことを調べまくった。

そして答えは…今までと何も変わらない…だ。

自分の病気は自分で管理する。

それ以外何もすることはない...