鋏のケース、あまり話題にならないので.......。
2020年1月31日、都内E&G東京校にて「空飛ぶクルマ」に来てた村田さんこと植猫さんに久しぶりに会いました。
なので今回は鋏のケースのお話、これも記録の為に書いておかなくっちゃー!
まず、1985年の35年前とか1980年の40年前以前だと鋏をどの様にしていたのか?
なにせケースはあったのかもしれませんが?うちでは鋏のケースを使っている職人はいなかった。
その頃ケースに近いといったら釘袋が近い存在、たしかジュート織物だったと…….。
けど、あまりいい絵姿ではありませんでしたよ。なにせ釘を入れるための袋だし
当時の鋏は大久保鋏が主流、関西も関東もその違いも判らなかったあの頃、雑誌「庭」が1972年に創刊される。
恰好も一人前ということで自身も誂た事もあります。あの当時の恰好は股引に腹掛けか乗馬ズボン、後にズックにズボンと変遷を経てきました。
袢纏は動くコマーシャルお得意先の屋号を入れた袢纏を主に着ていましたが、車のハンドルに掛るというので着なくなったと先代が申しておりました。
道具の発達から.......。
それ程の進化は無いと思うが進化(工業化進歩)によって良くなっていると思う。
住宅庭園史を振り返ると1872年明治5年、日本に登記法が確立されると土地建物が個人の財産になる。
つまり日本の住宅庭園史は明治より現代に至り、一般的には1923年大正12年関東大震災後頃、住宅庭園は庶民化してきたといえます。
その当時の鋏は帯に挟む、あるいは麻紐、若しくは畳のヘリと鋏が掛れば何でもよかった。
まぁまぁ、いつの間にか枝に持って行かれて、よく腰から鋏が消えていることも多々あって肥しになっていました。
そうそう、いまから30年か35年くらい前、小宮山さんの処に居たという職人さんはポケットに差してた職人もいた。
画像は1886年明治19年頃当時の写真、
以前も説明したように、帯に鋏の差し位置が左に付いているのは恐らく鋏が写る位置をモデルにつけ直した可能性が高い。
剪定鋏が普及し始めたのは50年くらい前くらい1970年昭和45年頃、なにせ46年ぐらい前の剪定鋏との出会いはあまりいい思い出がない。
しかもノコギリと云えば長柄鋸、しかもアセリが大きくゆっくり落ち着いて曳かないとアセリが飛ぶし、松の切り透かしとなると二現場で目立てに入れるので最低でも3本は持つことになります。
プラ柄折込の鋸を使いだしたのが1980年頃、同じころ剪定鋏も使い始めた記憶があります。
当時の折込鋸は木製の柄が多く、何処のメーカーだったのだろうか、当時の柄は少し細身でグレーのプラスチックだった。記憶は薄いのですがおそらくシルキーだったのでは.......。
そして鋏のケースを使い始めたのもおそらく同時期だったと思います。
鋏のケースに関しては業界に於いて必須のものとなりました。
それがガード付剪定鋏を注文した時点でケースをどうしようかと悩んでおりましたところ、昨今よく見るシザーケースでまかなった例です。
振りがだいぶ長くなりました。
そろそろケースも改良版も出ても良いかと思いチョットした提案を…….。
そこで、袋状ケースは不変なのでホルダータイプの提案をして見ました。
イメージ的にはこんな感じ、Amazonからお借りした画像です。
現実はこんな(困難)な感じ(笑)
もう一つはツル手鋏の口清さんの云う輪鋏のケースは、以前からあの形があまり好みではありませんでしたので既存の鋏のケースをシザーケースに入れてみました。
これは敢て使っていたケースにパンツを履かせたかった。
ということで深い意味はありませんが、好みで云うと四角い方がいいなという理由で挑戦!(笑)
こんな感じに、
当初、畳の縁や釘袋で賄っていたケース、四半世紀におよぶ習慣から腰元にあることに慣れておりますが、新たな習慣を身に着けてはいかがでしょうか。
植猫さん、どないでしょうか?