土曜雑感 「西郷南洲の遺訓に学ぶ」(2)

 

8月24日(土)

 

森信三講録「西郷南洲の遺訓に学ぶ」(致知出版社)からの抜粋です。本日は南洲翁の偉大さを「天性ばかりでなく、人生の惨憺たる苦労を照らす学問の光の二つが融会するところに出来上がった人格」と称えています。

 

2.賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ。(政治は統治)

3.政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。(真の一流の人は農の真義を知っている)

 

4.下民其の勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行はれ難し。

 

・命令に先立って情がなければならない

 

この節の大意は、万民の上に位する者は己を慎んで、品行を正しくし、驕りを戒め節倹を勉め、自己の職務に奮励して下々の者の手本となり、さてその次が、注目すべき一句かと思うのであります。

 

「下民(かみん)其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令行はれ難し」、つまり下々の者が人に長たる人の様子を見て、「あれではどうもお気の毒である、あんなにまでされないでもよいのに、私どもがさせて頂きますからーー」と、こういう処まで人に長たる者は己を尽くさなければならぬ。

 

即ち命令が行われるにはまずそこに情が先立って用意されていなければならぬ。まず情の湿(うるお)いというものがなければ、命令は真に行われないものであります。それゆえ命令を下さんとするには、まず情をもって湿し、情をもって包むことが必要なのであります。

 

南洲翁の偉大さというものは、以下順に窺って行くとわかることでありますが、やはり古今の偉人の通例として単に天性というばかりでなく、実に人生の惨憺たる苦労とそれを照らすところの学問の光との二つが合一し、融会するところに出来上がった人格と思われるのであります。

 

「然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾(びしょう)を抱へ、蓄財を謀りなばーー」云々は、察するに維新直後の明治の君臣たちに対する一種の批判であると思われます。ですから「今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き」という深い歎きの言葉があるのであります。

 

・涙はその人の中心の深さに触れて流れ出る

 

「天下に対し戦死者に対して面目無きぞーー」という言葉は、先の「済まぬもの也」とか「面目なきぞ」という言葉と同じ処から出たもので、そこには一つの貫いたものがあるのであります。以上の言葉を背後から大きく支えるものは、終わりの「頻(しき)りに涙を催されけり」という一句であります。

 

この涙という字がなかなか大事だと思うのであります。・・・そもそも涙というものは、必ずしもその人の人格の深浅にかかわらないものともいえます。とにかく人間が涙を流すということは、その人の器としては中心の深さに触れている何よりの証拠なのであります。

 

とにかく涙を流すということは、その人としては一番中枢にふれなければ涙というものは出ないものであります。この間芦田先生をお迎えして「文楽」をご一緒に見たのでありますが、久しぶりに泣かされたのであります。私が泣いていると先生も涙を流しておられる。実に久しぶりに涙を流したのであります。