「我、護憲の鬼となる」(城山三郎)③
9月5日(土)
今回も「昭和に挑んだ作家たち」(佐高信著)から、「我、護憲の鬼となる」(城山三郎)の2回目で、「支店長の曲がり角」(講談社文庫)所収の「勲章について」の続きです。
ともあれ、夕食の時に話そうということになって、「やはり断る」、「どうして」、と押し問答をしている間に城山は、「おまえを見そこなったよ」と最悪のセリフを放った。箸もとらない夫人に、「いいか。おれが死んだあと、役所が何を言ってきても、決してもらうなよ」と追撃までしてしまった。
「死後のことまで指図するなんて、越権でしょ」と反撃されて、「うん、そうか」と思わず城山は頷いてしまう。「あなたの言い分を聞いていると、もらった方に失礼じゃないかしら」と夫人に返されて、城山は胸中の思いを吐露する。「ち、ちがう。お、おれは、自分のことだけを言ってるんだ。おれには国家というものが最後のところで信じられない。少年兵のとき、おれは・・・」
17歳の時、城山は“志願”して海軍に入り、したたかに国家に裏切られた。皇軍というものがどんなものだったかを消えない痛さで知って城山は「大義の末」(角川文庫)を書いた。皇国日本という大義は、自分の中で、どう崩れていったのか。なぜ、自分はその大義を信じてしまったのか。一途な城山は終生その問いを手放さなかった。そして、自分は“志願”したと思ったが、あれは志願ではなかった。言論の自由のない当時の社会や国が“強制”したのだという結論に至る。
2001年4月29日の日付で城山から届いた手紙がある。私が個人情報保護と言う名の権力者疑惑隠し法案に反対する運動の呼びかけ人になってほしいと依頼した手紙への返事だった。要点だけ引く。
「情報の法案の件、全く気づかずおどろきました。私もメンバーに加えて頂き、できることをしてみなくてはと思います。多年、実際の行動には参加しないでいましたが、これを閣議決定した内閣が史上最低なら、これを通過可決する議員は『史上最兇の議員たち』ということになるでしょうから」。そして追伸に、とりあえず、官邸宛に小泉首相への速達便でアピールしたとあった。(小泉首相は城山作品の愛読者)
自衛隊に対する城山独自の評価
2004年2月号の「文藝春秋」で城山は小泉に強烈な提言をする。城山は強烈とは思わず、至極当然と思ったに違いない。「自衛隊イラクへ」という特集の一本で、城山のタイトルは「小泉さんと中津留大尉の決断」。副題が「自衛隊を送るよりも小泉総理が行くべきだった」。
中津留大尉は敗戦が決まった後に特攻出撃を余儀なくされた人である。城山が「指揮官たちの特攻」(新潮文庫)に描いた。その論稿で城山は、伊勢湾台風の際に、こういう災害時にこそ自衛隊は出動すべきではないかと提言したことに触れながら、自衛隊は軍隊とは違うと強調する。
自衛隊の本質は「人を救うこと」にあり、人を殺す組織である軍隊とは違うというのである。「人を救う使命を持つ組織というユニークさにおいて、日本の自衛隊はおそらく世界でも例をみない存在」であり、城山はこれを「自衛隊の誇るべきとてもいい伝統だ」と主張している。
ところが、自衛隊のイラク派遣は自衛隊を「その誇るべき本質から外れる方向に向かわせる」ように思うと城山は危惧する。そして、こうした重大な決断をする前に、小泉総理はイラクへ飛び、自分の目でイラクを見て、イラクの人に接するべきだったと指摘した。
小泉総理が日の丸のマークをつけ、日本の政治指導者がやって来たとはっきりわかるようにして、武器をもたずに現場を歩いてみれば、実際にイラクの治安状態はどうなのか、日本人に対する現地の感情はどうなのか、そして、イラクの人たちが何を必要としているかがすぐわかったはずだというのである。
「そうして、もし彼らが丸腰で歩いて安全だと判断すれば、自衛隊を武器を持たせずに派遣すればよい。逆に小泉さんが危ない目にあって危険だと判断したのなら、そういうところに自衛隊を送ることは『戦闘行為』になりますから、派遣を断念すればよかった。日本のリーダーがいのち懸けで現地に赴き判断すること。これが日本の国民にもイラクの国民にも最もわかりやすい方法です。
平和国家を代表して意を尽くしても、テロリストに撃たれることがあるかもしれない。しかし、撃たれたとしても政治家として本懐ではないですか」。ここに城山の軍隊観、自衛隊観、そして指導者観が明確に出ている。