五輪という名の虚構の祭典  | 日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

「ウクライナ戦争」を描くことで、プーチンとは何者なのかを書きたい。

五輪という名の虚構の祭典  2024/7/26 18:00

 

開会式が深夜の2時頃から始まるという。各国の選手団と関係者は船に分乗し、風光明媚なセーヌ川を下るという。

 

世界は対立と分断の様相を呈している。出場に一部制裁がかかっている国もある。かかる現実の中で、膨れ上がった五輪に疑問が投げかけられている。一つはオリンピックが国別の競争になっていること。一つは開催国の負担がどんどん大きくなっていること。一つはテロの対象となる恐れがあるということ。

 

商業的に採算が取れるビッグイベントであり、その開催に手を揚げる国と都市がある以上、これからもオリンピックは続くのであろうが、さっき、今日の開会式に合わせて、フランスのスポーツ担当相のインタビューをCNNJapanで聞いた時、嫌な予感が走った。警察官3万人、フランス軍2万人、民間警備会社から何万人とか述べていた。このスポーツ担当相の話を聞きながら、これをテロリストたちも聞いているのであろうと思った。警備が厳重であればあるほど、テロリストたちは敢えて挑戦をしようと考えるのではないかと想像したのである。

 

もうたいがいで、金メダルの獲得数で競うようなオリンピックは止めた方がいいのではないか。競技種目は増えていくし、施設整備費は膨らむし、警護にかかる人員と費用も増えていく。しかし、その費用の増大以上にオリンピックは経済効果を産むという論理も成り立つのであろう。だから国の威信をかけて、開催都市が次々と手を挙げてくる。

 

東京だって2回開いた。パリは3回目だという。2020年の東京五輪は巨額の汚職を産んだ。おそらくどこの国の五輪でも大なり小なりの汚職は付き物であろう。巨額の利益を目の前にしたら不法・不正はしちゃいかんと思いながらもお金の誘惑には敵わない。つい手を出す。人間という生き物がそもそも欲望の化身だから。

 

IOCは世界で1番の稼ぎ頭であろう。各国から金を吸い上げ、また金をばらまく。スポーツの祭典という理念を掲げて各国に「オリンピック委員会」を作らせ、それを統合してきた。そして4年ごとに一大イベントを開催してきた。各国は国の威信をかけて開催の成功に尽力してきた。かかるシステムをIOCが築き上げてきた訳であるが、思うに、IOCという組織はその運営において目を見張るものがあると評価すべき点があることは間違いない。なにしろ、ほとんどの国と地域を傘下に収めているのだから。考えたら、世界のすべての国と地域を従えていると言っていい。この力は国連をはるかに超えている。

 

五輪は友愛と平和の祭典という。確かに一人一人の競技者たちの闘いは見ていて美しいが、オリンピック全体として見るとき、それは国家間の戦いを呈する。メダルの獲得合戦である。最高の栄誉を受けた金メダリストでさえ、その名は人の記憶に長くはとどまらないというのに。

 

それぞれの競技種目はすでに世界選手権が用意されている。各国地域でトップレベルの闘いの場が、それをサポートする機構が整備されている。テニスはオリンピックの種目にあるのかな?スポーツの中で、ウインブルドンでの優勝者ほどその名誉と華やかさで右に出るものはあるまい。野球もそうだ。MLBのワールドシリーズの覇者はオリンピックの優勝を超えていると思う。

 

オリンピックは今や壮大な催しものと堕したしまった。理念は通俗化し、権威は地に落ち、その威厳は薄っぺらなものになった。誰か、オリンピックはもう止めようと言い出す人物が出てきてもいいように思う。

写真はYahoo ニュースから

 

 

 

地図、テキストの画像のようです