へローです。
またまた寒いですね。身体に堪えますわ。
それでもここのところトレーニングをきちっとやっている所為か、
数年前よりこの「寒冬」でも40代前半の頃より
寒さを感じなくなっている気もするんですよ。
40代前半の頃も別に運動を「まったく」していなかったわけじゃないのだけど、
やっぱり「ナンチャッテ・テコンドー」の
特にストレッチが効いているのかどうか。
多分それが効いているんだろう、と。
ま、それはそれとして。
以前にも書きましたが、
アラ50&デブにしてまた最近ギターをいじりはじめたあっし。
これまた久しぶりに「ロックな感覚」に浸ろうと、
動画サイトでギター番組とか観たりしてんですが、
読書なんかも10代、20代の頃に読んだ
「アーティスト関係本」をこれまた「いい歳こいて」物色してまんねん。
昔、とくにハマったのがビートルズ関係。
以前にも書いたかどうか。あっしは洋楽のとっかかりは、姉キが聴いていた
ビージーズなんですが、その後キッスになって、それで高校時代に
「随分遅れて」ビートルズにハマったクチなんですな。
それからは音楽だけでなく、「書籍」にも色々ハマりました。
でもね、ビートルズ関係って、「キリ」がないんですよ。
毎年、毎年、メンバー、関係者から「真実・真相」みたいな本が雑誌を含めて
ワサワサ出てくる。
そのウチ、バンドの挫折、音楽そのもの挫折や歳とって
ジジイ化するにつれ、ビートルズに限った事じゃないですが、
CDもそして「書籍」も疎遠になっていった、と。
それがここにきて、「いい歳こいて」の
ロック少年(正体はロックオヤジ)回帰でまた「書籍」でも読もうかと。
で、今回手始めに取った本が「パティ・ボイドの自伝」どす。
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パティ・ボイドはご存知の人には言うまでもないのだけど、
ビートルズのジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの元妻で、
いわゆる世界的ギタリスト二人から愛され結婚したという事実だけで、
スキャンダラスな色眼鏡で見られる事の多い女性なんですな。
20年近く前(だったと思うけど)、
ジョン・レノンやポール・マッカートニー、そしてローリング・ストーンズなんかの、
いわゆる「暴露本」でロックスターへの、あっしとしては、
「幻想」はとうになくなっているし、まただからと言って、
取り立て、スキャンダラスな話題をパティ・ボイドの自伝から期待して、
この本を手に取ったわけでもないのだけど、
ただ「暴露本」から見るロックスターの一面を垣間見ることは、
「人間を知ること」にも繋がるので、あっし的には「無益」な行為、もしくは、
「スターの栄光を咎める、棄損する」行為ではないと思っとるんで。
そしてそれがまた、「音楽の聴き方」を変えてくれるから、
また別の味わいがでる、そんなことも期待できるんですな。
例えば、ジョン・レノンの「暴露本」を読んで、また改めて
「イマジン(ソロ二作目)」をじっくり聞いた時の感慨は今でもよく覚えていたり。
ただ、盲信的に信じて「聴いていた」高校生の頃の
自分の「甘さ・青さ」を恥じることもさることながら、
同時に当時、ただのロックスターという世間のイメージを払しょくせんと、
懸命に「つま先立ち」しようとしていたレノンに、
またこちらも歳を重ねている故に、妙なシンパシーを感じてしまったりもして、
あっし的には何ともいえない味わいがあった記憶が。
こんな「聴き方」がいい悪いは別として、こんな「味わい」は
「暴露本」にもたらすセカンド・エフェクトとしてOKではないかと。
話はちょっとズレて、「暴露本」が真実かどうかをよく問う人がいるけど、
明らかな「事実無根」は論外でそりゃダメだけど、
書き手から見て、本当にその「現象」や「事実」があったのなら、
それはあくまで「実際にあった一面」として受け取ることは可能な筈。
例えば、カミさんから見たあっし、子供たちから見たあっし、
というのは、いくらあっしが、
ある自分の行為を評したカミさんや子供たちに向かって、
「おいおいそりゃないぜ」とか、「そんな見かたはないだろう」って言っても、
そりゃ彼女、彼らにとって「事実」なんだからしょうがない。
それと同じなんですな。
と、まあ、今回もダラダラと長くなりましたが、
ま、結論的に、「パティ・ボイドの自伝」、面白く読ませて貰いました。
ジョージのくだりは、かつてのビートルズ関連の書籍から、
「類推」できるものばかりで、新鮮味がありませんでしたが、
クラプトンのくだりはあっし的には十分新しく興味深く読めましたねん。
クラプトンというのは、コアなファンやギター・ボーイ達は別として、
日本でメジャーになったのは90年代の「アンプラグド」以後だと思うんですがね、
「チェンジ・オブ・ザ・ワールド」でCMなんかにも出るようになったし。
その時初めてクラプトンを認識した方々のイメージは、彼の風体から受ける、
「インテリで物静か、そして温かいやさおじさん」的なものだと思うんですがね。
ま、当然のことながら実際は違うわけで。
そんなこんながパティのクチからこの本で語られている、と。
で、この本を読んで、あっしがクラプトンの聴き方が変わるかどうか、
なんですがね。
あっしはあんまりクラプトン聴かないですよ。
加えて、あっしも歳をとって、あんまりスキャンダラスな面に驚かないし。
ああ? ここへきてなんじゃそれ? というカンジでしょうが。
じゃ、なんで、何を期待してパティの自伝を読んだの? とお思いの方
もいらっしゃるでしょうが。
それはね、「憧れ」なんですよ。60年代、70年代に対する。
あの頃、ロック・ボーイだったオヤジ達は
皆「多かれ少なかれ」そんなものを持ってるんじゃないですか。
もっと言うとあの時代に憧れていた、あの時の自分に
一瞬「帰りたい」為か。
ヤバいですね。ただのオヤジのセンチな話になってしまいました。
で、ここで最終的な結論(=読後感)を申し上げるとですね、
もうパティもジョージもクラプトンも関係ない、と。
ただもう自分の事だけ。
「40過ぎるとオヤジは自分の話しかしないもんだ」という俗説を
地で行くようでなんですが、
つまり、「歳は取りたくねえもんだ」、と思った次第。
今回も長くなりました。
そしてマスマスわけのわからない駄文にてアイスミマセン。
そんなわけで 「パティ・ボイドの自伝」、昔ビートルマニアだったオヤジ達に
是非お勧めです。
「歳を感じつつ、一体どうやったら格好よく歳を取れるか」を悩んでいる人には
特にです(本当かよ)。
ではでは。