ヘローです。
春です。でも、やっぱ朝夕は寒いですね。
あっしは前に書いたかどうか、天候で体調が変化する方で、
寒暖差の厳しい季節は、ちょっとつらいんどすな。
みなさんも体調管理には気を付けてくだされば、と。
ま、それはそれとして。
先週は、どこのTVも「小保方さんフィーバー(死語)」で
すごかったですね。
あの会見の後、世間では同情論も湧きあがったみたいで、
会見の様子をTVで観ながら、
「あ、こりゃ世間、特に男が味方になるな」と
思っていたあっしのある意味予想通りでしたな。
ま、別にそんな予想が当たろうと当たるまいと
どうでもいいんですがね。
問題は、あの「突っ込みどころ満載」なあの会見を見ながら、
あっし自身が感じてしまった、何とも言えないような、
苦い味を感じながらの「既視感」なんですよ。
もっと突っ込んで言うと、
要するにアラ50&デブで妻子持ちのあっしの、
「メモリー・イン・出会ってきた女性たち」の何人か
があの会見を見ながら、
フラッシュバックしてきたわけですよ、唐突に、脈略なく。
世界中が注目している、
言わば、「世界的な女性の世界的な会見」を見ながら、
あっしのような、超スモールな人間の、超スモールな人間関係の、
超スモールなメモリーの中に、「既視感」を感じてしまったと。
そして、それがまたなんで「苦い味」とセットだったのか。
もうご察しの通りに、そんな「キャワイイ女性の涙」に、
あっしも「何度か痛い目」にあっているからですねん。
これまた小保方さんや理研のそれと比べようもないぐらい、
スモールな、もしくはロー・グレードながら、
あっしも大学院で自然科学系の、細胞の実験をしてきた経験が
ありますから、
小保方さんのやった「論文改ざん」は、
いわば、研究「業界」の裏表を知っているものながら、
「やりすぎ、ありえない。えーっ、ネイチャーのレベルでそれなの?」
と驚愕し、
残念ながら「弁明の余地なし」と判断せざるをえないですが、
研究者のフレームをぶち壊すほどに「肥大した感情」を抱えた、
小保方さん自身は負けていなかった、と。
「あたしが悪いってのは、そうよ、だからごめんなさい。ホント未熟でごめんなさい。でも、でも、あたし、悪気がなかった。悪いって言われると、わたし……(涙)、だから……もう一回チャンスを貰えれば……(涙)……だってあたし嘘言ってないの。それを嘘つき呼ばわれじゃ……(涙)」
と、こんなカンジの展開。この展開なんですよ、「既視感」とは。
そして、憔悴しつつも、お目目をクリクリ、キラキラさせて、
まっすぐ「見つめてくる」んですな。
そして、その後の展開は、
あっしのメモリーでは、どっかの三文小説でも同じだけど、
「ジェンダーバイアスを越えられない男女の不幸の物語」に
落ち着いてしまう、と。
で、ちなみに傷つくのは男ばっか(呆)、と。
これまたジェンダーバイアスな意見であいすいませんが、
ま、逆に女が「やられる」、男が仕掛けるの「ジェンダー攻撃」も
、この話と違ってあるので、そこはお互い様で許されたし。
ちょいとここで注釈を入れるとですね、
あっしはけっして、小保方さん個人を「事件とは別枠」で、
「決めつけて」、
人格攻撃をしようと書いてるわけじゃありませんから。
あっしが言いたいのは、会見を見て、
あっし個人が連想してしまった事、そして同じような連想を、
おそらく他の多数もしたのではないか、という推測のもとに
書いてるだけですねん。
で、それはなぜか。
あの会見で連想された事はあっしの個人的な事象ではなく、
そこに日本的なサムシングがあるのではないか、と。
そんな事を感じたからでやんす。
では、感じたお前の結論は何なんだ!とお思いの人も
多いかと思われますが、
そこは、なんと、ななんと、
「ただ感じた」だけで許してチョンマゲ(死語)。
ナンチャッテ……(面白くなくて失礼)。
ま、一言でいうと、
ありとあらゆるすべての分野で、もう「日本的アイドルの時代」
は、終わりにしなきゃダメかと、
思った次第。
なぜか。
ここは、昭和30年代下町勤労女子行員ばりのコメントで決めたい(なんで?)。
「だってね、やっぱり涙ってさ、自分のために流すより、人のために流すのが基本よ、基本。それの方が数倍美しいわよ。
だってさ、人間だけなのよ、他人のために涙流せるのって。
そう思わない? ぷんぷん! あたいなんか生まれてこのかた自分のために泣いたことなんかないよ! ぷんぷん!」
人(=他人)のために流す涙に同意でござんす。
特に最近「そんな涙」が足りない気がしますねん。
ええ? そんなことないって?
ホント?
グローバル化の時代、他人とは「他者」と訳しましょう。
ほら、全然ないでしょ、今の時代。
毎度ながら、
今回も小保方さんの話からわけのわからん方向にて決着と、
めでたし、めでたしでアイすいません。
ではでは。