少々早いけど7:05熱海行きで小田原へ、8:07発で京都へ向かいます。
さらに京都から2時間ちょっとした電車の旅となります。
先週末、尾張の庭展の旅、今回は庭展NARA、同日開催のなにわの庭展に訪れます。
これ…..高校生作ですって⁉
えっと…NARA…..居ましたね
^ ^出展者「伝説の剣」
お話を伺うと⚔️にもっと、リアリティを持たせたいと…
すかさずの意欲、奈良ならではの鬼が割った岩とか、、、
柳生一刀石
オモチャぽく見せてのむちゃくちゃ重い🗡️剣だったりとか^ ^
彼はきっと来年期待の星です^ ^
さて、次はなにわです。
一路戻って大阪方面に向かいます。
そうそう、関東組出展二組
そのうちの一つ、埼玉出展者の坪庭はまさに自然表現の切取り、というか落葉を敷き詰め実生樹を思わせる天然感がよく表現されていました。
欲を云えば四方向板塀で囲って板間から観る構造で秀逸だなと思わせる造りでした。
一覧後、キリバシを打つ庭鷹さんと鋏について興味深いお話が聞けました。
やはり、ご自分で打つ人の話はすごい。
ここまでくるのに何本も失敗を繰り返してきたこと…..他との比較…..何がよくて、何が異なるのか、まるで鋼を打ち練り返す様に工夫に工夫を重ねたと仰っておりました。
その中でも…..気になっていた芯金が途中で引っかかる原因について聞ける機会がありました。
同じく、庭鷹さんも気になっていた部分だったそうです。
芯金付近のデリケートな部分の理と工夫…..。
この部分は実際に示し合わないと、おそらく理解できない。
先代安広の芯金部分がスムーズなのはそういうことだったのか…..
説明を受けながらそう確信できた。
おっと…..ここは次回以降京鋏徹底研究最終回に見送ろう。
そして…..コロナ前はよく通った心斎橋付近、今夜はいつも定宿にしていた朝日カプセルホテルに向かったが…..なんと休業中⁉
Googlemapで他を当ろう。(・_・D フムフムすぐ近くにグランドサウナ心斎橋があった。
さっそく訪ねると…..まだ空き室あり、助かりました。
しかし、週末価格ということでしたが即決定。
久しぶりのカプセルホテル…..
カプセルホテルのデメリットは音です。
よくあるのが…..スマホの打ち音、レジ袋の音…..そしてイビキです。なので耳栓をしての眠りに入ります。
翌日28日(日)RC SNSで知り合いになった小島庭園工務所の小島さんを訪ね、軽トラガーデン展を観てきました。
心斎橋から御堂筋線長居公園まで9駅で到着
金賞です。
さすが造園連完成度が高い^ ^
小島さん曰く、近年の住宅事情の傾向と職業意識の問題には頭を痛めている様です。
坪庭と共に課題点は後任者と新たな作庭模索、やはり民間主催でも造園連でも悩みは同じです。
埼玉西武球場バラとガーデニングショウ以来、各地緑化フェア開催の其々完成度の高いガーデンショウがあるものの、文字通りショウガーデンである。
民間主催のガーデンショウの主張が私感ではあるがダイレクトに響くものがある。
公共機関等開催のショウガーデンには様々な企業機関の目的があり、人とお金も動くが何故かこころ❤️ときめくモノに出会わない。
造られた完成度も高く、材料もふんだんに使い、技術の豊富さも感じるのに、それ以上それ以下でもなく、、、
よかったね感^ ^
新素材 発泡材
その中でも発砲ウレタンを使った素材が気になった…..
彼は奈良の有本造園の有本 直樹さん
彼がこれからどの様な庭を作っていくのか.....
庭展NARAで見つけた伝説の剣は或る意味、これから感は満載だ。^ ^出展側のお言葉からは制作初期から技・材の比較をしてしまうと伺った…
民間主催ならではの闘争心も大事な要素といえます。
或る関係者曰く、「頑張ってますよね、よくなってきましたよね」との感想、何をもって良くなってきたのか今一つわからない^ ^
まぁ、あくまでも記者の感想に過ぎないが、より多くのイベントを観てきた業界人にとっての感想が窺える。
しかし、作庭業界人が自ら共同体を形成組織するエネルギー、組合でも無く協会でも無い事業体といえる。
過去、様々な組織に帰属していたが、どちらかといえば同業者動向の足並を揃え、出る頭は討たれ利権温床の保身組織ではハブ状態になるのがせきの山。
そもそも協会や組合の事業体は会社組織とは異なる物…しかも個ではなく公共化には会社組織そのもので疲れる。
帰属する組織が次々にNPO化する中で退会を期に柵と共に解き放たれた。そういう疲弊の中でSNSを通じて知り得た新たな鼓動、それがこの庭展。
アートあり、思い込みあり、マグマのように形にならないエネルギー、自然を表現する姿勢、公共イベントには無いその沸々とした意欲がこの庭展に見えるのは私だけだろうか。
かつて路上で行われていたジュエリーガーデンのイベントには幅広い職種が参加型に近いものはあるものの、園芸色が多く表現には遜色もないがやはり何かしらのエネルギーは年々減少していった。
と、各地各庭展に自分は一体何を期待しているのだろう。
若い自分の「庭とは?何を作り、何を表現するのか?」
伝説の剣も竹のジャングルジムのコものびのびと作っている様に思える。
それが、、、5年生になると様々な庭園私観に影響を受けて少しずつこうなんじゃなぇ?的にらしい形状になり、それ以降10年生くらいになると技術的な処にはしる。
そうなると、鶏のひよこからヒナになる頃なので追いきれないので技巧派になっていく。
それは出来なかった仕事や技工が出来る様になったり、技能技術習得に偏り、基本デザイン、構成要素の素養が疎かになる。
そうすると、創作能力を問われ、発想ボキャブラリーの伸び幅が狭まる原因となる。
こればかりは老舗の親方や経験豊富な先輩の導く環境が要求されるので尋ねるとよい^ ^
おそらく、過去自身形成期には独立を機会と家庭を持ち、どうやって喰って行こうかと、もがき苦しむ自分がいて、運良く時代に乗れた自分もいる。
しかし、リーマンショックやコロナの影響化で経済は構造不況という抽象的景況感に陥る。
この自分では如何にもならないもどかしさの現状にいる事と老齢の鬱々心に漸く動きがで始めたきっかけになれたかもしれません。
この歳だからこそ感じることかもしれませんが、振り返るとどうやら10年周期で変化している事に気がつきます。
先日、取引先の社長との会話で出た言葉、「唱えれば必ず叶う」と、昔読んだビジネス書に似た様なことが書いてあったっけ.....、
大人の夢は思い描くことで夢に近づく行動が伴ってくる。
自分がデザインを意識しはじめたのが30年も前のことだし、気が付いた点では制作技術が高くなっても構図構成が足りないと思うのは私だけでしょうか。