サラは専門学校卒の低学歴です。


両親が小さな頃に離婚をして複雑な家庭に育ったので、小学校は四ヶ所もかわりました。


はじめは父親が親権を持ち、父の愛人が暮らす東京へ移り暮らしていましたが、サラはかなりの問題児だったようで、父親に捨てられました。


そこから父の実家で育ち、その事実を知った母は私を引き取ったのです。でも一人子供が増えるとお金も減るので喧嘩が増え、あたらしい父親は母に暴力を振るったのです。


そしてまた離婚。私の母は男運がわるい。母の母も男運が悪いのです。祖母はお嬢様育ちなのに結婚した男性は戦争から戻ると大酒飲みで大暴れをする酒乱。まともにも働きません。早世したのはラッキー。


祖母は大成して生保の営業所長にまで勤めた人です。


でも母はいつも祖母の悪口を言うので私は祖母とまともに話したことはないし、嫌いでした。親の影響というのは怖いですね。


今の私はもしも祖母に会えるのならば会ってお話をしたいと思っています。


母子家庭なので、小さな頃から生活苦の愚痴を聞かされ、八つ当たりをされたり、家事や炊事は女の子だからやるもの!として小さな頃からやらされてきました。


勉強をしなさいといわれたこともなく、私が発達障害だということにも母は気がつきませんでした。


内気な性格なので、末恐ろしい子供だとも言われていたし、転校先でいじめを受けた話をすると、サラが根のくらい子だから苛められるのだと言われてショックを受けました。


親に内緒で登校拒否をしているうちに転校になり、転校先では笑顔を作るようになったらいじる人がいなくなりました。これはラッキー。


学校では少しづつ明るく過ごせるようになり、帰宅すると家の掃除と炊事です。


こんな子供時代だから基礎学力が身に付いていません。中学三年生の頃の仲良しグループが幸運にも優等生だったのです。彼女たちから高校進学の話を持ち出されアドバイスを受けたり、進学する気になったのです。


その時は母は地元の経営者の愛人になりスナックを経営してお金がはいるようになっていたので、私が進学を希望すると反対しませんでした。


母がスナックを経営した影響で思春期の姉は非行に走りました。いわゆるヤンキーな世界にどっぷりとつかり、今の旦那さんも最低最悪な男です。


サラは彼女たちのおかげで高卒になれたのです。彼女たちがいなければ中卒です。


そしてラッキーにもサラが自ら選んだ私立の高校は地域のお金持ち層が子息を通わせると有名なところで、校則は厳しいけれど、擦れた子供のいない理想的な環境でした。


高校卒業して専門学校でデザインを学び、ファッション業界で働いてましたけど、一般の世界に転身しました。


もちろん努力をかさねました。でもね、発達障害だからすぐに飽きて長続きもしませんし、hspだから直ぐに心が折れちゃうのです。


こんなんだから、大成しないのです。

でも大成なんて、しなくてもよいと私は思うのです。他の人と一緒に働き生活ができるように努力をする。


そして疲れたら離れて気分転換。

忘れてもよいから時間をおいて、またやってみるの繰り返しでもよいと思うのです。


子供の頃から内向的で人と会話がまともにできない女の子も経験を積むことで会話ができるようになったのです。


暗くてネガティブな指摘ばかりをする親と離れて暮らす時間が長くなるほどに、自分らしさを表現できるようになりました。


家庭環境が悪くても自立をしたら世界を変えられます。


何事も練習と努力なのです。上をみたらきりがありません。完璧なんて求まなくてよいのです。少しづつ、出来そうなことを試してみるのです。


30歳に家を半ば追い出されるようにしてでました。暮らした場所はサラが大好きな町の古いアパートをパリのアパルトマン風に暮らすのがテーマでした。


派遣で仕事をしていたので、いつもお金がなくて、削るのは交際費と食費と通信費。携帯電話が庶民に持てる時代が到来してもサラは固定電話で通信費をおさえてました。


だからいつもおでかけはご馳走してくれる職場の上司と職場の先輩、そして、恋人。

20代の友人は消滅し、30代も職場での繋がり限定になります。


だから帰宅するといつも孤独。お金がなくても楽しめること探しをはじめたのも30才のころ。


探すとたくさんあるのよ。


図書館で音楽と本を大量に借りて読む経験を増やすのです。なるべくなら良書や名著といわれる本。


よいものに触れると自分も自然と洗練されていきます。時にはビジネス本もかりてよみます。


この繰り返しをしているとおバカさんでも少しづつ理解が出来てくるのです。


それから日記をつけてみる。今の時代ならblogでもよいです。


そのときに意識をするのは美しい日本語で書くこと。丁寧に書くだけでよいのです。


初めは疲れるかもしれないけれど習慣になります。そうすれば、見知らぬ人や年下ににタメグチで話すようなオバサンにはならないから安心です。


説明が下手な人も繰り返し書いているうちになれてきます。


どのように伝えると相手がわかってくれるのか?相手の目線で考えるようにもなると、少しづつ意識ができていて、あとは訓練してなれること。


それから図書館を利用して、コミュニケーション関係の本を乱読してみるのです。


これもみな努力なのです。


サラはおバカさんです、50代になってadhdだとわかりました。馬鹿なのも一つの会社に長く勤められないのも発達障害のせい。


そんなことも知らずに、人と同じようにできない私は母から否定され続けてきたし、私の自分をせめて泣いていました、


なんと40代過ぎるまで自分を責めていたのです。可哀想ですよね。


馬鹿でもあきらめないことが大切なのです。

自分を否定しないのが重要なのです。


親から否定されつづけほめられた記憶もなく、兄妹と比較され、家の中で居場所のなかった孤独な子供のサラに気づいたのは、


スピリチュアル系本、

子育ての本と情操教育がどのようになされるのか、

心理学の本


只管、図書館で乱読したこと、一度だけヒーラのセッションをうけて2万くらいお高いお金も払う馬鹿をしたからです。


他の人には読書の乱読はすすめますが、ヒーローのセッションはすすめません。


新興宗教もすすめません。


自分軸をもって、竹のようにしなかやで強い人に成長しましょう。


hspはすぐに心が折れて、正反対の行動をとることがありますが💦


それでもまた起き上がって前にすすんだらよいのです。自分のペースでね。


内気な子供にはそうなる環境的要因もあります。普通の人と同じことができないのには発達障害があるかもしれません。


出来ないことは方法を考えて、色んなやり方で少しづつ訓練をしてみたり、ゆっくり分かりやすく話したり


兎に角、練習をするのです。


お馬鹿さんのサラでも自分で環境を変え、頭のよい人と交流をとるようにして、自分磨きをつづけました。


そしたら、細川ふみえとそっくりさんと言われていた話し方も大人になりました。


なにかをした後で内省をしてみる。そしてもっとよいやり方をかんがえてみる。


できない自分を責めたりしない。小さな成功をほめたたえてあげてほしい。


人によって能力格差はあるものですから比較をしない。


常に誠実に自分にも他人にも優しく、大切にしてもらいたい。


サラの子供時代は離婚は恥さらしの時代で後ろ指をさされました。


相当の苦労と努力をした母に感謝しています。でも本音でいうならば50代になるまで、大嫌いでした。


年の功?


やっと母を許せて、私から母に感謝の気持ちを伝えることができました。今はもう姉と絶縁しており、母と会えることはないので、最後の再会になるとおもいますが、感謝の思いを伝えられたのは私にとってはラッキーで幸せです。