「全一学とは何か」

 

7月4日(木)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学とは何か」を紹介しています。本日は日本人として主食は穀類(玄米)とし、副食物は野菜を主とし、その他は魚類と鶏卵鶏肉の範囲を原則としたらと述べています。

 

・以上食と色についてその一端を瞥見したが、これは「全一学」としては不可避の必然といってよいからである。すなわちこれら両者は、一つは個体を超えた種族生命の存続に関わり、前者は個的生命の維持のために不可欠だからである。

 

・なお食については、何ゆえ人間は生き物を食べねばならぬか?という根本的な難問があるが、その難問に対しては答え得ないのである。唯しいて言えば、それらが創られているが故にーーとでもいう他あるまい。しかしかく言うてみても、なお心中溶け切れぬもののあるのを如何ともし難いのである。

 

かくして最後に言いうることは、少なくとも日本人として主食は穀類(玄米)として、副食物は野菜を主とし、その他は魚類と鶏卵鶏肉の範囲を原則としたらと思うのである。

 

・生ける真理は、万有の動的調和にあるとするのが「全一学」の立場である。したがってこれを食物について言えば、粗食にして小食、しかも咀嚼を充分にするのが全一学の精神である。この全一学の真理を、最端的卑近に言うとすれば、「世の中に両方良いことはない」わけであって、美味飽食は反面必然に短命を招く恐れありといえる。

 

・かくして生命の動的バランスを失うのを病気といい、その極ついに生命の終末を迎えてこれを死という。されば所謂細くて長くーーというのが長寿の秘訣と言われるが、しかしいかほど注意しても人の寿命には限りがあり、邦人としては時に100歳以上の者もないではないが、多くはそれ位内といってよい。

 

・人間が死を免れ得ないのは、もともと所与的有限的な“生”だからである。したがってこの有限的な個体的生を、この地に無窮に持続せしめ得ないというは、当然至極の事と言わねばならぬ。かくして問題は死に対していかに対処するか、その態度の問題こそは重大であろう。