子育ては難しい(18)~すてきなT先生・編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

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独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 さて、さて、「子育て」の続き、前回は私とピアノ教師ヒストリーみたいな話で終わってしまったが、


 元々は娘の先生が「いい先生」という話をするつもりでしたねん。


 話がいつも横滑りして本論に入れない本ブログ、全ては書き手の能力故にてソーリーどす。


 ところでウチの娘は中々「ハイテンションな内弁慶」。


 幼稚園とか学校の行事とか、「目につく」ところではおとなしい方なのだけど、

一旦慣れたり、踊りとか、歌とかの「世界」に入ると結構ハイテンションに、自分勝手に行動するタイプなんですな。


 但し、娘の「社会性」は、前回も似たような話をした通り、「場を読んで個人を埋没させる日本的」なものではなくて、


 「娘対相手」というスパイラルで形成していく「日本だとある種の人間(=列に並ぶの至上とすうような)」には好かれないヤツ。


 さてさて、そんな娘が、もし前回に記したような、私が知っているような「ピアノの先生」に当ったらどうなることか、と。


 もし、息子の友達のお母さんから紹介された先生が「そんな人」だったら、長き続きするかどうか、と、


 色んな心配をしてたんですがね、その先生の名前を取り敢えずT先生とする。


 娘は、T先生が「やさしい」と知ると、初めから「飛ばした」らしい。


 娘はピアノが好き、曲を覚えるのも早い、ところが、自分スタイルでないと気に入らず、T先生からの指示なんてそっちのけで、自分の方がT先生に指示してレッスンを進めていく始末で、


 レッスンが終わった後も、T先生を捕まえて、学校で習った歌を弾かせて、勝手に歌ったり、それでもって飽きると、椅子から降りて床に寝ころんだり、喉が渇いたから水を寄こせと騒いだり、もうやりたい放題……。


 送り迎えをしている妻は毎回「顔から火が出るほど恥ずかしい」思いをしているらしい。


 ところが、T先生は、そんな娘を「すばらしい」と誉めてくれるんだな。


 ある日などは、T先生のお母様も娘の暴れっぷりを隣の部屋で聞いて、たまらずレッスン室にやってきて、一緒に歌を歌ってくれたそうだ。


 T先生のお母様は元学校の先生で御歳90近い方なのだが、娘を見て、


「子供はこれくらい迫力ないとダメ。今の子供はおとなしくて皆ダメだよ。元気でいい娘さんじゃないか」と妻に言ってくれたそうだ。


 勿論、親としてはそんな言葉を聞いて、「まあ、良かった」とはならない。


 当然である。どんな形であれ、善行を誉められているのではなく、「暴れっぷり」を誉められているのだから。


 でも、このT先生親子には嘘がないのだ。私は普段の娘のレッスンの状態は知らないのだが、ピアノの発表会で娘とT先生がどんなカンジなのか知ることができた。


 発表会の親御さん等他人が沢山見ている場でも娘はマイペース。

 自分の番になってピアノの前に座ると、あれこれT先生に指示し始めたのだ。


私は一瞬青くなり妻と顔を見合わせたが、T先生は笑いながらマイクを持って立ち上がり、娘が今なんで「こんな事」をしているのか説明し出したのだ。


 「娘がいかに、元気で面白く、この先期待できる子なのか」を普段のエピソードを交えて、会場の親御さん達に話すT先生を見て、


 当然発表会の場ゆえに、「娘のやっていること」は親として恥ずかしいながら、


 T先生が、今まで見たこともない「すばらしい先生」であることがわかった次第。


 発表会を通して眺めれば、娘との関係だけでなく、 他の生徒さん達とも、T先生との「温かい信頼関係」が垣間見られて、こじんまりとした発表会ながら中々感動的だった。


 その日はああ、こんなピアノの先生もいるんだな、とちょっとした驚きだった。


 妻から普段の話をもっと聞けば、


 T先生は、娘の暴れっぷりに対しても、ただ全てを許容しているわけでなく、叱る時は叱り、叱った後でも、「番外」の歌の時間は欠かさず取ってくれるそうだ。

 

 そして、いくら先生がやさしくても、と娘の不作法を心配する妻には、


 「そんなものは時期が来ればよくなりますから、お母さん、あんまり叱っちゃダメですよ」というアドバイスもくれたりする。


 というわけで、私としては、妻から聞くT先生話に感服しまくりである。


 で、またそんな先生だから「欲」がないんだね。


 ウチの姉達など、生徒をいかに増やすか、いかにいい設備で差別化を図るか、発表会はゲストも含めて、如何に派手にするか等、


 もう、バックステージでは、「見栄と欲の渦巻いた努力」を重ねる姿ばっかり見せているのだが、


 この先生は、「生徒は基本増やしたくない」、「発表会は2年に一回」という「こじんまり」ぶりを発揮している。


 そこもまた、私的に意外かつ好感を持てたところだった。


  そもそも何でこの先生は、「好き勝手にやっている」娘を受け入れるだけでなく、誉めてもくれるのか。


 そんな事を考えてみると、なるほど凡百の先生たちとの違いがわかるというもの。


 つまりは、生徒を自分色に染めようなんて気が毛頭ないからに違いない。


 世の中の先生と言われる人達の中には、口でこそ、「子供の個性を大事にして」なんて言うが、その実、自分のやり方についていけないと癇癪を起こす人の如何に多いことか。


 特に他の生徒はきちんと言う事を聞くのに、と自分のスタイルに合っている生徒達を成功例として評価し、その成功例の数こそ自分の主張の正しさの証拠とばかりに上から目線に立つ。

 あげくには、「ついてこない」生徒を、一方的に生徒側の責任にするタイプはその最たる例だろう。


 こんな「誇り高き先生」が生まれるのは何故か。


 「空気を読む」、「出る杭にならない」と言う事を至上とする日本の社会、そんな社会性に原因があるのではないか。


 T先生はそんな「誇り高き先生」達とは対極に位置する先生なのだろう。


 T先生のような先生が学校でも習いごとでも沢山増えれば、もっと子供はハッピーになるに違いない。


 ということで、最後に今日の1枚。



白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

では、では。