「全一学とは何か」

 

7月10日(水)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学とは何か」を紹介しています。本日は世界の中で、同一民族・同一言語という国家は日本のみだと述べています。

 

・人は自己の生の地上的出生の意義を深思する時、親を通して絶対者との生の直属性の自覚に目覚めるのであって、これ中江藤樹の「全孝の学」の哲理というべく、これを現代の表現としては「孝の形而上学」というべきである。

 

・人はその内観を通して神に直通するだけでは、なお十分とは言いがたく、そこにはさらに肉によって連なる同胞の巨大集団としての国家民族との関連を忘れてはなるまい。それを忘れてただ内観に徹するのみに留まるとしたら、そこにはまだ宗教が概念的な域に留まって、哲学的静観と宗教的信との真の融合たる「全一学」的立場とは言い難いと言わねばなるまい。

 

・かくして人間は、内観に徹して直ちに絶対的生命に直接する“いのち”の自称たる「信」に生きると共に、他面肉に連なるともいうべき家を単位細胞とする国家民族との関連を忘れてはならぬ。何となれば、個人生活そのものが現実的には我々の国家民族によって支えられているがゆえである。

 

・幸いにして日本国家は、その構成要素たる国民の大方は同一民族に属し、風俗習慣もまた大観すれば、それぞれ大差ないといってよい。少なくとも百何十という世界の諸国家の中でも、(1)同一民族、(2)同一言語という二大特徴をもつ国家は、ひとりわれら日本国民のみだということは、今日改めてその深重なる意義を噛みしめ直す必要があるであろう。

 

・われらにとっては実に運命ともいうべき大東亜戦において、無条件降伏を余儀なくさあれら我ら国家民族も、戦後三十年をへた今日、ようやくにして国民的自覚に目覚めつつあるといえるようである。

 

内外幾多の日本論、ないし日本民族論の盛行がこれを証示しているといってよい。戦前には絶対的タブーだった皇室の記録についても、戦後はまったく自由な研究討議に委されているが、日本民族の淵源及び日本語の起源については、現在なおほとんど明らかにされていないが、あるいは今後も半永久的に突き止め得ないのではあるまいか。