ものみの塔の統治体の人々は、終わりの日の始まり(シンテレイア)を世界第一次大戦の始まった1914年といいます。この主張は今でも変えていません。
そして今は2022年、既に108年が経過しています。
この矛盾を繕う為にマタイ24:34に書かれている「世代」の解釈をいろいろ変えています。
しかし考えて欲しいのはこの「世代」の問題ではありません。
1世紀、イエスは天に昇って行く前に使徒たちの質問に応えてこの様に言われました。
使徒1:6、7 (さて,集合したときに,彼らは[イエス]に尋ねはじめた,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」。 [イエス]は彼らに言われた,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません。」)
今の統治体と呼ばれる人たちは、自分達を聖なる者(油注がれた者)としていますが、イエスの再臨の日(終りの日と関連)に関して使徒達にさえ、それを知る権限がないと言われたのに、今日の統治体の人々はこの時と時代を知ることに熱心で、他の教会と同様に一向に当たらないのは当然です。
これは神に対して非常な「僭越な行為」と言えるのではないでしょうか。
彼らにはイエスが述べた「約束の聖霊」などありません。
彼らは自称「聖なる者、油注がれた者」と言っているだけではありませんか。
約束の聖霊を受けた人は、自分が油注がれた者としての奇跡を行う力が与えられました。
この聖霊による奇跡が彼らの「身分証明書」でもあるのです。
確かに終りの日には1世紀に油注がれた者が奇跡的な力が与えられたのと同じ様に、終りの日にも聖なる者にも奇跡的な神からの力が与えられる事が聖書にも記されています。
ルカ21:14、15 啓示(黙示録)11:6
では何故、どの宗派も終りの日を見出す事に熱心なのでしょうか。
それは人を勧誘する効果的な言葉だからです。
「終わりは近い」宣伝することによって人の心は動揺し、その弱さを利用して勧誘するのです。
確かに今日の世界状況は、非常に不安定で、多くの人は将来に対し大きな不安を感じている事は事実です。
平和な社会は遠のいている様に感じるのも自然な思いかもしれません。
確かに聖書で言う「終りの日」は近いのかもしれません。
しかし皆さんは決して慌てる必要はありません。
多分世界中に「聖なる者」が現れ、イエスが行った様なさまざまな奇跡を行なって「神の王国」を宣べ伝える人々が現れるでしょう。その時こそ彼等に従い、彼等を助けましょう。
そうすればかって、モーセがエジプトで奴隷状態になっていたイスラエルの民を紅海の水を割って道を造り、イスラエルを救出した様に私たちを救ってくださるでしょう。