「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月30日(金)

 

昨年から森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本書は心情的な日本人にふさわしい哲学としての「全一学」を提唱する書でもあります。本日は第6章「人間出現の意義」の第3節「人間の出現と歴史のあゆみ」の1回目です。本日は「人間」が出現したのはいつ頃であろうかと問いかけています。

 

わたくしは、自分の“いのち”が牛馬犬猫としてはなく、人間として出生せしめられたことに対して、深い謝念と感慨をもって、承受するようになったことを述べると同時に、このような感慨は、実は素朴なわれらの祖先は人生最深の知慧として身につけていたのである。

 

わたくし自身は、なまじい西欧的な分別知のゆえに、このような人生に関する根本知を疎かにしつつ今日に到って、今や余命いくばくもない現在、ここに再び、“いのち”の「開眼」に導かれたことに対して、無量の感慨を禁じ難いのである。

 

このことは、以下わたくしの考察が、しだいに人類の歴史的展開の歩みに向けられるようになれば、それに対して如何なる知見として、その光を投射するようになるかは、実はわたくし自身にも、現在のところまだ充分な予見も見通しも、判然とはしないと言ってよい。

 

かくして真先きに問題となるのは、世界におけるに人間の出現の意義、並びにそれが宇宙及び人類の歩みの上に、どのような意義をもたらしたかということであろう。この点については、そもそも人間の地球上への出現が、一体如何ほど以前かといことが、まず問題となるというべきであろう。

 

かかる問題については、その道の専門家の言を聞かねばなるまい。しかるにこの点については、専門家同士の間でもいろいろ異論があるとのことであるが、ーーかかる原人に近い人間に対して、それを高度に発達して人間と区別するために、近ごろ“ヒト”という名称が多く用いられ出したようなので、わたくしもこの語を用いることにしたいと思うがーー

 

初めてヒトがこの地球上に出現したのは今から大よそ五十万年以前と見る人が多いようであるが、中には百万年前とする人もあり、最近では二百万年前との説をなす学者もあるようである。・・・問題はヒトと呼ばれる原人から、「人間」と呼ばれるような存在が出現したのは、如何ほど以前のことかという問題であろう。