今回は、簡素に奈良紀行です。

 

関西へはいつも小田原「ひかり」で臨みます。

 

コロナ過のせいで車内は貸し切り状態。 

 

驚くほど空いていました。

途中、お約束の富士山が見えてテンションが上がっています。 照

 

ここ数年、年末に行っていた奈良へはコロナの影響で自粛していましたが、全国的にみても感染者数の少ない奈良へ

 

年明けより昨年に比べ早急な現場もなく、平城宮管理の応援です。

 

Googlemapのストリートビューに反映されるかもしれないとワクワク感も抱き2月末から2週間の間作業に入りました。関東からの私、奈良近県から桜井市、京都、大阪からも応援に来ていました。

 

歳をとっても新しい出会いと新鮮な話題に感謝しています。

 

登録有形文化財指定の園内管理や民間の管理を含め、平城宮跡と多彩な作業を体験してきました。もう少し居たかったのですが、自身の仕事依頼があり帰還。

 

到着初日 2021年2月20日(土)

 

先ずは依水園、依水園については年末の為、管理作業に入り2年連続拝観できませんでした。帰ろうとしたとき一昨年、隣の吉城園の受付の方からうちを見ずに帰るのかと、お叱りを受け園内を散策、今年は既に無料で依水園からの吉城園もなかなかでした。

 

依水園周辺地図

位置的には官庁街付近に依水園があります。

隣は吉木園です。

 

 

依水園に関しては庭園史学の森蘊氏の関係性を以て以前より興味があった庭でした。

 

 

マレス・エマニュエル 京都産業大学 准教授

庭園史学の森蘊より抜粋

 

https://www.mori-osamu.com/

 

1952年(47歳)、森は奈良文化財研究所の建造物研究室の室長になります。ここからようやく庭園史研究に没頭することができるようになり、桂離宮や修学院離宮の研究をはじめ、全国の歴史的な庭園の実測に力を注ぎました。しかし、一般的な庭園測量図と異なり、森の「地形測量図」には植物が省略されています。庭園の立地環境と水系をあきらかにするため、広範囲にレベル測量を行ない、厳密に等高線を描き、石と建造物との相互関係を表現しました。

 

1967年(62歳)、奈良文化財研究所を退官して、京都大学農学部の講師であった村岡正とともに「庭園文化研究所」を設立しました。それ以降は実測調査のみならず、古庭園の発掘・復元・整備の事業を指導することになりました。京都では法金剛院や浄瑠璃寺、奈良では旧大乗院や円成寺、平泉では毛越寺や観自在王院などの歴史的な庭園の発掘と整備に尽力しました。

 

簡単にまとめると、森は現代の日本庭園史学の基盤を築いた人です。現在の文化財修理では当たり前のように実施されていますが、徹底的な文献資料の分析、精密な現地調査と測量図の作成、そして発掘調査の成果を照合した「復原的研究」という方法論は森が確立させたものです。

 

若草山を見て

築山側からの景色

築山が緩やかなので全体が上品に見えました。

冬景色、網代敷松葉が憎い演出をしています。

借景、築山ラインが若草山とリンクしてとっても穏やかで雄大な庭でした。