皆さんは聖書を読んで、神が創造者、キリスト、聖霊、これらが別の位格であり、同一の神である(三位一体)と感じたことはおありですか。
これを信じる貴方は、こうした教えを人に納得いく様に伝えることができますか。
私はまだ一度も、納得いく様な説明を聞いたことがありません。
この三位一体説を論じると大変長い話になりますから、三位一体の矛盾点を聖書から述べ、読者の皆さんがどう感じるかで考えてみてください。
こうした考えは西暦4世紀にローマ皇帝が宗教指導者達を召集のもとに開かれた会議(ニケア会議)で、「父(創造者)、子(キリスト)、聖霊、これらが其々別の位格(主体)であり、三者は同じ神である」との決定がなされたわけですが、これ自体聞いてすぐ理解できる話ではありません。
先ずこの決定に問題があります。
イエスは地上におられた時、「わたしが世のものでないのと同じように,彼らも世のものではないからです」(ヨハネ17:14)と言わわれました。
また「私が世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなた方は世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなた方を憎むのです」
(ヨハネ15:19)とも言われました。
ここでイエスが言われた「世のものではない」と言う意味は何を含んでいるのでしょうか。
イエスやイエスの弟子(聖なる者)の最終の住処は天にあるという意味もありますが、世、つまり世俗の価値観や世俗の常識の下にないことを意味します。
これは政治権力、人の決めた法律や常識の下にないことを意味しています。
ですから、当時のキリスト教の宗教指導者達が、ローマ皇帝の権力に恐れてか、或いは擦り寄ってかは分かりませんが、その様な会議で聖書解釈を決定すること自体あり得ないことです。
もっと厳しく言うならば、既にその時代の宗教指導者は原始キリスト教からは遠く離れた背教者であったといえるでしょう。
今日のカトリックもプロテスタントもこの教えを引きずっている限り、聖書を正しく理解するのは困難なことでしょう。
例えば「人の子に逆らう言葉を語るのがだれであっても,その者は許されるでしょう。しかし,聖霊に言い逆らうのがだれであっても,その者は許されないのです」(マタイ12:32)とあります。ここでの述べてある人の子とはイエスのことであり、イエスを神とするならば、聖霊も神とする三位一体論者はこの不一致をどの様に解釈するのですか。
1人の神がおられるのか、三位一体の神がおられるのか、聖句の細かい論争は沢山あります。
読者の皆さんが自分で聖書を読み、素直に三位一体の神を信じられるかどうか、考えてみることです。貴方を教える組織の指導者がこれは聖書の秘義であると言って、曖昧にするかもしれませんが、それで良いのでしょうか。
ヨハネ14:26には「父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」と言われました。
この三位一体が決められた当時、聖霊を受けた「聖徒」は1人もいませんでした。
そこで決定されたこうした理解は本当に聖書の教えと言えるでしょうか。
この教えに固執すると終末に聖霊を受けた「聖徒」が現れた時、これを受け入れることが困難になるかもしれません。
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