なぜ、真民さんの詩は人々の心をとらえるのだろ

 

2月28日(土)

 

闇が光になる。悲しみが希望に変わる。希代の詩人、坂村真民が半世紀におよぶ詩作生活のなかで歌い上げた一万余編の作品から、「念ずれば花ひらく」「二度とない人生だから」「鳥は飛ばねばならぬ」などの代表作を含む128編を厳選して編集したのが、詩集「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)です。本日は「念ずれば花ひらく」「鳥は飛ばねばならぬ」「本気」の三作、さらに「あとがき」から紹介します。

 

 

 念ずれば花ひらく

 

  苦しいとき

  母がいつも口にしていた

  このことばを

  わたしもいつのころからか

  となえるようになった

  そうしてそのたび

  わたしの花がふしぎと

  ひとつひとつ

  ひらいていった

 

 

 鳥は飛ばねばならぬ

 

  鳥は飛ばねばならぬ

  人は生きねばならぬ

  怒涛の海を

  飛びゆく鳥のように

  混沌の世を

  生きねばならぬ

  鳥は本能的に

  暗黒を突破すれば

  光明の島に着くことを知っている

  そのように人も

  一寸先は闇ではなく

  光であることを知らねばならぬ

  新しい年を迎えた日の朝

  わたしに与えられた命題

  鳥は飛ばねばならぬ

  人は生きねばならぬ

 

 

「あとがき」で著者は語っています。

 

「念ずれば花ひらく」の詩が生まれた時、わたしは目を患い、絶望の底にあった。街頭のどんな大きな字もまったく見えず、心も体も、暗い世界に落ちていた。

 

 M眼科は名医だったので、朝早くから多くの患者が、順番を待っていた。わたしも番を待つ間、近くの神社にいた。大きなモチの木があり、赤い実がたくさん落ちていた。その赤い

実を見ていると、母のことが思い出された。

 

 母の名は、「種」といったからだ。母の苦労に報いることなく、このような病気になったことを、深く思い悲しんでいた。その時、生まれてきたのが、この詩であった。そうした絶望の淵から生まれ出たことを思う時、この詩は神から授けいただいたのであることが、あとになってからわかってきた。

 

作品というものは不思議なもので、苦しんでいる時は暗い詩になるかと思いがちであるが、ふと流星のように、明るい詩が生まれたりして、落ち込んでいる魂を奮起させてくれ、体の病も治ったりする。そうした詩が、わたしにはいくつもある。

 

 一寸先は光だと、わたしは言うが、絶望だ、闇だと、あと二分の命しかないと、落ち込んだ時も、救われた。その時は、まだ夜の明ける時刻ではないのに、窓の外が明るかった。どなたか光る方が立っていられると思った。

 

 あの時は目の病から、体の病となり、ぎりぎりのところまで来ていた時であった。

 あれからわたしは大きな病気をしなくなり、今は視力も回復し、どんな小さい字でも読めるようになった。(つづく)