テコンドーとはサイン・ウェーブなり(2) | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

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独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 さて、サイン・ウェーブの続き。


 前回、サイン・ウェーブとは正弦波の事で、テコンドーではこの波を身体で表現する事によって、「攻撃力」を高める、それがすなわち、空手と違うところ、という事を説明した、と思う。


 ここでサイン・ウェーブを文章でまとめてみる。


 ①膝を使った身体の上下運動であり、

 ②腰のひねりを使わず、

 ③上から下がる時に最大の力を発揮する。


 というようなカンジになるかと。


 例えば、テコンドーの突きの形の一つにコンヌンソ・カウンデ・チルギ(歩行中段突き)があるのだけど、それをサインウェーブを使ってやると、

↓こんなカンジになるわけ。



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オレンジが右の拳でブルーが左の拳。ピンクの矢印がパンチ(突き)の方向。


パンチ(突き)を打つ時には、一旦引いて、膝を使って上に上がり、下がると同時にパンチを打つ、というのが理解されただろうか。


 そして、この時に腰のひねりを使わず、またパンチ(突き)を打つ方の肩を前に出さないのがテコンドーの突きなのだ。


 これが、結構難しい。両足、両腕、前身が身体を一旦沈めて浮かして下がるという連続動作の中で、きちっと様になるまでは、結構練習が必要だ。


 いわんや、サイン・ウェーブの理屈が頭で判っていないと尚更難しい。


 但し、サイン・ウェーブの理屈が判って練習すれば、ほどなくマスターできる筈だ。


 サイン・ウェーブはテコンドーの、型のほぼすべてに使われる大切な動きである。テコンドーの成り立ちから考えれば、それは当然の話で、


 前回もちょっとだけ触れたと思うが、チェ・ホンヒ総裁は、まずサイン・ウェーブ理論の上にテコンドーを創作したのだから。


しかし、この正にチェ・ホンヒ総裁がテコンドーの根幹としたサイン・ウェーブには致命的な欠点があるのだ。


 試しにサイン・ウェーブを使って「相手と向き合って」、パンチを打ってみれば判るのだが、

 

 一旦膝を沈めて(図では沈めた所から描いてある)、そして膝を伸ばして(完全に伸びきりはしない)、そしてまた膝を沈めてパンチを打つという行為は、


 時間的にワン・アクションで打つパンチより確実に「遅く」なるのだ。


  この事は、前回紹介した英国のテコンドー師範ジム・ホーガンの著書でもきちんと指摘されている。


 ジム・ホーガンはさらに、「膝を上下させる行為が、動作のスムーズさを失って、相手に対応して方向を変える時にギクシャクしてしまう」とも指摘している。


 ジム・ホーガンはこの欠点を克服するためにバランス感覚とすぐに筋肉をリラックスさせて素早く動き、最大限の力を発揮させるように、というカンジで述べているのだが、


 果たしてそんな事は可能か、という問題が生じてしまう。


 サイボーグ009や002ように加速装置でもついていれば、高速でサイン・ウェーブを行いながら攻撃も可能だろうが、


 普通の人間には、相手がワン・アクションで攻撃を仕掛けてくるのに、自分はサイン・ウェーブでツゥーからスリー・アクションの攻撃で対応するのは、


 どう考えても無理な筈。


 これでは、「実戦」で使えるかどうか怪しい。


 案の定、実際のテコンドーの組手(マッソギ)の試合を見てみると、


 師範であろうと、有段者の強者であろうと、サイン・ウェーブは一切、彼らの動きの中で確認されないのだ。


 つまり、ITFテコンドーでは、型(トゥル)のみ、サイン・ウェーブを行い、

組手(マッソギ)その他(パワー・ブレイキング、スペシャル・テクニック)では、サイン・ウェーブは使われていない、のが「正解」と見るしかない。


 これはどう解釈したらいいのか。テコンドーの根幹はサイン・ウェーブではないか。


 サイン・ウェーブを使う型(トゥル)こそがテコンドーで、サイン・ウェーブを使わない組手(マッソギ)はテコンドーではないのか。


 素人的にはここが大いなる疑問なのだ。


  ただ、チェ・ホンヒ総裁は、組手(マッソギ)がそれだけ単独で競技化されるのは反対だったとの事。


 理由は簡単で、本来の武道の「組手」とは、命をやり取りするものであるから、「試合」は不可能というもの。


 また、試合で使う防具が技術の発揮を削ぐもの、とも言っているのだ。


 この辺り、戦前に沖縄から入ってきた空手が、組手が体系化されておらず、その為、競技化するために各派が組手を開発していった際に、


 それを邪道とする向きが空手の本流にあったという話と相通ずるのではないか。


 また現代の、テコンドーであれ、空手であれ、競技化された格闘技こそ、「格闘技であり、武道である」とメディアによって思い込まされている我々は、


 武道系の「試合」を見る際には、このような歴史を考慮して「勝負」を見なければならないのではないか、とも思う。


 つまり、組手や試合をもってして、その武道を語るのは無理である、と言う事だ。


 だが、実際は、素人が、武道をその組手や試合を外して理解しようというのも難しいのも現実だ。


 もっと突っ込むと試合や組手そのものだって、ただ見ただけでは判らない事が多いのだ。


 その昔、「空手バカ一代」という極真空手の大山倍達総裁の生涯を描いた自伝的劇画があった。


 劇画故にその荒唐無稽さなども揶揄されたが、世間の、空手に対する理解は良くも悪くも、TV化もされたこの劇画によって随分と深まった気がする。


 話が少々横にずれるが、テコンドーなどもこんなメディアがあれば、もっと理解が進んで、


 内外から色んな疑問や応答に対する門戸も開くのではないかと思う。


 そして、世間に広く認知される事で、テコンドーの持つ、技術、思想、などがまたテコンドーを教える側にも教わる側の間にも、「深化と進化」のいい相互関係が生まれる筈だ。


 子供の通っているテコンドークラブの道場主は、私のサイン・ウェーブについての質問に、


 「素人には説明したって判らない」と言ったが、それは大間違いな話だろう。


 なんつったって、あっしは、小学校一年生の時に、TVでプロレスの試合を一目見ただけで、次の日に友達にコブラツイストがかけれたんよ。


 とは、その時反論しませんでしたがね、


 そこから、私のナンチャッテ・テコンドーのサイン・ウェーブの探求が始まりましたねん。


 まだもう少し、サイン・ウェーブ関連の話をするつもり。


 ところで、テコンドーのナンチャッテ修行をずっと続けてますがね、

必ず身体が痛い状況がオールウェイズ続いとります。


 左足、右足、首、腰、とぐるぐる痛みが回っていますが、先週、ふっと痛みが全て消えたと思ったその日の練習でまた、腰を……。



白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」


参ってます。ではでは。