講演録「西博士と西田博士」(14)
6月12日(木)
「西博士と西田博士」(昭和38年11月10日、森先生68歳)と題する講演は、西晋一郎先生の二十周忌法要の後、広島大学で特別に開催されたもので、哲学を求める方には良きガイドブックになると思います。本日は両先生の共通点として、思想の表現形態が西欧の「一巻一体系」と異なり、主として論文形態をとっていることを指摘しています。
共に書き下ろしの「一巻一体系」的表現ではない
しかもさらに驚嘆すべきことは、このような体系の完成期において、その触媒となった思想が共にプロチノスだったということでありまして、ここまで参りますと、全く人為を越えたあるものが働いていたという外ない気がいたすのであります。
第五の共通点としては、お二人共に思想の表現形態が、主として論文形態をとっているということでありまして、これは今後民族の学問的表現という点からも、注意せられてよい点かと思われます。
と申しますのも、西洋ではご承知のように、哲学が論文的形態をとることは、プロチノス
を別にしては、比較的少ないのでありまして、多くは「一巻一体系」的表現形態をとっていると申してよいようであります。
近くはカント・フィヒテ・シェリング・ヘーゲル等何れもそうであって、例外がないとも言えるほどであります。では何故これら二人の方の表現形態が、そのような論文の形をとったかということが問題となるわけですが、私の考えでは、そこには二つの原因があるのではないかと思われます。
その一つは、現在でもそうですが、わが国では学問の発表機関が、多くは専門雑誌、さらに大学の「紀要」ふうなものによる場合が多くて、書き下ろしの「一巻一体系」的表現による処へは、まだ到っていないからだと思われます。
同時にこれはまた、小説などにおいても「私小説」的短編が多いという現象と、必ずしも無関係ではないとも言えましょう。このような処にも、この島国に住するわれら民族の矮小性の一反映が伺われるかと思うわけであります。