さて、再び京都を訪れることになった2018年9月5日、小田原からの新幹線の自由席車内は通路まで混雑し、車内販売が出来なくなっていたほどであった。

 

車窓を屈んで見ると過ぎ行く川は、満々と汚濁した長良川が変色してチョコレート色になっていた。今年は台風の当たり年、毎週のように上陸しており、大変な被害が出ている。

 

10時13分京都到着、前日の台風が過ぎ去った爪痕が残る京都市J R駅ではガラスが割れて中央口が閉鎖、到着後先ずは龍安寺に向かうため山陰本線で円町駅、市営バス15で終点立命館大から龍安寺に、登り気味道路途中のクヌギ等がバリバリに折れ北山都乾園さんでは同じく2本倒れていました。

 

この龍安寺では、以前書いたブログ(ゲシュタルト心理学・プレグナンツ効果)の確認と目視した勅使門の撮影が目的でした。

 

帰り際、くら寿司を見かけたので昼食をここで取るつもり、ところが台風でネタが届かないという事ではじめて回転しない「くら寿司」で昼食をとった。

北区を後にして市バスに乗り込み山陰本線円町駅から東西線二条城駅→烏丸線北山駅より、殊更前回調べる事の出来なかった京都府立京都学・歴彩館に赴き早速口清調査に臨んだ。

 

先ずは、京せんずい。どうも取得方法により写真撮影は厳禁、コピーをとって熟読します。

 

実物はA5サイズで全5巻ほどしかない。

 

其の中の創刊号72年昭和47年6月15日発行「口清のきりばし」画像、73年春4「御所透かし」小島佐一 昭和48年5月21日、73年夏・秋5昭和48年12月17日発行『京せんずい』を確認、早速紐解きながら伏せんを挟んでコピー。

 

その次に、開発に関わる大事な存在、植熊神戸政次郎氏の調査をいたしましたが、当時の商工名鑑にも登場しません。