ヘローです。
すっかり更新が滞っているウチに雨、雨ときて秋模様に
なりました。今年の夏も、「異常気象」で、
ここ数年、何かというと、「異常」続きで、もうなんだか、
「異常」が「通常」になりつつあるのでは、と思っちゃう。
そんな中近年、世間も「異常」続きに思うんですがね、
こっちの方は、それが「正しい」という人も多いですから、
何とも言えない、と。
え? 何が「異常」に見えるって?
そりゃ、アアタ、電車のつり革広告でも見りゃ一目瞭然
でしょうが。
あっしはね、あれを電車通学している学生たちが毎日
見てると思うと、暗澹たる気持ちになりますわ。
ま、ネットも同じですがね、
大人が「まき散らしたゴミ」を放置しておきながら、
「ゴミ掃除」一つできないで、「放置プレイ」を繰り返して、
子供に「道徳やら倫理やら愛」を問いたってね、
寝言は寝て言え、へそで茶を沸かす、と、
そういう世界ですわ。
と、ま、それはそれとして、
今日の話題は、「ドラえもん映画」。
小学生の娘が大のドラえもん好き。
そんなわけで家族全員で買い物がてら、行ってきました、
「STAND BY ME」……。
タイトルからして、ダメそうな雰囲気だったんですが、
しっかりと料金高めの3D版で鑑賞。
で、結果は、「ひどすぎる」、と。
ちなみに「子供の映画を大人が観て、つまらなかった」、と
いう意味じゃありません。
映画の内容が、「なってない」という意味でんがな。
確か、カミさんは、観る前に「大人も泣けるって評判よ」って、
言ってたんですが、
そのカミさんは途中イビキかいて寝てましたね。
夏の疲れが出たんでしょうな。
寝ている瞬間は「至福の時間」だったそうな。
そりゃ良かった、とクチから出る寸前に、思い返して、
カミさんに、「おいおい、家族全員で7200円もしたんだぜ」、と
文句の一つもでますわな、あまりの映画のひどさに。
でも、カミさんに文句を言ってもしょうがない。
ここは、こんなものが世間に通用すると思い込んでる、
映画制作側に文句を言うのがスジなんですが、
なんと、ななんと、この作品、既に予想興業収益を
あげちゃってるというじゃありませんか。オー、ノー!
この事実に、やはり気象だけなく、世間でも「異常」が
続いている「感」を改めて胸に刻んだ次第でんがな。
ドラえもんがいつ生まれたか、正確な時期は判りませんが、
あっしの世代はかなり「リアルタイム」に近い世代だと思います。
あっしの子供時代は「藤子不二雄」世代で、まだ二人の
天才漫画家が「AとFに分裂」していない時代。
あっしが小学1年の時、はじめて自分一人で本屋に行って、
買った本が「オバケのQ太郎」ですからね、
あっしもしっかり「藤子不二雄ワールド」の住民だったわけ。
でも、その後を考えると、あっしの趣味は今でいう、A氏の方
に近かったと思うわけで。
F氏作の「ドラえもん」があっしの周囲でも大人気でしたが、
あっしは全然興味なく、A氏作の、
「摩太郎がくる!」とか「プロゴルファー猿」に小学3年ぐらいの時は
熱中してました。
ドラえもんのどこがあっし的にダメだったかと言えば、
今思えば、のび太の「ダメさ」とドラえもんの「クールさ」が
上手く「響いて」こなかったからだと思うわけ。
「普段は・・・だけどいざとなれば~」という、
「3枚目のヒーロー」の定番がドラえもんには「ない」わけで。
ドラえもんがドラえもんである限り、
のび太はずーっと「ダメなやつ」であり続けなければならない、
という「シバリ」が、あっし以外に「ダメだった」人の、
共通の理由になりえるかもしれない。
とは言っても、随分前に亡くなられたF氏が、こんなあっしの
「ドラえもんの対するダメ出し」を例え聞いたとしても、
F氏は鼻で笑うだけで、完全に無視でしょうな。
なぜなら、天才F氏の「狙い」はまさにそこだったと思うし、
それは多分「あたり」だと思う(なんて外れてたら御免ちゃび)。
F氏はのび太の「ダメさ」を描きつづけることが、
まさに「ドラえもんの面白さ」であると確信していたに違いない。
創作とはまさに「不条理」がないと成立しないわけで、
万人に受け入れらる「不条理」を作り続ける事ができる
クリエーターを正に「天才」と呼ぶわけだもんね。
あっしみたいに別にドラえもんが好きでもなんでもなかったモノ
にさえ、「ドラえもんの基本」が自然と頭に入っている事実こそ、
ドラえもんの「すごさ」と言えなくもない。
そんなドラえもんを近年よく観るようになったのは、子供達の
おかげなんですが、そんでもって、
別に真剣に観てるわけでもないんですがね、
ふと「何か違う」と思う事がしばしあるわけ。
それは「のび太の心的成長」なんですな。
どこか、物語の節々に「のび太の心的成長」を入れようと
している感がある。
詳しくは知らないけど、この事は、F氏が亡くなった後に
顕著に見られるようになったかもしれないな、と勝手に思ったり。
もし本当にそれがそうなら、それは、
ドラえもんという作品の、作品自体の「退化」であろうし、
視聴者を「ある結論」に誘導するような恣意的な作品に
近づいているという事に他ならない。
その事が正に顕著に表れたのが、
今回の映画「STAND BY ME」なわけだ。
と、ここまで来ますと、
オメエは何で、子供映画の「ドラえもん」なんざに、
くだらねえ長話をしてんだ、とお思いの方も多く
いらっしゃるか、と。
それは御もっともですがね、
あっしが危惧しているのは、
別に「ドラえもん」だけじぇねえんです。
映画だ、アニメだ、芸術だあ、なんていうサブカルチャーが、
みんな、ある種の、「定番お涙ちょうだい」を演出し、
それを無批判に受け入れた大衆が、
予定通りのお涙を流す、そこに「異常」はないのか、という事。
そこなんですよ。
そこが、今まさに、「電車のつり革広告の異常さ」を何も
感じずに、黙認している「異常」な状態とあっしの中では、
何か、「連結」してしまうわけですよ、
バン! バン!(机を叩く音)
ええ? 考えすぎ? 妄想しすぎだって?
その証拠に
「映画の最中にオメエのカミさんは寝ていただろ」、と。
……おっしゃる通りで。
つまり、この国はまだまだ大丈夫なわけか。
はあ、良かった。
取りあえず、いい映画をありがとう、ドラえもん。
ということでよろしいか、と。
……ナンチャッテ。
そんなわけで、、
久々の更新なのに、何をまたつまらないオチで締めてんだと、
軽く自責の念を持ちながら、今日もまた終わるわけですが、
そこは毎度毎度の事で、
相変わらずのわけのわからなさを許されたし。
ではでは。