シンガポールのベイエリアを写した写真を色んな所で見ることがあるのです。


その写真を見るたびに、私も行くことができたのだ!と嬉しく思います。やはり、経験にまさるものはありませんね。


海外ですからリスクはあります。英語ができないひとには言葉の壁もあります。庶民ならば蓄えを切り崩して旅に出ますからお金はへります。


でも生きている間に経験したチャレンジは支払ったお金よりも高額になるとおもいます。


31年前に私が初めてパリに自由旅行でひとり旅をした思い出も今も鮮明です。


そしてシンガポールを旅したお陰で、日本人が学んでいない日本の歴史に触れる機会となり、かけかえのない時間になりました。


費用を25万私の分を出してくれてありがとう。


シンガーポールはアジアの小国で日本に征服されて植民地支配されたことのある悲しい歴史のある国です。


でも今はもう日本を抜いたと思います。


大航海時代にイギリスに発見されたシンガポールは、東洋との貿易の地理的な優位性から無血の交渉によってイギリスの支配下、植民地になったのです。


その後、ジャングルのような島国をイギリスの統治によって都市計画、少しづつ洗練されていきます。


イギリスは原住民の室を高めるために教育を施し、エリートを育てました。エリートが育つまでの長い年月を待つのですから、長期計画の必要性を痛感します。


エリートに育った原住民に医者や弁護士などが増えてきて、その中の一人がシンガポールを独立国家に導きました。


すごいことですが、このきっかけになったのは、日本がきっかけでもあるのです。


日本という小さな国の軍隊が内陸からやってきて、彼らを武力で制圧し、イギリスと最終交渉で植民地にしました。


でも日本の統治スタイルは、国内の主要な名称を和名に変えたり、日本語学校に通わせ、日本語を話すようにしたり、日本文化の押し売りに反発してのが中華の人たち。


シンガポールは移民を受け入れ政策を重ねて国を強化してきたので多民族国家なのです。それでも日本を受け入れたくない反発者を日本軍は粛清しちゃったのです。


その数は数千。


第二次世界大戦で日本が敗戦したので、シンガポールはイギリスの植民地に戻りました。


日本に原爆が投下され火の海となり、多くの国民がなくなり、今でも被曝被害を受けている人もいます。悲しい歴史です。


それなのに、日本の敗戦を心底願い、敗戦時に喜んだ国民がいたと知ったのも私が56歳。その理由を知ると当然のことなのです。私もその立場ならまみんなと日本の敗戦を願ったと思う。何事も空いての立場に置き換えて考えてみるのが大切。


これもまた悲しい歴史。


でも彼らの意識に大きな変化がうまれて独立をしたのです。


経験から得ることは多いよね。


損をせずに、身銭を払わずに、都合よく進もうとする人はひとことで、


セコイ


私はお金持ちではないし年金もない。

でも心は貧困じゃないから胸を張って生きています。


お金持ちだからってなんなのかな?

能登半島震災の義援金さえもblogのアフィリエイトで寄付をす自慢する自称お金持ちもいるのよ。


不思議な時代。