子育ては難しい(20)~キミのサンタは何処にいる?・編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

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独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

さて、さて、年末も近くなってきました。


 サンタの季節到来で、小さい子供がいる家庭では、


「サンタ実在OR不在論」も再燃しているところもあるんじゃないですかね。


 ウチでは、初めての子供の、長男の時はかなりその辺を気を使って、「サンタ・カミング・ファンタジー」を壊さないよう頑張りましたが、


 やはりいくらなんでも小3、4ぐらいになると、「いない」とバレテしまう。


 それでもバレるまでは、特に幼稚園の年長ぐらいまでは、「サンタさんが来てくれたんだね」なんて目をキラキラ輝かして、プレゼントを開ける息子の、


 サンタ・イジュージョン・ビリービィングぶりに親として、何だかこそばゆい小さな感動をを覚えたりして、


 うん、サンタも悪くねえな、と「生まれて初めて」思ったりもした。


 「生れて初めて」というのは、私の子供時代、昭和40年代の初めなんざ、私の周りにサンタの存在なんてガキの頃に信じてるヤツなんか、いたのかどうか。


 いたとしても、そいつはよっぽどのお嬢ちゃんか、お坊ちゃんだった筈。

実際そんな人とは大学時代に会うのだが、その話はまたいつか。


 私の一番古い記憶の中でサンタとクリスマスと言えば、


 あれは小学校に上がるか、上がらないかの頃。


 25日の朝、やっぱり枕元に何にもない事を確認して、母親に言ったんですな。


 「なんでウチにはクリスマスプレゼントないの?」と。


 すると、母親は、面倒くさそうに、「ああ?」とかなんとか小さい

声を上げながら、財布を出して、中から500円札(当時は500玉なんかない)を取って私に渡して、


 「ほれ、なんか買ってきな」と一言。


 で、私はその500円札を持って、いきつけの、おもちゃ屋と駄菓子屋がセットになっている「シミズ」という店に行って、仮面ライダーの人形セットを買った、というのが、私の中で一番古い記憶のクリスマスの思い出なのだ。


 そんなわけで、子供時代の残りのクリスマスの記憶もおして知るべしで、


 私にとってサンタというのは、何の記憶も幻想もない、つまらないものでしかなかったわけ。


 だからといって別にそこに「トラウマ」なんてものはなく、


 自分の子供が出来た時も、「よーし、子供には素晴らししいサンタの記憶を」なんて意気込む事もなかったのだけど、


 ま、そこは普通(=現代の雰囲気)に流されつつ、24日の夜遅くに子供の枕元にプレゼントを置いてきた次第。


だから、「秘密を厳守」なんて事も思いもしなかったから、


 つぎの娘の時は、幼稚園の年中時にはもう、長男が小学校高学年ですからね、


 兄貴の方から、早々に「サンタなんかいなんだよ。あれは全部親がやってるの」とバラしちゃってるから、


 娘のサンタ・イリュージョンはすごく短かった。


 でも、娘は娘で不思議。


 12月になると親に「自分の欲しい」クリスマスプレゼントを要求しつつ、そして当日の朝、枕元においてあるプレゼントを確認すると、


 「サンタさんが来てくれたんだ」と親の前で平然と「役者」をやるんだな。


 目は当然、「きらきら輝いていない」、普通のスマイル。


 「普通のスマイル」のほっぺたには、


 「グッ・ジョブ!」という文字も、太字で浮かんでいるようなナイスなカンジ。


 その「グッ・ジョブ!」は果たして親に向けてのものかそれとも自分に向けてか、多分両方なんだろうな。


 そんな時、うーん、やはり男の子とは女の子は違うのか、と妙に感じ入ってしまうんですな、あっしは。


 だって、息子の方はと言えば、そりゃもう大きいとは言えね、


 クリスマスプレゼントを手にすると、それは予め聞いていた本人の希望でゲームソフトだったりするわけだけど、


 親に見向きもせずに、ゲーム機にセットしてゲームを始め出す。


 「あんまり」の態度に、こっちから、「おい、オマエ、クリスマスプレゼント貰ってどうなんだよ、何とか言え」と文句を言えば、


 背中を向けたまま、「ああ、いいよ」と。さも面倒くさそうな返答&態度。


 その返事の思わずカッと来て、


 「オマエ、その態度! オマエには正月のトシダマはないと思え!」と怒鳴ってしまい、嫁さんから、「まあ、まあ」といさめられるというアンハッピーでダークなシーンもそろそろクリスマス恒例になりそうな雰囲気で私的にはベリー・バッドで嫌になっちゃう。


 兎に角サンタやクリスマスに限らす、もろもろの場面でストレートに感情を出してくる息子と変化球を織り交ぜてくる娘の違いに、親として目をパチクリする時も一度や二度じゃないわけ。


 そこであっしは思うわけ……自分の娘に男女の違いを教わるわけでもないんですが、


  姉達との長いタームでの「感情の行き違い」、過去付き合って別れてきた「彼女達」との数々のサッドストーリーに思いを馳せれば、


  私はそれらは、皆、男女の差に起因しているのではなく、


 「個性対個性」の成した結果と思ってたんですが、


  「娘から色々学んでいる」ここにきて、


 もしかしたら、今までの「異性間とのトラブル」は「性差」から来ていたサムシングではなかったのか、とも思うようになりましたねん。


 勿論、そんな過去の出来ごと、一つ残らず検証不能な話ですからね、


 考えたってしょうがないんですが、


 ふとそんな事を考えながら嫁さんの顔を見たりすると、一気に不安が倍増したりして、


 思わず、「なあ、キミはオレの事理解してるよな?」と聞いてしまって。


 不安解消のために聞いた筈なのに、そんな時の嫁さんの答が、


「理解はしているけど、我慢もしているわ」なんて台詞だったもんだから、


「何言ってんだ、こっちだって我慢してるよ!」と返してしまい、


「何よ! アンタがアタシより我慢してるわけないでしょ!」


「何だと!」


 と、夫婦喧嘩を誘発してしまったんですな。


 というわけで、「男と女のサムシング」について、


 不安と疑問は現在も進行形で増加中……。


 だから、これからも娘に「成長」の度に色々教えてもらおうかと。


 でもね、そんな娘がどんどん成長して「女」になってしまったら、


 イヤなんだけどね、そこは親のエゴなんですがね。

 

 色々難しいんだな、男も女も親も子供も。わかっちゃいるけど……ね。




ではでは。