それでは、改めて5W1H構成にて概略をまとめて口清の鋏を探っていきます。

 

 

 

何時

ブログ文を読むと初代近藤清助氏は江戸時代後期。1850~であると推測されている。

口清:二代 清次郎(1868 M元-1936 S11)鎌・鉈・植木鋏(おたふく型)神戸型へ改良 12歳~70歳亡

口清:三代  清三郎(1898 M31-1975 S50)現在の京鋏12歳~77歳在職

 

 

何処で

京都三条の鍛冶屋に弟子入りし、技術を高め京都三条は三条小鍛冶宗近や粟田口吉光に代表される刀鍛冶の流れを汲む鍛冶屋で主な仕事は、鉈や鎌の製造であったという。数年の修行ののち独立。屋号は修業先の伝統に習い。口に一文字自分の名前の頭文字を付ける。そういう決まりであった。そのため、「口」に自分の名まえの「清」をつけて。「口清」という屋号が誕生した。修業先の屋号は口中。当時京都には口○という屋号の鍛冶屋も多く。

 

現在でも数店舗口○という屋号が残っている。初代においては鋏を作る機会は無く、そのような機会が訪れたのは二代目になってから。二代目の清次郎氏に時代は移る。植木屋道具も作っていた二代目に植熊の大将が訪れ、鋏の製作の依頼をしたとあります。植熊とは、裏千家今日庵出入り方庭師を指し、建仁寺の他大小の露地庭を手掛けている京都を代表する庭師。

 

「私ら生まれん先やからわからんですけれども、それで七条の今でもあります。植熊というんですが、そこの三代前の主人が、鋏をいっぺんやってみんかというたらしい。

自分もやったことはないけれど、方法は知っておったからやってみましょう、お金はいりません。使えるか使えんかいっぺん使ってみてくれというて、こしらえたのが鋏作った初めらしい。」

出典:口清について 味楽談楽 1955年 ふいごから送風機に

 

神戸型は庭師神戸氏の先々代政次郎氏と口清の近藤清次郎(2代目)との合作。二代目近藤氏のもとに現れた植熊とは誰のことだろう。口清2代目の時代だと明治の半ば過ぎで、神戸氏の先々代は2代目植熊神戸政次郎氏の可能性が高い。(植熊初代、2代目、3代目加藤熊吉4代目加藤三郎5代目小河正行)

 

誰が

二代 清次郎(1868 M元-1936 S11)鎌・鉈・植木鋏(おたふく型)神戸型へ改良、三代目が神戸を基本として、今日の現代人に最も使いやすい形として、いわゆる口清型とも言うべきものをつくった。

 

何故

鋏は切箸、そして、輪鋏の2種類。当時の輪鋏はお多福と言われる形が京都の標準。現在でいえば、佐助型のような形が主流であった。そんな、鋏に転機が訪れた。清助氏のもとに訪れた一人の植木屋。以前から何丁か、鋏を注文していたのだが、もっと太い枝も切れるようにしてほしいという。

 

 

刃を改良しても、納得してもらえず、持ち手や輪の部分、開き角度などを修正してもダメだった。そこで、清助氏は、輪を今までより下の位置で作ることにより、鋏のカシメ下の長さを長くすることによって太い枝を切れることを可能にした。

 

 

この鋏は現在の京都の輪鋏の源流の形であり、当時はその植木屋の名まえをもとに「神戸(カンベ)型」と言われた。ちなみにこの形を口清型という人もいる。

 

どの様に

鋏には大きく言いまして、二種類をつくっております。ひとつは輪鋏、もうひとつは切箸というものです。

輪鋏は小型で丸型のものです。切箸は細長いやや大型のものです。

このほかに両手鋏という大型のものがありますさかい、都合三種類になるまっしゃろか。しかし、植木鋏と言われるものには大体輪鋏と切箸に分けてええと思います。輪鋏は1から3まであって、切箸は1から4までの大きさの違いがあります。輪鋏はこまい仕事。切箸はこまい仕事から根切りまで、幅広く重宝される。

 

この植木鋏にもいろいろ歴史がありまして、少しずつ工夫されて進歩してきましたんです。たとえば輪鋏でいいますと、現在のものは神部型といわれるのが、基本になっております。

私の親父が庭師の神部さんに言われて、考案改良したもので明治の末年でっしゃろか、楕円形になりまいした。これで非常に使いやすくなったんです。わたしはこれをさらにスマートにして美しいものにしました。

 

一口で申すのは難しおすけれど、刃と刃をピタリと合わすのです。そのためには刃の焼きが大切ですし、刃の裏の削りもうまくいかないといけまへん。また、刃と刃の交差を支える根元の心棒、これをカラクリといいますが、そこの細工もいります。特にカラクリのところでは、留め金のカシメル部分に遊びを考えた細工が必要ですわ。

このあそびがないと鋏はなんぼ刃が上等でも切れませんのや。これは口では言えまへんが、やってみたらようわかります。

 

京せんずい 1973年 昭和48年 夏・秋 5 2015-01-08 21:21:58 小川氏記録

まとめると、小さな鋏から神戸型を考案し、現在の口清型に改良された。

 

 

関東では華鋏から大久保鋏が改良された形状、太陽丘に収まる型の形状進化に似ている。

 

2018年9月3日(月)午前中の用足しから戻るとレターパックが届いていた。「嵯峨大覚寺門前宮下町21-2 植木バサミ」とあります。

~早っ! 開けると25日にお願いした口清さんの鋏が届いていました。

手紙にはこうあります。「今まで見てきた口清のわらび手の中でいちばんいいと思います。」とありました。ご自分の打ったものでもなく、さらに目指したいと思いますとあります。

 

完璧な姿になって戻ってきましたよ。この仕上げ修理は市郎さんそのものでしょ、ありがとうございます。大事にします。