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ローバー隊隊長の言葉

月一のローバー隊集会での、「隊長の言葉」です。

スカウティングの目的は「社会貢献」でありその目標は「自分で考えて行動できる青年の育成」です。ローバーはその最終部門であり、スカウティングの仕上げです。

そのヒントになる話を毎回隊集会で話しています。

今月のテーマは「星」です。

 

私は星が好きです。
川崎ではあまり星をみることができませんが、特に空気の澄んだこの季節はよく見えてうれしいです。

初めて星空で感動したのは、北海道の夜空でした。

1981GATC川崎7期で、第3回北海道シニア―大会に参加したときでした。

十勝平野に広がる壮大な星空を、飽きることなく眺めたことを思い出します。

 

人が亡くなると「あの人は星になった」と言います。大好きな人であればあるほど。

それはきっと本当のことです。

この世の空にはたくさんの星が輝いています。多くの功績を残した著名人が。

でもきっと君にしか見えない星もあります。
大好きだったおじいちゃんおばあちゃん。
お世話になった近所のおじさんや、先生。
若くして友人を亡くした人もいるでしょう。

その人を思いだしたときに、輝く星。

 

橋本前団委員長が勇退され、私たちに思い出の品や資料を残してくださいました。

その山田元団委員長の遺品もありました。
私がカブスカウトで入団してから、ローバースカウトを経て指導者・隊長になるまで、
ずっと山田団委員長でした。

菊スカウトの面接で「菊スカウトは”聞く”スカウト。謙虚に人の話に耳を傾けるように。」
と教えてくださいました。
山田団委員長は神奈川連盟における指導者訓練の黎明期に活躍された経歴を持ちます。

1924(大正13)年イギリスのギルウェル訓練所に日本人として初めて入所した佐野常羽長老が、

翌年富士山麓大洞の地に指導者訓練所を開き、そこに入所したのが山田団委員長です。

その後、その地が山中野営場となり、多くの指導者の育成に尽力されました。

そしてその遺品の中に日本語のアメリカスカウトハンドブックがありました。

戦争によって1972(昭和47)に返還されるまでアメリカの統治下にあった沖縄は、
BSA(ボーイスカウトアメリカ連盟)の極東連盟琉球地区であったため、

日本語のハンドブックが発行されていました。

驚いたのはその送り主、BSAの創設メンバーであり、そのスカウトハンドブックの編集者である、

William Hillcourtだったのです。
山田団委員長は当時日本連盟の広報委員長であったためと思われますが、

自分の身近にボーイスカウト創生期に関わる人がいたと思うと、歴史に触れられた感動を覚えます。

 

これから長い人生を歩むとき、いろいろな孤独を感じることがあると思います。

そんな時は空を見上げて星を探してみてください。

その時に懐かしい恩人が、この世の空に蘇ることでしょう。

 

スカウティングの本質は「人の役に立つこと」であり、

スカウティングの真髄は「(物事を)やり続けること」です。

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